四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
写真とエッセーでつづって参ります。
お立ち寄り頂ければ嬉しいです。

「口語短歌・水曜サロンの会」(その11)

2021年11月24日 05時01分10秒 | 短歌
「口語短歌・水曜サロンの会」(その11)   短歌の投稿を歓迎します!!

 「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている
 皆様の詠まれた短歌を掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。

 短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、
 自由に短歌を投稿し、鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと
 思っています。皆様の投稿を歓迎します。

【運営にあたって】
 (1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
 (2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
 (3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
    仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
 (4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
 (5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
 (6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。



    晩秋に咲く薔薇「ジュビレ デュ プリンス ドゥ モナコ」

「ブログ友の投稿歌 交流コーナー」

☆初雪が浅間の山に降る頃に冬到来と我思うなり
☆タカトオのコヒガンザクラ落葉しモミジ色づき季節を愛でる
☆松原湖 湖を渡る 冬の風 北風小僧 歌いはじめる

                        浅間山明鏡止水 (knsw0805)さん

【解説】
 浅間山の新雪、高遠城址公園、松原湖とそれぞれの景勝地を読み込んだ短歌は、
 日ごろの作者の確かな歩みを示す「足跡」となっていると考えます。
 二首目の短歌の「タカトオコヒガンザクラ」は固有名詞ですが、「落葉しモミジ色づき」の
 飛躍を少し整理してみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
 ★高遠の 桜もみじは散り急ぐ 「江島」を想い殉じるごとく

☆大量の短歌の本をだうするかゴミのやうでもゴミではあらぬ
☆生きてゐる限りはおいておきたきと思ふ短歌のもろもろの物
☆積読がつもりて山脈なしてゐるわれの蔵書はわれそのもので

                        びこさん

【解説】
 「つもりて山脈なしてゐるわれの蔵書」との表現は、凄いの一語ですね。
 いずれも、作者の短歌と「人」の背骨を作ってきた書籍でもあったと思っています。
 「われそのもので」の句に、書籍一冊一冊への歌人としての想いが滲む、
 学ぶべき短歌と思います。

☆もみじ葉や 眼下に見えし 渓流の 白きしぶきに 秋は深まり
☆晩秋の 池に映りし モミジ葉は 岸より優(すぐる)おもむき深し」
☆高遠の 城跡の木々 眺むれば 歴史の重さ 錦秋に化す」

                        さわやか♪さん

【解説】
 出詠頂いた いずれの短歌も、作者の短歌への取り組みの真摯さが表れていると感じます。
 一首目の「白きしぶきに 秋は深まり」の表現を整え、少し工夫してみました。
 いかがでしょうか。
【ご参考】
 ★渓流の しぶきも隠すもみじ葉は 木漏れ日さえも紅に染め

☆虫食いの穴も景色と洒落てみる
        朱の桜葉は詩心さそう

                        リコさん 

【解説】
 「桜もみじの落ち葉」は、その一片一片が創造主の妙を感じさせる、芸術作品のような
 趣があり素敵ですね。そんな落ち葉に心を寄せて詠まれた短歌に作者の「詩人」としての
 繊細さを感じます。まさに「詩心」を誘われます。
 なお、「景色と洒落てみる」の表現もお洒落です。



ヴォルガ川の夕日の沈む向こうにある思い出とともに今日、明日
                        自閑(jikan314n)さん

【短歌説明】自閑(jikan314n)さんご自身の解説です。
 YouTubeの映像、音楽を聴いて、自由律短歌を作っております。曲は、ラフマニノフ 
 ピアノ協奏曲第2番で、題は、「ボルガ川の夕日」としております。雄大な流れの
 イメージだけなので、ロシアに行った事はありません。
 下記blogで音楽をお聴きになり、愚詠もついでに御覧下さい。
 https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/ac350b4cb300a3fcf61468ff63ff4dfa

【投稿外コメント】自閑(jikan314n)さん
 題詠について
 新古今和歌集を学んでおりますので、定数歌や歌合の数百の題を見て来ました。
 皆様の題に対する自分に無い感性は、とても興味があります。
 ただ、題のうち、「桜」、「紅葉」、「ほととぎす」、「時雨」などは、万葉集以来
 1500年、数万首の歴史を越えるのは、難しいかと、素人ながら思っております。
 出題頂ければ、恥ずかしながら、参加させて頂きます。

【補足】ポエット・M
 ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番といえば…、2014年に、ロシアのソチで開催された
 冬季オリンピックで、前日のショートで大きく出遅れていた浅田真央選手が、
 ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番で力強く舞ったフリーの演技を印象深く記憶して
 います。荘重な曲調は「ヴォルガ川の夕日の沈む向こうにある思い出」を静かに思い出させ、
 今日と、さらに明日への歩みを促してくれるかのように響いてきます。この短歌からそんな
 想いが浮かびました。
 なお、題詠について「とても興味があります」との賛意を頂き、ありがとうございます。
 「難しさ」はあろうかと思いますが、皆さんにお諮りしながら挑戦してみたいと思います。

☆軒下の
   吊るした柿に
     遠き日を
       幼い姉の
   むく皮まだら

                        クロママさん

【解説】
 クロママさんも含めて、我が子のように育ててくれたお姉さまへの感謝の想いが
 滲む良い短歌と思います。
 おっしゃるように注釈せずにわかるように、少し工夫してみましたが、
 いかがでしょうか。視点を変えて二首詠んで読んでみました。
【ご参考】
 ★姉のむく まだらの柿を 思い出す
     幼き我は 姉に守られ
 ★干柿に 姉に守られ 育ちたる
     幼きわれの 温き思い出


☆詩読みが 集まり集う 場所見つけ
    弾む心を 詩に詠む

                        和輪~Warin~さん

【解説】
 作者は今回新たに、本サロンに参加して頂きましたが、その想いを
 「弾む心を 詩に詠む」と表現して頂きました。皆さんと共に楽しく
 「詩読み」、「歌詠み」を続けていきたいと思います。

☆安曇野に燃えるもみじよ アルプスの 白銀さらに際立たせゆく
                        ポエット・M

【解説】
 安曇野は晩秋というより、既に冬の季節を迎えています。わずかに残るもみじ葉も
 紅に染まり終焉の輝きを見せています。その葉陰に覗く北アルプスの峰々は既に
 白銀に覆われ鈍い光を放っています。正に白銀の嶺を際立たせる、燃えるもみじの
 存在。その様に魅了されて詠んでみました。

   

「五行詩」「痛みの変奏曲」鑑賞 (12)

3.別れ (6)
  誰もいない
    海にひとりで
      あの日あの
    時のあなたの
      幻を追う
    
    海の青
      空の青さえ
        哀しかり
      砂に涙の
        九十九里浜

        「砂山」の
          歌を唄えば
        はらはらと
          砂に涙の
        こぼるるものを

     「白鳥」の
       歌を唄いて
         哀しめり
       去りゆく秋の
         九十九里浜

     次々と
       押し寄す波が  
         消してゆく
       砂に記した
         君のイニシャル


     
【短歌入門・質問コーナー】
 この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでのヒント、
 さらに質問、諸々の疑問点等にいて、触れていきたいと思います。
 皆様からのご提案、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せいただければ幸いです。
 なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、反論、ご意見等も
 ありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。それが学びに繋がれば嬉しいです。

【表記について】
 歌を詠む場合、声に出して詠じていた万葉集の時代などとは異なり、現在では文字によって書き、
 それを読み手に読んで頂くために、先に述べた「調べ・響き」とおなじくらいに、表記の仕方も作品の
 完成度に重要な影響を与えます。
 これも「こうしなければいけない」というような、定まった決まりはなく、人それぞれなのですが
 「読みやすさ」などを指標としながら、著名な歌人の作品などを参考にして、皆さんご自身で
 視覚的な美しさ等も考慮し工夫しながら、学んで頂ければと思います。

【短歌そのものの表記について】
 表現上の表記とは別に、短歌を書くときのルールとしての表記についても、少し触れてみます。
 石川啄木の三行書きや、「五行詩」などの一部の例外はありますが、短歌は基本的に縦書き
 一行で表記します。ですので、新聞歌壇などに応募される場合なども、特別な指定がない場合は
 縦書き一行で書きましょう。

 ただし、ネット上では縦書きが表現し難いという理由で、例外的に横書き一行により表記されます。
 また、一句ごとにスペースなどでの区切りを入れることも基本的には行いません。
 最初のうちは一行書きの基本に沿って表記されたほうが無難かと思います。
 ちなみに、スペースや句読点は漢字続きなどでつなげて書くと意味が把握しにくくなる場合や、
 読み手に一拍おいて読んでほしい場合などに、意図的に入れたりします。
 スペースや句読点については個人の好みもあって、こうしなければいけないという決まりは
 ありませんので、これらも著名な歌人の作品などをたくさん読み、皆さんご自身で効果的な
 使用法を身に着けていただければと思います。

【ご検討依頼】 引き続き掲載します。
 リコさんからの「題詠」についてのご提案(11月17日付け「水曜サロン」)につき、
 ご意見をお寄せください。
 その際、「創立祭」実施の可否、企画内容、題詠、お題等についてのご意見を合わせて
 頂ければ幸いです。
 まずは12月3日(金)頃までにご意見を「水曜サロン」のコメント欄にお寄せ
 頂けましたら幸いです。
 なお、現在、自閑(jikan314n)さんから、「賛同」のご意見を頂いています。

                             了

    晩秋に咲き初める「皇帝ダリア」
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安曇野ドライブ旅行

2021年11月21日 16時04分17秒 | 旅行

かつてから細君より訪ねてみたい場所として、小樽、石川県の松井ミュージアム、岡山の大原美術館等々を含めていくつか聞かされてきましたが、湯布院、白川郷、そして安曇野が残っていました。

その安曇野旅行に次男夫婦からの誘いがあり急遽行くことになりました。当初はコロナ禍も鎮静化した年明けをとの計画はあったのですが、前倒しとなりました。
次男はデイラー勤務のため、休暇の取れる曜日を選んでの強行軍となりました。当初計画では次男の休暇の前日、業務が終わった後出発し途中で常宿として使っているホテルに一泊する予定でした。しかし、業務関連等で不可となり、首都圏の通勤ラッシュを避けるため早朝の出発となりました。

中央自動車道を使い甲府、岡谷を経由し松本に着いたのは9:00頃で、渋滞に合わず、かなり順調に進んできたとの実感でした。次男は電気自動車のため、長距離走行は充電設備の心配もあり、今回は私たちのe-パワー車を用い運転は次男に「お任せ」でした。

松本は、細君や次男夫婦は通過したことはあっても、ゆっくり観光したことがないことから
市内散策と、国宝松本城の見学をすることになりました。松本城は戦国時代の永正年間に造られた深志城が始まりで、現存する五重六階の天守の中で日本最古の国宝の城とのことです。大天守と、泰平の世になって造られた辰巳附檜・月見檜のまとまりは「複合式天守」と呼び、それぞれの時代を象徴しているとのこと。この連結複合式天守は松本城だけに見られる特徴的な構造のようです。
五重六階の天守に登るのは、私以外は皆初めてで、その階段の急傾斜と段差のアンバランスに
結構苦労したようです。しかし、最上階から眺めるお城と、松本の眺望は、生憎雲に閉ざされ
北アルプスは望めませんでしたが、周辺の山並みも含めて流石に見ごたえがありました。



昼食は、細君の希望もあり、お城の近くにある「そば庄松本城店」で頂きました。
この「そば庄」は、かつて、「そば庄蓼科高原店」で頂いた「山菜の天ぷらそば」が絶品で、
細君はそれ以来このお店がお気に入りのようでした。久しぶりに味わう信州そばに文句なく
舌鼓を打ちました。



昼食の後は、松本市内の散策を行いウイークデーにも関わらず、人出の多さにコロナ禍から少し解放された状況が、ここでも垣間見れました。松本でなければ買えないと言う品や、出汁用の具材屋さん、さらに、パルコ 松本店等々含めていくつかのお店をめぐりお土産を買い求めました。

頃合いを見計らい、宿泊先の「ホテルアンビエント安曇野」に向いました。
途中の山並みと、森の木々は既に紅葉の時期は過ぎ鮮やかなもみじから、落葉松の黄葉に移っているとの印象を受けました。

「ホテルアンビエント安曇野」は、標高1,000mの大自然に抱かれた「自然との調和」をテーマにした、リゾートホテルとのことですが謳い文句通り、常念岳を望む山の中腹に位置し、等高線に沿って建てられたフォルムが自然に溶け込んでいました。

客室はメゾネットタイプの101㎡のスイートを、本来は4人部屋とのことですが、その部屋を二人で使えるサービスを提供して頂き、息子夫婦とは隣り合った部屋を確保できました。
窓のカーテンを開けると目の前の落葉松の森の彼方には、常念岳や蝶ケ岳などの山並みが広がっていました。





浴室は中房渓谷から引湯した泉質アルカリ性の温泉で、「美肌の湯」とも言われているとのこと。開放感あふれる露天ジャグジーバスは、目の前に広がる落葉松の森や、北アルプスの眺望を堪能しながら、癒しのひと時を楽しむことが出来ました。

夕食は早めの5時半で予約していたので、息子夫婦と共に揃ってレストラン「フレンチ ル・プラトー」へ。信州安曇野、北アルプスの地元の厳選された食材、こだわりの食材を使用したと謳うコース料理は、シェフのこだわりと、職人技を感じさせる「極上の食」を、眼も舌も感じさせ、味合わせてくれました。
中でも前菜のスープと、信州黒毛和牛の炭火焼き、さらにホテルで焼いていると言われるクロワッサンは絶品でした。



次に料理のショットを、鮮明な写真が撮れませんでしたが掲載します。

~霜月の安曇野~  アミューズ・ブーシュ(前菜)


松本産スワン蕪と松本1本葱のサラダ仕立て


マイタケのクリームスープ


オマール海老のポワレ


御口直しのアイスクリーム


私と息子のお嫁さんがチョイスした「信州黒毛和牛の炭火焼き」
 安曇野山椒と赤ワインソース


息子がチョイスした「イベリコ豚 肩ロースのポワレ」


細君がチョイスした「牛肉の赤ワイン煮」


デザートは「秋色に染まって~安曇野モンブラン」



これらは芸術的とも言える盛り付けの素晴らしさと共に、味も絶品でした。
暮れなずむ信州安曇野の山並みの景観を眺めながら、息子夫婦と静かに語らいながらディナーを楽しむことが出来ました。なお、お酒はワインリストも充実していましたが、シャルドネ シュール・リー、ココ・ファーム等の白ワインや、お薦めの地ビールを少し(笑)頂きました。

翌日も、良い天気に恵まれ、バイキング形式の朝食を頂いた後、早々に安曇野散策に出発しました。まず、「大王わさび農場」、「蓼川と三連水車」に向いました。
この農場は、もともとは雑草の生い茂る原野でしたが、扇状地に豊富な湧水を利用したわさび畑の開拓に着眼した深澤勇市氏の、一大プロジェクトによるもので、105年目を迎えているとのこと。
148,000㎡余の農場に広がるわさび田は、澄んだ湧水に溢れ、晩秋の日差しの中で山葵たちが青々と茂っていました。



原野を開拓し、これだけの農場を作り維持・発展させてきた人々の、労苦と開拓に掛ける浪漫と矜持を改めて思い起こしていました。

わさび田を散策した後に、蓼川の澄んだ流れと三連水車を見学し、ハイジの里等を経由し町田のアウトレット「グランベリーパーク」に向い、走行距離約800Kmの安曇野旅行のフィナーレとしました。

即興で詠んだ一首を掲載したいと思います。
 ☆安曇野は 燃えるもみじと アルプスの 茜に染まる 白銀の嶺

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「口語短歌・水曜サロンの会」(その10) 

2021年11月15日 17時00分18秒 | 短歌
「口語短歌・水曜サロンの会」(その10)   短歌の投稿を歓迎します!!

 「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている
 皆様の詠まれた短歌を掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。

 短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、
 自由に短歌を投稿し、鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと
 思っています。皆様の投稿を歓迎します。

【運営にあたって】
 (1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
 (2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
 (3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
    仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
 (4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
 (5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
 (6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。




「ブログ友の投稿歌 交流コーナー」

☆茜さす湯川渓流せせらぎの秋深くせまるもみじの色香
☆本丸に深紅に染まるヤマモミジつわものの夢今はいずこに
☆くれないの日射しの中で雲場池湖面に映える逆さ紅葉

                        浅間山明鏡止水 (knsw0805)さん

【解説】
 いずれもハルニレテラス遊歩道、小諸城址公園、雲場池等、信州東部の紅葉の名所を詠み
 色彩も鮮やかに目に浮かぶ短歌となっています。信州観光大使を自任される作者の面目躍如です。
 なお、枕詞は、先の「質問コーナー」でも説明させて頂きましたが、和歌等に用いられる
 修辞法の一つで、一定の語句に冠してこれを修飾し、または語調を整える言葉です。
 従って「枕詞+被修飾語」の形で用いられます。
  ☆くれないの日射しの中で雲場池湖面に映える逆さ紅葉
 の短歌では、「日射し」の枕詞であれば、「あかねさす」が一般的には用いられます。
 「くれないの」の枕詞は「美しい」意味も在りますが「色」「あさ」にかかります。
 枕詞も含めて少し整理してみました。
【ご参考】
 ★あかねさす日射しも揺れる雲場池 湖面もやすや逆さ紅葉よ
 一首目も「湯川」の枕詞であれば、「にはたづみ」となります。
 少し整えてみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
  ★にはたづみ湯川渓流せせらぎを 覆いて揺れる もみじの色香

☆カサカサと 音をお供に 散歩道
         肩にぽとりと 落ち葉ふり来る
☆窓あきし マスクだらけの 車内にも
         秋の陽射しの さんさんと
☆つむじ風 歩道の落ち葉 われ先に
         コロコロころと 踊るがごとし

                        さわやか♪さん

【解説】
 三首の短歌は、それぞれの情景が丁寧に表現され、リズミカルで明るく詠われ
 楽しい歌となっています。
 一首目の「ぽとりと」と、三首目の「コロコロころと」の表現が効いています。
 二首目を「列車の窓に」を明確にし、少し整理しましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
 ★開け放つ列車の窓に秋日射し マスクマスクの 人ら染めゆく

☆微風にも
   舞い散るモミジ
      愛犬は
   積もる枯葉に
      踏む音嬉し🎵

                        クロママさん

【解説】
 軽井沢に続き、甘楽公園にと、アクティブに過ごされる作者の元気の源は、
 愛犬クロちゃんゆえと感じます。その想いが滲み出たお歌です。「踏む音嬉し」に
 その想いが、程よく表現されていると考えます。
 なお、「愛犬クロちゃんの踏む音が嬉しい」との意味で少し整理してみました。
【ご参考】
 ★風無くも
   舞い散るモミジ
     積もりゆく
   愛犬クロの
      踏む音嬉し



   「初冬の風の中で、未だ咲く酔芙蓉」

☆食べきれぬほどのご馳走ならべられ食べ切れざるを惜しむわたくし
☆温泉に入り上げ膳据え膳で美味しいものを食ふが一番
☆神様に感謝親にも感謝する美味しいものを食らへしときは

                    びこさん

【解説】
 琵琶湖西岸にある滋賀県下最大の温泉地、雄琴温泉にて詠まれた短歌との
 ことです。「上げ膳据え膳」で、温泉と美味しい料理を味わい、ほっこりとした
 表情で、楽しまれる作者の心情がよく表現された短歌です。
 「神様に感謝親にも感謝」で、味わい深く表現されています。

☆悪女にはいつも騙されるが。
     こりずまの男たちに今日もkiss💋

                 自閑(jikan314n)さん

【短歌説明】自閑(jikan314n)さん ご自身の説明です。
 blog新古今和歌集の部屋亭主、自閑と号しております。YouTubeの音楽、映像を見て短歌を
 作っております。題は、「峰不二子 ルパン三世」。ルパン三世part5のエンディングの
 歌からイメージしました。
 ルパン三世のアニメは、昭和46年から開始し、50年も経ち峰不二子は、毎回ルパン三世を
 お色気で騙し、盗んだ物を掠め取ると言う女盗人。こりずまは、古今や源氏物語 若菜上 源氏
  沈みしも忘れぬ物をこりずまに身も投げつべき宿の藤波
 にも有る古語、英語でkiss、そして絵文字💋としております。
 前半は男の嘆きを、後半はそんな男たちをキスで翻弄する悪女、峰不二子を。
 YouTubeを御覧になりながら、愚詠もお読み頂ければ幸いです(urlは以下の通りです)。
 https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/759e5a40372222afb414fd76237ee585

☆行く秋に亡き母に似る温顔がまぶたに浮かぶ哀惜の念
                   あんりママさん

【解説】
 寂聴さんの訃報に接し、その温顔は作者のお母様を彷彿とさせ、
 哀惜の想いをさらに深くされたとのことです。心に沁みる挽歌です。
 詞書抜きでわかる歌を、工夫してみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
 ★ゆく秋に天に召されし寂聴の 亡き母に似る温顔偲ぶ

☆もみじ葉は ほむら立つごと 燃えもえて
           色競うがに 海の夕映え

                 ポエット・M

【解説】
 海の夕映えを背景に、燃えるように朱く染まる紅葉に圧倒されて詠んだ短歌です。
 終焉の輝きを見せる紅葉。その自然美を詠むにあたって、自らの言葉の貧困さに、
 打ちのめされる思いも同時に味わいました。



「五行詩」「痛みの変奏曲」鑑賞 (11)

3.別れ (5)
  

  幻聴と
    知りつつ我の
      名を呼べる
    声にふり向く
      駅の階段

    君の名を
      呼べど我には
        木霊すら
      帰りきたらず
        落葉松林

        哀しきは
          夢に流るる
            天の川
          君は織姫
            我は彦星
  
      ひび割れの 
        愛の痛みの
          魂の
        鐘の音無惨
          深夜の酒宴
       
    酔うほどに
      我れの意識の
        一点が
      たださむざむと
        凍れるごとし




【短歌入門・質問コーナー】
 この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでのヒント、
 さらに質問、諸々の疑問点等にいて、触れていきたいと思います。
 皆様からのご提案、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せいただければ幸いです。
 なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、反論、ご意見等も
 ありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。それが学びに繋がれば嬉しいです。

【題詠とは】
 和歌の創作方法の一つで、現実の体験とはかかわりなく、あらかじめ与えられた題によって
 詠むものを言います。
 平安時代には、歌会や競詠の場で複数の人々によって詠まれ、歌題には四季の風物や恋、
 名所など種々の分野のものがあり、「立春」「花」など単純な題もあったとのことです。
 なお、宮中歌会始は、毎年「お題」を公にして、それに沿って進められています。
          注)ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「題詠」の解説等を参考


   「横須賀走水から 東京湾を挟んで聳える富士山」

【ご提案】リコさんからのご提案です。文は少し編集しました。
 来年の1年経った頃に、水曜サロンの「創立祭」を企画し、その際に「題詠」を設けたら
 いかがでしょうか。
 皆様の作歌の視野を広げ、表現力を養う一助として「お題」を決めて、歌を詠む事に挑戦して
 みるのも良いものと考えます。
 令和4年の宮中歌会始の題詠は、本年3月に発表され「窓」ですが、このお題でもいいのですが、
 皆様からご提案があれば幸いです。例えば、建物、植物、動物等々…。

【ご検討依頼】
 リコさんからのご提案につき、ご意見をお寄せください。
 その際、「創立祭」実施の可否、企画内容、題詠、お題等についてのご意見を合わせて
 頂ければ幸いです。
 まずは12月3日(金)頃までにご意見を「水曜サロン」のコメント欄にお寄せ頂けましたら
 幸いです。

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久し振りのコンサート

2021年11月13日 20時31分41秒 | 短歌
 霜月も半ばまで進んできましたが、このところ天候にも恵まれ凌ぎやすい日々が続いています。
また、新型コロナウイルスの感染状況の改善傾向が続いていますが、東京都内では、昨日12日、
新たに22人の感染が確認され、27日連続で50人を下回りました。直近7日間の感染者数の
平均は25.1人で、前の週との増加比は129.4%となり、100%を超えるのは、
4日連続となります。
 私たちも、引き続き感染対策の徹底を図りつつ、日々の生活を少しでも潤いのあるものに
出来たらいいなと思っています。



 そんな中、コロナ禍で控えていたコンサートに、二年ぶりで細君共々行って参りました。
これは「横須賀徳光座vol 1」と銘打った「徳光座」旗揚げ公演でもあり、このSS席のチケットが
入手できましたので、喜び勇んで行って参りました。
 コンサートは横須賀文化会館大ホールで開催されましたが、徳光和夫さん司会でロス・インディオス、
ノブ&アッキーさん、西田あいさん、森恵さん、さらにメインゲストはこの試みに共感して参加された
八代亜紀さんらが出演されました。



 当日午前中は豪雨と雷でひどい天候でしたが、午後には雨も上がり、大きな二重の虹もかかる
劇的に変わる天候でした。正に吉兆にも似た気象変化に気を良くして、息子もスタッフとして
関わっているため早めに会場に到着し合流しました。



 第一部は西田あいさん、森恵さん二人の歌から始まりました。二人ともテレビ等への出演もあり、
若手の有望株として期待されている歌手とのことで、ギター演奏の上手さと、驚くほどの
声量とで圧倒される思いでした。
 次に出演されたノブ&アッキーさんは、五木ひろし、谷村新司、堀内孝雄等々の物まねを
楽しく、しかも本格的な歌唱で歌い上げ、いつの間にか引き込まれていました。
そして第一部の最後はロス・インディオスのムード歌謡で、懐かしさと、年齢を感じさせない
艶のある歌唱で聞き惚れました。



 15分の休憩をはさんで、第二部は徳光さんの語りから始まりました。原稿なしで約20分間、
長嶋茂雄さんにあこがれた青春の日の思い出から始まり、東京2020での聖火の最終ランナー
にまつわるお話等、水も漏らさぬ語りと、聴衆を飽きさせない話術は流石と思いました。



 そして本日のメインゲスト、八代亜紀さんのコンサートです。
最近は、色々なニュースも流れましたが、八代さんは年齢を超えた耀きと、舞台を圧する
その存在感と、オーラを前にも増して放っていました。
 「女港町」を含め数曲ヒット曲を、情感籠めて歌いあげ、最後は名曲「舟唄」で締めましたが、
いつまでも鳴りやまぬ拍手が印象的でした。



コンサート終了後、息子が迎えに来てくれて、楽屋を訪問しスタッフさんや、出演者の方々に
ご挨拶し、八代さんともグータッチをすることが出来ました。細君も久しぶりにお会いし
感激した模様でした。



即興で詠んだ短歌を、推敲不足ですが掲載したいと思います。
   ☆虹ふたつ 空にかかるや昼下がり コロナ禍明ける吉兆なるか
   ☆友の歌 詠じて知るや奥の奥 秘める想いは涙も誘い
   ☆久しぶり 生歌聴きし「舟唄」よ 八代演歌の 真髄なるや  
   ☆籠り居は 厳し寂しと言いたるも 逝きたる人の より深き悲も
   ☆燃え上がる ほむらも超えてもみじ葉は 紅まとい さらに燃えゆく
   ☆草もみじ まとう風さえ染めゆくや 訪れ遅い秋はここにも
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「口語短歌・水曜サロンの会」(その9)

2021年11月10日 05時50分01秒 | 短歌
「口語短歌・水曜サロンの会」(その9)   短歌の投稿を歓迎します!!

 「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている
 皆様の詠まれた短歌を掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。

 短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、
 自由に短歌を投稿し、鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと
 思っています。皆様の投稿を歓迎します。

【運営にあたって】
 (1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
 (2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
 (3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
    仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
 (4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
 (5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
 (6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。




「ブログ友の投稿歌 交流コーナー」

☆秋風が 頬をかすめる 夕暮れに 
         馥郁とした におい香り立つ
☆ぬばたまの 夢の中しか 会えぬのも 
         ゆらゆらゆれて 姿はかなし
☆過ぎし夏 思い出深く 泪こそ
         滲む思いに 我は泣かん

                         浅間山明鏡止水 (knsw0805)さん

【解説】
 「悲しみのラプソディ」(過ぎし夏の日の思い出)の第二弾。
 いずれも作者が「想像の翼」を広げての作歌ですが、一段ステップを上げられた歌と考えます。
 「ラプソディ」(狂詩曲)としては三首目がよろしいですね。ただ、結句が「字足らず」に
 なっていますので、少し工夫してみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
★かの夏の 深き思いに 泪湧き
         滲む思いは 我を泣かせる


☆ふと見れば 鷺立ち尽くす 川の中
         細き足先 寒くはないか
☆目に映る 歩くこの道 下草の
         色の緑は 濃くも薄くも
☆車停め 窓に吹き入る 強き風
         助手席に居る モミジひとひら

                         さわやか♪さん

【解説】
 何れの短歌も、状況が良く分かる素直な歌と感じます。
 「鷺立ち尽くす」と、「濃くも薄くも」は、状況を適切に表現されています。
 三首目を「もみじひとひら」をメインにして、少し整理してみましたが
 いかがでしょうか。
【ご参考】
★車窓より もみじひとひら 吹き入るや 
        風のいたずら ほほ笑み誘い

 
☆夜明け前ISSの光点を追いて心よ宇宙(そら)越えて行け
                         ちがやねこさん

【解説】ちがやねこさん、ご自身の解説です。
 今年の6月頃に、地上からISS(国際宇宙ステーション)が見られる日時のサイトを
 見つけて、時々見ています。今(11月始め)は午前4時台とか5時台に見えますので、
 このような歌になりました。日本人宇宙飛行士の星出さんは11月8日ぐらいに地球に
 帰還するそうです。どうか無事にと祈りつつまた宙を見上げてみようかな、と思います。
【補足】
 ちがやねこさんは「水曜サロン」へ初めての出詠です。
 ISS(国際宇宙ステーション)は1等星より明るく肉眼でも見えるとの事ですが、私たちが住む日本から
 見える時間帯は限られます。そんな光点を追い求め、宇宙(そら)を見上げる、ちがやねこさんの
 ワクワク感が伝わる良い短歌と思います。
 なお、日本人宇宙飛行士の星出彰彦さんにささげる一首とも言えます。
 ちなみに、11月9日 12:30頃、星出さんは無事地球に帰還されたとの報道がありました。拍手!です。

☆錦秋に染まる山々落ちる水両手に受けてしばし呑まれる
☆ぬばたまの夜の帳が下りるとき聞こえてくるよごろすけほーほー

                         あんりさん

【解説】
 霧降ノ滝は日光三名瀑のひとつに数えられていますが、今はまさに全山錦秋に埋まり、
 旬な情景に包まれていたことと思います。
 そんな情景を詠んだ一首目から、錦秋と滝のコラボレーションが伝わってきます。
 なお、「落ちる水両手に受けて」の表現を少し変えてみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
★錦秋を裂きて流れる滝川よ 霧降の滝 伸ばす手の先



☆宇宙への片道切符の打ち上げと六十四年後真実を知る
☆スプートニクに乗せられ宇宙をさ迷った帰還かなわぬ犬の命日
(十一月三日)
                         リコさん

【解説】リコさん ご自身の解説です。
 1957年11月3日にソビエトの宇宙船に乗せられてライカ犬は宇宙に打ち上げられました。
 この旅は地球に還れない片道切符でした。このことを最近知り、心を痛めていますが、
 私たちがクドリャフカ姫に心を寄せることが供養になると心を鎮めています。
【補足】
 東西冷戦時代、旧ソ連が世界初の“犬の宇宙飛行士”として人工衛星に乗せて送り出した宇宙犬「ライカ」を
 詠った短歌です。打ち上げ前からライカは科学の進歩のために犠牲になることが決まっていたという、
 冷酷な史実があります。大義をかざした人間の傲慢さと、無慈悲なまでの冷酷さと残忍さに心が痛みます。
 作者が言われるように「心を寄せることが供養になる」ことを、かみしめながら、このようなライカ犬が
 いたことを、私たち自身も心に刻んで参りたいと思います。
 二首の短歌から、ライカ犬に寄せる深い哀しみと、静かな怒りも感じ取れます。このような短歌にも、
 私たちは是非ウイングを広げて参りたいと思います。

☆激減の新型コロナ感染者このまま年を越すこと願う
☆宝くじ買うか買わぬか迷いつつ結局買わず販売終了

                         ものくろ往来さん

【解説】
 本年は、コロナに明け、コロナに翻弄された年となりましたが、一首目は、大半の方の願いですね。
 第六波が大波にならないためにも、今までの感染症対策をきちっと検証することが、今求められて
 いると感じます。二首目は、独特なユーモアと「ほろ苦さ」さえ感じさせる良い歌と考えます。

☆雲場池
   燃えるモミジにいだかれて 
     水面に映える
        カモのたわむれ

                         クロママさん

【解説】
 軽井沢・雲場池の紅葉は、今まさに旬な輝きをみせ感動を誘う情景が展開されている
 事でしょう。作者の短歌には、その感動が素直に表現されています。
 「水面に映える」のは紅葉でしょうから…、少し整理してみましたがいかがでしょうか。
【ご参考】
★雲場池 燃えるモミジにいだかれて
      群れなすカモも 染まるくれない

☆遠い昔
  君が出て行ってから
    頭の中では平和だが。。。
           ちょっと

                         自閑(jikan314)さん

【解説】自閑(jikan314)さんご自身の解説です。
 新古今和歌集の部屋と言うブログの亭主自閑と号しております。
 いつも拝見している歌の教室のプロの歌手の方のブログにご紹介していた、
 Albert HammondのFor The Peace Of All Mankind(邦名 落葉のコンチェルト)を聴いたイメージの
 YouTube短歌を作りました。
 昔、マチス展を、美術館で見た時の切り絵に、継ぎ足しが有りました。切り直せば良いのにと。
 でもマチスにとっては、継ぎ足しが必要だったのでしょう?今、この切り絵は、オークションでは、
 1億円から開始でしょうね。継ぎ足しのような「ちょっと」に、マチス風短歌と豪語しておりますので、
 下記ブログYouTubeを視聴頂きつつ、愚詠もお読み頂ければ幸いです。
 https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/e099aab409af9f9644ada5c210e31b72

【補足】
 落葉のコンチェルトに「僕の心から 消え去ってくれないか」との詞が繰り返し出てきますが…。
 君が去ったのちの寂寥感が「ちょっと」の言葉で暗喩されているように考えましたが、
 「継ぎ足し」の効果大と感じます。

☆乱れ吹く風に惑うや秋蝶の 舞いゆく果てにコスモスの群れ
                         ポエット・M

【解説】
 晩秋の日差しの中、乱れ吹く風に翻弄されるかのように、秋蝶は弱弱しく舞っています。
 それでも群れ咲くコスモスに向って舞うさまに、蝶の健気さと懸命さを感じて詠んでみました。



「五行詩」「痛みの変奏曲」鑑賞 (10)

3.別れ (4)


 哀しくて
   薔薇一輪を
     瓶にさし
   グラスの虹を
     傾けてみる

     短歌って
       もしも私が
         女なら
       これを哀しき
         紅(べに)とよびます
       
         ある日ふと
           斜に構えて
             人を見る
         自分に気づき
           哀しくなりぬ

       ヴァイオリンの
         音色哀しき
           思い出は
         瞳もぬれる
           雨の神田川

     この胸の
       痛みをメスで
         えぐり取る
       どこかにそんな
         名医はなきや




【短歌入門・質問コーナー】
 この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでのヒント、さらに質問、
 諸々の疑問点等にいて、触れていきたいと思います。
 皆様からの提案、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せいただければ幸いです。
 なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、反論、意見等も
 ありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。それが学びに繋がれば嬉しいです。

【帰り花】
 帰り花(かえりばな)は、「返り花」とも書き同一のものと考えます。
 11月頃の小春日和に、桜、梅、梨、躑躅、さつきなどの草木が本来の季節とは異なって咲いた花のことで、
 「狂い咲き」という表現もあります。
 これを「帰ってきた花」と表現するのは、俳句や短歌特有の趣きと思っています。
 ひとが忘れた頃に咲くので、「忘れ花」といった言い方もされます。
 俳句における帰り花
  俳句では冬の季語の一つとなっています。和歌や連歌には詠題としてはありませんが、
  俳諧に到って盛んに作られるようになり、
   「凩に匂ひやつけし帰花」(松尾芭蕉『後の旅』)
   「かへり花暁の月にちりつくす」(与謝蕪村『夜半叟句集』)
  などの例があります。


   「11月に4度目開花した 月下美人・・・下半分が開花しませんでした」

【ISS(国際宇宙ステーション)】
 国際宇宙ステーションは上空400kmもの上空を周回しています。ですから、その形が見られる訳では
 ありませんが、光る点がゆっくりと空を通過していく様子を肉眼で眺めることができます。
 見え方は高空を飛ぶ航空機に似た感じです。ただし点滅を繰り返したりはしません。
 また、流れ星が光るのは、1秒以下と短時間ですが、国際宇宙ステーションは、数分かけて光の点が
 ゆっくりと空を横切って行きます。ただし雲よりもずっと上空ですので、晴れている必要があります。
 晴れていさえすれば1等星より明るいので街中でも十分に見えます。天候や太陽電池パネルと太陽と
 自分との位置関係によっては、−2等星(シリウスなど)より明るくなるときもあります。 


     秋薔薇「マチルダ」
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-空白の短歌史- 「綜合詩歌」誌鑑賞(5)

2021年11月06日 12時07分29秒 | 短歌

「戦時下、空白の短歌史を掘り起こす その5」
         「野菊の風」


 信濃路の秋は短い。山の頂を染めた錦繡は瞬く間に麓を染め、里中のなんの変哲もない森や林を一夜のうちに色鮮やかなオブジェへと変えていく。滅びと隣り合わせの華やぎは、凄愴を秘めながらもつかの間の酔いを楽しんでいるかのようにも見える。周辺のそんな華やぎをよそに、遠くない冬の、到来を告げる北風の中で野菊は薄紫の花を揺らせている。
「可憐で優しくて品格がある・・・」と、伊藤左千夫にその著書「野菊の墓」で言わせた野菊は、当時と変わらぬ可憐さで、今も北信濃の道野辺に咲いている。



 昭和十八年、春から秋にかけての戦局は日々悪化の一途をたどった。南太平洋の戦場では米軍に制空権を奪われ、ニューギニア、ソロモン群島でも激しい消耗戦に陥った。これらの戦場への将兵の補充を目的に、時の東條内閣は同年十月二十一日神宮外苑での出陣学徒壮行会を皮切りに学徒出陣を強行した。同年十二月、理工系の学生を除き大半の学徒を入隊させた。以後、学徒の出陣者は相次ぎその数、推定十三万余名におよび、特攻隊等最前線の将兵として多くの若者が戦場の土と化し、海にかばねを散らしていった。



 野菊は神宮への学徒出陣式を涙を隠し、あるいは叫びを呑み込み見送った、少なからぬ人々の心の片隅に静かに咲いていた花でもあった。
 生涯独身で通した叔母が言葉少なに語った思い出の花。 野菊はこの学徒出陣にまつわる小さな恋物語を悲しく彩る象徴の花でもあった。おそらく当時の日本で数限りなく生まれたであろうこれらの恋物語。それは、語り継がれることもなく、 それぞれ当事者の胸奥に秘められ、巡る季節の中で清められ、温め続けられて来たことであろう。
 晩秋の風に揺れながらも凛と咲く野菊は、哀しみや淋しさを胸深く秘めつつも歴史の底流でしなやかに生き抜いた女性達の、心を映すかのように静かな輝きを放っている。



 学徒出陣で理系以外の学生の大半が入隊した昭和十八年十二月に発行された「綜合詩歌」十二月号。この詩歌誌について前号に引き続き、短歌、歌論を中心に紹介、鑑賞を行っていきたい。そして、時代の情況を色濃く反映した評論、論考についても資料的な意味から触れてみたい。

 当月号に作品を寄せられた代表的な歌人は、生田蝶介、中島哀浪、岩間正男、水町京子、野村泰三の各氏を含む十八名の方々である。
 戦局の厳しさは雑誌用紙の減配等、短歌結社の運営にも少なからぬ影響を与え、結社の統廃合を促しつつあった。この重苦しい時代の影は歌人の作品にも色濃く刻まれ、歌の行間にも苦悩が滲んでいるかのように見える。
 これら歌人の作品の中から、時代の証言としてまた、苦悩を滲ませながらもなお、明日を
見つめようとする、前向きな思いを表出した歌を中心に抄出した。




 阿蘇の噴煙           生田 蝶介
  ○ ラス・ビハリ・ボースは痩せてかへりたり容易ならざる印度の国は
  ○ 汝をひきいて高原の草に日昏るればいづかたにこそ帰り行かなむ(長湯娘子に)
  ○ すがのねの長湯高原昏れゆくと見をさめなげく阿蘇のけむりを

 たたかひの刻          岩間 正男
  ○ 虫の音のしじなる夜半を起き出でて防空壕に月のさし入る
  ○ 来るべき秋(とき)をし期せば町住みのただに虔ましく朝夕あり経る
  ○ 苛烈なるときま移りに身は置きて青菜いきほふ庭の日だむろ

 耐乏              中島 哀浪
  ○ 乏しきに耐へむといひてわれいまだ畳の上に蒲団敷きており
  ○ 爆ぜ落つる小豆をなげて山畑の人を慰めてゆきすぎがたし
  ○ いつしかに花の過ぎたる萩叢は下掃けば硬し手にさやりつつ

 老母              水町 京子
  ○ 老母を都におくが心もとな退避訓練につかれたまひぬ
  ○ ふるさとを出でて久しも老母のやすくおはさむ家もあらなくに
  ○ 人国におはせといへばさびしらに黙います母に何か申さむ

 波               野村 泰三
  ○ 登り来てここはどの道山ふかく迷へるならぬすすきの穂波
  ○ 闇深く見えぬ波たかしとどろとどろ時化あとの波見えぬ大波
  ○ いまにしていふ言葉なしはふり落つ浄きなみだやわれ出陣す(出陣学徒壮行会)


 「戦さの前に火も水もなし」との戦時スローガンが掲げられた当月号の綜合詩歌誌。 その中にあって水町京子氏の「老母」一連の歌のような、人を中心に据え、その存在を控えめながら凛として問いかけ、さらに哀しみを深く見詰めた作品。それが厳然とこの戦時下の詩歌誌に掲載されている事実に一種の驚きと共に感銘を受けた。



 前々号で触れた「人間への希望」が、苛烈な戦時下にあってなお少なからぬ文学の護り手によって、確かに追求されていた証左として心に刻んで行きたい。当月号にも前月号に引き続き、古典抄として斉藤彦麿の「詠歌大概評」を初めとした優れた歌論、あるいは詩論が掲載され、さながら「学びの泉」を形成している。今回は詩論の分野から一部抜粋し歌友諸兄と共に学んでいきたい。批判的にも・・・。

詩の予言者的性格         大野 勇二
 詩人とは単に歌う人の謂ではない。歌うよりもより多く感ずる人である。日本民族の大と其の運命を鏡にかけて見る人である。筆の先や口頭で大東亜の理想を言挙げして使命とする頭脳の働きを指すのではなくて、かかる頭脳の奥にあってこれを突き動かしているその手を見る人である。かくの如き人物は言葉の真の意味における民族の五感であり、第六感であるだろう。かくの如き人物を通してのみ天啓は閃くであろう。詩人は誠に見ざるに見、聞かざるに聞き、言わざるに言う・・・。


 「歌うよりもより多く感ずる人・・・、言わざるに言う・・・」。詩人を歌人に置き換えても多くの示唆に富んだ指摘でもある。自らのうちから沸き起こる思いのたけを詠い上げる一面と、その歌が普遍的な意味をもって感動を誘い、人をも揺り動かして行くと言う面を持つ歌。歴史の波に晒されながらも、なお色あせる事無く瑞々しさを保ち、感銘を与え続ける歌のもつ生命は、この示唆の中に隠されているのではないだろうか。私たち自身、自問したい内容でもある。



 当月号には、これら詩論及び、歌論と共に前号に引続き、三島吉太郎氏の「明治天皇と和歌」を始め、金井章次、堀田清治、熊谷武至、神山哲三、泉四郎及び、野村泰三の各氏が論文、随筆、歌論、評論等を寄せておられる。
 また、前々月号から始められた、誌上歌会とも言うべき複数の選者による「作品評」欄は会を追うごとに充実してきている。紙面の制約から、その全編を載せられないのが悔やまれるが、一部を抜粋し共に鑑賞し学んでいきたい。

☆あかあかと夕やけ雲のかがよへば胸ふかくわが燃ゆるものあり  小菅 嘉之


 この歌は「あかあか」と歌いだして、上句を写生にして下句を主観にしたあたり斉藤茂吉氏の「あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり」を思い出させる歌である。十月号の歌評などにおいて一つの類型と言われたものも、或いはこの歌を指したのであろうか。ここで「たまきはるわが命なりけり」と「胸ふかくわが燃ゆるものあり」を誦して、おのずからその主観のひびきに懸隔のあるのは致し方ないとして「たまきはる・・・」と生命にふれた歌であるのに対し「胸ふかく・・・」と感情を詠ったところが面白い対照だと思う。
北村
 意味は平明なれど、一、二句は明星の初期を思わせる陳腐な表現で物足りぬ。
門脇
 誰でも心の中に持っている浪漫的なものを一つの象徴の形を以って表現し、三句まで夕焼け雲の色彩感覚を、なだらかに詠じきり結句の「燃ゆるものあり」と色彩の連想語を以って詠みすえた所が面白い。ともすれば露呈しがちな燃え上がる感情の抑制が窺われる。やはり構想の類型的なと言う難はまぬがれないだろうけど。


 なお、堀は堀盁次郎、北村は北村伸子、門脇は門脇顕正の各氏である。複数の批評者による重層的な歌評は、今日の結社誌にも取り入れたい画期的な試みと考える。歌評を行なうと言う、ある意味では重く厳しい営みも「する側」と「受ける側」との真剣勝負によって実りあるものになるであろうし、歌を貫く詩精神も鍛えられ研ぎ澄まされていくものと考える。このような切り結び、魂の触れ合うような評を望みたいものである。



 戦局は日を追うごとに苛烈さを増し、厳しく切迫した事態が明らかになる中でも、本誌の会員は月毎に増加し、二十余名の新規会員が紹介されている。これら会員の方も含めて、一般会員の方の作品の中から、時代の重苦しい暗雲に打ちひしがれることなく、なお香気を放ち詩魂の存在を語りかけてくる歌を中心に抄出させて頂いた。

 ○かなしみは心に沁みて亡き人の一生を思ふまさにあらぬに     小橋 桜昌
 ○今日も亦いのちありきてふ夫の文さりげなくして近づき難し    土井 博子
 ○わが思慕を何にたとへん日の暮の茜にもゆる空のいろはや     南  紫星
 ○疲れ果て軍衣を脱げばころころと蛭の丸きが落ちて哀れさ     島  寛
 ○憤る心の底ゆひややかに流るるものあり病者の理性        門脇 顕正
 ○白芙蓉みたびを散りていくさびとはろけきままに秋去なむとす   菅野 貞子
 ○応召の子の影膳に菓子を添へ愛しむままの祈りをささぐ      高島 てう子
 ○現し身の伏したるままの姿なる墓地の上にも咲く野菊かな     有田 久雄
 ○還らずと知りつつ点けし離着灯暮れはてし基地に迎火の如し    川辺 信晴
 ○御戦に夫を捧げて吾子二人と生きゆく友にまむかひがたし     加瀬 歌乃
 ○吾子いだき久しぶりなる夫の文読み聞かすればゐねむりにけり   廣田 博子
 ○ゆたかなりし君が言葉を偲びゐる今は文さへ絶えたるものを    秩父 ゆき子


 昭和十八年十一月二十二日、カイロ会談はチャーチル、ルーズベルト、蒋介石の三者によってもたれた。これにより日本の戦後処理に向け連合国側の共同歩調が確認され、日本を巡る戦局は益々敗色が濃厚になり、深刻さが増していった。この過酷な戦場へ前述の学徒を初め多くの若者達が送られていった。母と別れ、子と別れ、妻と別れ、そして心に秘めた人を残し戦場に向かった若者達。その若者達に寄せる母の、妻の、そして恋人達の思いは、これらの歌群の中から相聞にも似た思いを滲ませながらも重く、静かに響いてくる。



 語りや言葉のもつ空しさや限界を心に刻みながらも、なおそれらを越えて伝えていかねばならないものがある。それを、この数ヶ月にわたる「綜合詩歌」誌との関わりの中で、特にその一般会員の歌群より痛感し、学ばされた。
 それは、戦時下という極限状況の中にあって、なお付け焼刃の一片も許さない英知と、人間の誇りとに自らの全存在をかけて、慎ましくもしたたかに生き抜いた少なからぬ人々の存在である。さらに、その人々の胸に静かに燃えていたであろう、愛するものを護ろうとする懸命な思いと、それを破壊しようとする者に対する、心からの憤りであり怒りの存在でもあった。



 怒りと哀しみ、葛藤の日々を重ね、それを乗越え前向きに歩もうとする人々の気迫を秘めた表情。それは、幾たびかの霜と、木枯らしの中でも打ちひしがれることなく凛と咲く、野菊の気高さに満ちた花の表情に重なっていく。
 そう遠くない時代、この野菊を摘みながらも愛する人に、渡すことすら叶わなかったおば達の、哀しい吐息と無念さを思った。夏の喧騒の去った信濃路は、その本来の静寂を取り戻し、晩秋の野辺には野菊の風がふいていた。
                       了
                  初稿掲載 平成19年11月10日

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「口語短歌・水曜サロンの会」(その8)

2021年11月03日 05時06分58秒 | 短歌
「口語短歌・水曜サロンの会」(その8)   短歌の投稿を歓迎します!!

 「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている
 皆様の詠まれた短歌を掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。

 短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、
 自由に短歌を投稿し、鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと
 思っています。皆様の投稿を歓迎します。

【運営にあたって】
 (1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
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「ブログ友の投稿歌 交流コーナー」

☆美しい 夏の陽炎 去っていく 
     悲しい恋を 忍んで涙
☆ひさかたの 夏の思い出 いまもなお 
     心に残る 愛の傷跡」
☆あなたとの 思い出残す 海岸を 
     今夜も一人 さびしく歩く
                 浅間山明鏡止水 (knsw0805)さん

【解説】
 「悲しみのラプソディ」と題した「口語2行詩」で、作者は「言霊の世界で冒険」を
 したと言われていますが、まさに冒険心に満ちた「挑戦」の短歌と思います。
 かつて、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」がトレンドになりましたが、
 ラプソディは、狂詩曲とも言いますね。この「狂」という字は、仏教用語では
 「面白おかしい」「絵空事」という意味がありますが、作者の冒険心と、詩人としての
 感性に拍手をおくりたいと思います。
 なお、作歌の次のステップでは「美しい」等の形容詞を、他の言葉で置き換える工夫を
 してみましょうか。一首目、「美しい」をかえてみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
★またも夢 夏の陽炎 去っていく 
          悲しい恋を 偲んで涙

☆国民の誹謗中傷攻撃し世界は二人のためにあるらし
☆国民のまつとうな疑義封殺し誹謗中傷と誹謗せし姫
☆国民の支へによりて存在の皇族いつか国民が敵
                          びこさん

【解説】
ご結婚された眞子さんの記者会見にまつわる、ホットな話題の三首ですが、
「まつとうな疑義封殺し」との表現は、多くの方の想いに重なると感じます。
「お二人の会見」内容は、これからもマスコミをにぎわせて行くことに
なるでしょうが・・・、静かに見守って参りたいと思います。

☆楽しみは端切れ集めて昼下がり家族の思い縫いつなぐとき
                          あんりさん

【解説】
 早速「独樂吟」に挑戦され、見事な一首に仕上げられましたね。
 「パッチワーク」は、「家族の思い出が詰まった古着や端切れ」を
 用いて、ふたたび「縫い繋ぎまた新しい思い出」を作る作業でもありますね。
 そんな楽しい想いを詠んだ短歌は、しっかりと韻も踏み「縫いつなぐとき」の
 結句が良いと思います。これからが楽しみです。

☆英文法
  必要ないわ
    あかちゃんは
   でも大人には
      最短の道
                          すずさん

【解説】
 英語教師でもある作者は「会話マスター」の王道を、短歌で示してくれました。
 曰く「大人になって語学を学ぶ場合は、英文法を学ぶことが、会話マスターには
 最短の道」とのことです。
 「道歌」という和歌が在りますが、道徳的な教訓や、仏の教えを短歌にしたものですが、
 このように「会話マスター」等への道歌があってもいいですね。
 再び語学を学ぶ方たちの啓発になるし、良き導きとなると考えます。

☆行く人の 背にもヒラリと 涼しげな
    空の青さに もみじが萌える
                          クロママさん

【解説】
 もみじは赤く燃えながら、既に散り始めていますね。そんな情景を良くとらえた
 短歌と思います。なお、「萌える」は若葉等が芽ぐむ場合に、主として使いますので、
 ここでは「燃える」を使って、少し整理してみましたがいかがでしょうか。
【ご参考】
★行く人の 背にもヒラリと 舞い散るや 空の青さに 燃えるもみじは



☆噴石が沖縄の海埋め尽くす漁業被害に心痛むよ
☆楽しみは植えて五年の初蜜柑色づくを待ち収穫する時
                          ものくろ往来さん

【解説】
 実がなるまで「桃栗三年柿八年」とよく言われますが、ミカンは約5〜6年と
 言われています。5年目に3つとは言え、先ず収穫が出来たことは嬉しいですね。
 まさに楽しみの瞬間を詠んだ、ほほえましい旬の「独樂吟」です。なお、一首目
 「漁業被害」への視点の確かさに、学んでいきたいと思います。

☆とりあえず寝ていようサバンナの昼下り
     風も少し出て来た
                          自閑 (jikan314)さん

【解説】自閑 (jikan314)さんご自身の解説です。
 YouTube短歌なるものを考案しております。題「ライオンは寝ている」、
 副題「緊急事態宣言解除」です。
 歌詞をそのまま使うと、著作権に触れるおそれがある為、ジャングルをサバンナに変えるなど、
 曲から受けるイメージのみを短歌にしております。
 新型コロナウイルス写真のコロナ冠のイメージとしてライオン、焼け付くサバンナの 昼下がりは
 感染爆発。新型コロナが、寝ている間にやっと私も安心して眠れるし、少し人々も心地よく
 流れていると言うものです。
 私自身が、そう思いながら作歌しただけですので、そのニュアンスすらありません。
 YouTubeをご覧になりながら、愚詠も笑覧頂ければ、幸いです。
 https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/45c62c57b05cf71d0a1cd2d57d997c8d
【補足】
 新型コロナウイルスの突起を、ライオンのたてがみに例え、感染爆発後の小康状態を詠った短歌は、
 「風も少し出て来た」との警告も含む、味わい深い自由律短歌と考えます。このような分野が
 広がっていくことは「短歌界」にとっても喜ばしい事と思います。

☆人生に 近道いくつ ありますか してはいけない したい気持ちも
          オライ&kencyanさん(上の句オライさん、下の句kencyanさん)

【解説】
 写真とのコラボ蓮歌も、新たな分野の開拓に繋がっていくことと考えます。
 お勧めにより、即興連歌に参加させて頂きます。
【参加詠】
★人生に 近道いくつ ありますか でも怖いわよ おいしい道は

☆かさかさと 一足ごとの 心地よさ
        落ち葉楽しむ 今日のこの道
                          さわやか♪さん

【解説】
 kenさんからのご紹介で、今回から参加された作者の、最初の作品です。
 散歩の途中の情景を詠われたとのことですが、動きのある爽やかな短歌と 思います。
 「挑戦するのは大好き」と言われる作者のこれからの健詠が楽しみです。
 「落ち葉楽しむ」を「落ち葉踏みゆく 心地よさ」として少し整理してみましたが、
 いかがでしょうか。
【ご参考】
★かさかさと 落ち葉踏みゆく 心地よさ
          風無き空に もみじ散り敷く


☆帰り咲く さつきひと花 楚々として 狂えるものの命愛しく
                         ポエット・M

【解説】
 艶やかに咲き競った酔芙蓉も中秋の日差しのもと、散り時を迎えていますが、初夏に
 鮮やかに咲き、散っていったサツキの花が、返り咲き楚々とした姿を見せています。
 「返り咲き」は「狂い咲き」とも言われています。楚々とした花から想像できない花の命が
 秘める凄み、狂気とも言えますが…を滲ませています。そんな花に寄せて詠んでみました。



「五行詩」「痛みの変奏曲」鑑賞 (9)

3.別れ (3)
   君ゆえに
    宗旨を変えて
     バッカスの
    信徒となりぬ
     深夜の酒宴
   
     君待てど
      君はきたらず
       白雪の
      桜花(はな)散るごとく
        降るが哀しき

      甘美なる
       君が声かと
        目覚むれば
       夜半吹く風の
        ただ泣くばかり
    
    岸壁の
     一歩手前で
      手を合わし
     空を仰げば
      母の顔顕(た)つ

     音もなく
      けれど確かに
       哀しみが
      心の壁を
        青白く塗る





【短歌入門・質問コーナー】
 この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでの
 ヒント、さらに質問、疑問点等にいて、触れていきたいと思います。
 皆様からの提案、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せいただければ幸いです。
 なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、
 反論、意見等もありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。
 それが学びに繋がれば嬉しいです。

【掛詞(かけことば)】
 掛詞とは、枕詞とおなじ短歌の修辞技法のひとつです。
 掛詞は簡単に言いますと「ひとつの言葉にふたつの意味をかける」ことです。

 ☆花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに (小野小町)

 小野小町のこの歌は、掛詞を使った最も有名な歌のひとつです。
 この「ながめ」には「長雨」と「眺め」が、また「ふる」には「降る」と「経る」が
 掛けられています。

 この歌を「長雨」「降る」で訳しますと…
  「美しい花の色はいつの間にか色あせてしまったことよ、いたずらに長雨が降り
   続いているうちに」このような意味になり
 「眺め」「経る」で訳しますと…
  「私の容貌も衰えてしまいましたよ。ぼんやりと世を眺めて物思いにふけている間に」
   このようにひとつの歌で、二通りの意味を持っていることになります。

 ただ、この歌もそうですが掛詞は明確に二つの意味に分けるのではなく、どちらもが密接に
 かかわりあって、一首の歌としての魅力を高めるようなものでなくては意味がないと思います。
 つまり掛詞とは、言葉遊びで単純に二つの意味を持たせればいいのではなく、
 二つの意味がお互いに重なり合って、一首の歌としての魅力を引き立たせるところに
 その真髄があるわけです。
 掛詞も枕詞などと同じで、簡単に使いこなすというわけにはいかないと思いますが、
 ひとつの伝統ある技法として知り、味わいつつ挑戦してみたいものです。



【記紀万葉とは】
 「古事記」「日本書紀」「万葉集」はいずれも奈良時代に完成したとされ、当時の出来事や、
 歴史的背景等を知るには欠かすことのできない文献です。3つとも原本は伝わっていませんが、
 後世の写本を経て、その内容については現代にまで伝えられています。

 古事記(こじき)
 日本最古の古典。現存するわが国最古の歴史書。神代の物語や、国の成り立ちにまつわる
 出来事を記した書物です。

 日本書紀(にほんしょき)
 わが国最初の勅撰の史書とされます。神代から持統天皇(697)年までの出来事などが 
 記されています。帝紀・旧辞、諸氏族の記録、寺院の縁起、中国の史書、百済の関係記録など
 当時の文献を幅広く参考にしまとめられました。

 万葉集(まんようしゅう)
 現存する日本最古の歌集で、20巻約4500首が収録されています。そのうち奈良の地名が
 詠み込まれた歌は約900首にも及びます。約100年間にわたり、天皇・貴族から兵士や、
 農民、防人等、さまざまな身分の人が詠んだ歌が幅広く採られているのが特徴です。
 奈良時代の貴族であり、歌人でもあった大伴家持が編纂に関わったと考えられており、
 最後の歌は759年に詠まれました。


コメント (25)
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