四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
写真とエッセーでつづって参ります。
お立ち寄り頂ければ嬉しいです。

ゆく夏の

2024年09月14日 14時02分52秒 | 日々の歩み

 「まだまだ暑いですね!」が、最近のあいさつ代わりになって、久しいですが、
暦の上で「白露」を過ぎても、未だ真夏日が続きます。
皆さんの所はいかがでしょうか。

 福岡県太宰府市では、40日間連続で猛暑日(最高気温35℃以上)が続き、
連続猛暑日日数の国内最長記録を更新しました。
東京では、これまでの真夏日月間最多記録は、2020年などの30日でしたが、
今年は、31日連続で真夏日は、観測史上初めてとのことです。


   ☆ゆく夏の哀しみあるや雲の峰 白露すぎても熱風はこぶ

 白露の「露」は、朝草木についた露が、日の光を受けて白く輝いて見える様子を
表しているようですが、ここ南関東の地では朝の景色として未だ見られません。
白露は本来なら、処暑のあと、秋分の前に位置し、秋の始まりを告げる節気の
一つですが、未だ真夏日の中にあります。

 この原因はエルニーニョ現象等、諸々あげられますが端的に申しますと地球温暖化
対策の遅れがあることは言うまでもありません。
CO2排出制限も含めて喫緊の課題として取り組まなければ、世界的に命の危機の
現出は言うに及ばす、経済活動も含めて重大な危機にさらされることは避けようが
無いと考えます。今回、ミャンマー、ベトナムを襲った大型台風11号もその一つの
現象と考えます。ロシアを始め、侵略戦争にうつつを抜かしている暇は、既にないと
感じます。

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酔芙蓉に寄せて

2024年09月08日 21時15分51秒 | 日々の歩み

 炎暑、酷暑という言葉で表現された、今年の夏も9月に入り依然として暑さはあるものの朝夕には、少し涼しさも感じる日々になってきました。
この季節になると、酔芙蓉が咲き乱れ色の変化に見とれることがあります。紫陽花のように梅雨をまといながら、淡い緑から濃い藍色へとじっくりと日にちをかけて変化する花に比べ、酔芙蓉は朝の白から、淡紅、さらに濃い紅へとわずか一日で変化し、夕べには散ってしまいます。


     「咲き競う 酔芙蓉 八重」

 数時間という短命の月下美人ほどではないにしても、ひと日花の定めを負う酔芙蓉の花の命も儚いと形容するには、あまりにも多くの物語を秘めているように感じます。
花の名前は、花色が変わる姿からお酒を飲んで酔ったように見えることが由来とのこと。花言葉には「心変わり」「しとやかな恋人」「繊細な美」「幸せの再来」などがあります。

 酔芙蓉の花と言えば、私達の現役時代に話題となった高橋治著「風の盆恋歌」があります。この著作については、かつて「水曜サロン」の歌友、夕庵さんも短歌に詠まれ、詞書で触れられておりました。
そこでは、物語を彩る重要な要素の一つとして、酔芙蓉が描かれています。越中八尾の風景の中に、酔芙蓉が咲き乱れる様子が描写されることで、その儚さ、美しさ、そして恋の情熱を象徴する花として、作品の世界観を深く豊かに表現しているかに感じました。

     「超然と咲く 酔芙蓉 八重」

 「あのね...幸せって、いいことなの?
  人間にとって、生きたって実感と、どっちが大事なの?」
 これは、20余年後の再開の際、主人公の一人えり子が都築に向かって発する言葉ですが…、心からの叫びとして感情移入してしまう、深い想いを秘めた言葉とも感じます。こんな言葉のやり取りも含めて、「死をともにしても良い」ほどの愛を知り確認し合った二人。ぼんぼりに灯がともり、胡弓の音が流れるとき、風の盆の夜がふけていきます。互いに心を通わせながら、離ればなれに20余年の歳月を生きた男と女。その二人が再開後にたどる、あやうい恋の道行きを金沢、パリ、八尾、さらに白峰を舞台に情感豊かに描き出しています。

 そんな物語を知ってか、知らぬか酔芙蓉は朝日を受けながら、超然として白い花を揺らしていました。

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お盆に集う

2024年08月18日 13時55分22秒 | 日々の歩み

 非常に強い台風7号は、当初関東直撃と予報されましたが、房総半島に接近したものの銚子市の東沖にずれ、私達の住む三浦半島は大きな被害とならずホッとしたところです。
ただ今回の台風は中心の気圧は950hPa、中心付近の最大風速は45m、最大瞬間風速は60mとかなりの大型のもので、このような規模の台風が今後も発生しやすい状況とのことで、今後一層の警戒が必要となります。今回の台風で被害にあわれた皆様にお見舞い申し上げます。

     「咲き盛る百日紅 薄紅」

 お盆休みの後半は、地震や、台風で落ち着きませんでしたが、そんな一日、お盆休みが取れたとのことで長男と次男家族が我が家に集合しました。正月や、五月連休では比較的休暇が一致し全家族が集まることがあるのですが、夏は、それぞれの休暇の調整が難しく三家族の集合は出来ないできました。今回も、全家族ではなく二家族でしたが、孫たちも含めて休暇の調整が出来たようで一緒に集まることができました。
 今まで、夏期は子供達と共に私と細君のふる里へ墓参を兼ねての旅行を計画してきましたが、今回は、炎暑と地震等への警戒から秋口へと変更しました。

     「咲き競う ブーゲンビリア」

 今回は、台風の影響で海はうねりも結構あり、さらに地震の警報等もあり海水浴は避け三浦半島の海辺のドライブと、依然として人気のあるポートマーケット等への買い物、食事等に出かけてきました。「いちご よこすかポートマーケット」は以前のblogでも触れましたが、今回は少し詳細に触れて見たいと思います。
 ここは、海に向かい合うようにして聳え立った、かつての巨大な冷凍倉庫に造られたマーケットで、さまざまな食材が行き交う拠点となっていたこの空間をリノベーションして生まれました。このマーケットの第一次立ち上げに経営企画の一員として関りを持った者として、現在の賑わいには感慨深いものがあります。
 フードエクスペリエンスは、ただ「食べる」だけではなく、横須賀や三浦半島の野菜や魚の旬を知り、生産者や料理人の知識と技術に触れ、心地いい環境に身を置いて頂くこと。さらに「いただきます」と心から言って頂ける場を提供することをコンセプトとしています。

 なお、廃棄される食材を無駄にせずに、循環させること、さらには自然への感謝がおのずと湧いてくるような、食の未来を描きだすことを目指しています。また、オーシャンビューのウッドデッキでは、いつでも誰でもお食事を楽しむことのできる工夫が随所に施されています。最近、この場所で横須賀出身のミュージシャンや地元のミュージシャンを中心に、ライブ演奏が週末に催され賑わいをよんでいます。このステージには私のかつての職場の同僚も、しばしば立っているようです。

     「いちご よこすかポートマーケット 内部一部」

 このマーケットでは、ビーカー入り手づくり焼きプリンで人気のマーロウ、横須賀ご当地グルメで有名な「ヨコスカネイビーバーガー」が、また「あがっとこ」とのお店では、三崎マグロや長井漁港で水揚げされた鮮魚など、三浦半島の海の幸がたっぷり詰まった海鮮丼を楽しめます。さらに、「長井水産」の直売店では、相模湾や東京湾で水揚げされた鮮魚をはじめとした魚介類だけでなく、三浦野菜など、生鮮食品を販売しています。

     「咲き競う 浜木綿」

 孫たちは、YOKOSUKA GELATO FACTORYのジェラートが大好きで、食事よりこちらがいいと言っており、細君は天然氷から作られたかき氷が美味しいと言っていました。道の駅とは少し趣を異にしていますが、食事のみでなく「食」を中心とした様々な情報に触れ、三浦半島をそして、東京湾唯一の無人島・猿島等の観光情報にも触れることができる「食のテーマパーク」的な役割を果たしていると感じました。

 折からの炎暑もあり外での行楽は控え気味としましたが、久しぶりに家族で集い長男、次男がシェフとなり、それぞれが得意料理で腕を振るった美味しい料理を味わうことができました。また、彼らも含めて孫ともゆったりと語らうひと時をもつことができ、短いながら「良きお盆」を過ごすことができました。

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「終戦記念日」に寄せて

2024年08月14日 11時07分56秒 | 日々の歩み

 8月15日が巡ってきます。この日には多くの方が深い感慨を持っておられることと思います。
もう10日早ければ、あのヒロシマも、ナガサキも無かったのに…、もう半年早かったら東京大空襲も、沖縄地上戦も無かったのに…、等々、諸々の想いと後悔、さらには悲しみ、苦悩、怒り、怨念・・・の想いが、それぞれの方の胸の内に渦巻いていることと思います。
 戦後に生を受けた私達ですら、その日に深い感慨を抱いていますが、私達より上の世代の方たちの感慨はさらに深いものがあろうかと想います。

     「むくげ 八重」

 ただ、誤解を恐れずに申し上げると、この日を境に私達庶民は「ゆえなく殺されることが無くなった」こと、そして命令により戦場に赴くことが無くなった事は事実と思っています。そしてその日から79年の歳月の中で、私達の国は戦争をすることなく今日に至っています。その戦争をしない、させない一翼を日本国憲法9条が担ってきたと改めて思っています。
 そしてこの条文を変えようとする数多の勢力と対峙し、条文の持つ意味を広く明らかにし、守り育ててきた多くの方たちの存在と、その粘り強い闘いがあったこと、そして今も続いていることを心に刻みたいと思っています。
 国の内外において、筆舌に尽くしがたい犠牲と、底の抜けるほどの苦悩と、哀しみの蓄積と引き換えに手を入れた日本国憲法。改めて申し上げることではないのですが、日頃交流のある若い世代の方達から少なからぬ質問もありましたので、くどい説明となりますが、少し触れたいと思います。
 私達の国の憲法は、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重の三原則が貫かれています。
国民主権は、国の政治の決定権が国民にあるという考え方です。国民が選挙で代表を選んで、その代表が国を運営をすることを明示しています。そこには選ぶ見識と責任、その結果を監視する責任も伴うことを明記したいと思います。平和主義は戦争を放棄し、武力による威嚇や武力の行使をしないという考え方です。さらに、基本的人権の尊重は、人が生まれながらに持っている、生きる権利や自由を大切にする考え方を言います。

 なお、憲法は、国民を縛るものではなく、むしろこの国の為政者を縛るものと考えます。この点の誤解が為政者の方に未だあることを憂いたいと思います。具体的には、憲法は国の政治の基本を定め、国民の権利を明確にし、国家の統治に関する規定を含んでいることを付け加えたいと思います。

     「夾竹桃 白色」

 ここでいう平和主義の根幹をなすものに、日本国憲法9条があります。この条文では戦争の放棄と、武力による威嚇や武力の行使を禁止しています。自衛隊は、あくまでも自国の平和を守るための存在であり、海外への武力行使は認められていません。さらに、戦争の悲惨さを二度と繰り返さないために、平和な国づくりを目指すことを明確に示しています。これらは、私たち日本人の暮らしや社会のあり方に深く関わっており、ロシアのウクライナ侵略の惨状、さらにガザでの殺戮が未だ続く中で、今もなお重要な意味を持ち続けていると考えます。
 なお、戦争の悲惨さに触れる際に「大東亜共栄圏」の名のもとに、中国、東南アジア、太平洋諸島など、多くの地域を侵略し現地住民の方々に多大な犠牲をもたらした事実と加害責任を、私達は日本国民として忘れてはならないものと考えます。

 昨今、自衛隊とアメリカ軍は、共同訓練の頻度や規模を拡大しています。複雑化する国際情勢の中で、有事の際に迅速かつ効果的に対応するためにとのことですが、両国の連携強化が「指揮系統の統合」という実態に向かっています。これらに対して、日本国憲法は国民主権を原則としており、外国の軍隊の指揮下に入ることは、いかなる理由付けをしようと、この原則に反することを改めて申しげたいと思います。


     「高砂百合 鎮魂の思いを込めて」

 縷々申し上げてきましたが、敗戦記念日を前に二度と再び「今を戦前にしない」との想いを込めて纏まりの
ない文を認めました。
 私達は、戦後に生を受けながらも、戦争と、その戦争のもたらした悲劇を目の当たりにして育った世代の一人です。戦争の悲劇と惨状を身をもって味わった私たちの父母たち、また私たちが青春時代に接した生きたくも生きられなかった被爆二世や、体内被曝の十字架を背負った友たちの、言葉に表現と切れなかった悲しみに満ちた想いの数々。その想いのひとかけらでも拾い、咀嚼し次の世代に伝えていく使命を私たちには課せられているとの想いがあります。
 改めて戦争に向かういかなる流れにも「否」というささやかでも、きっぱりとした声を上げ続けて行きたいと思っています。その意味で、2024年長崎市長も「平和宣言」で述べていましたが「一人ひとりは微力であっても、無力ではありません」の言葉通り、草の根の一人として微力ながらも声を出し続けたいと思います。

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百合の花束

2024年07月01日 17時12分25秒 | 日々の歩み

 今日から7月。早いもので能登半島地震で始まった2024年も既に半年が経過しました。
この地震は1月1日16時10分に、石川県の能登半島地下16 kmで発生した内陸地殻内地震でしたが、気象庁マグニチュード(Mj)は7.6であり、内陸部で発生する地震としては日本でも稀な大きさの地震であったとのことです。

 現在、災害関連死を含めた犠牲者は299人となり、未だ2200人以上の方が避難生活を送っています。石川県によりますと6月27日の時点で能登半島地震で、全半壊した建物を自治体が取り壊す「公費解体」は、2万800頭余りの申請に対して、完了したのは911棟と申請に対しておよそ4%にとどまっている状況とのことです。復旧の最初の一歩とも言える「公費解体」の一日も早い進捗が必要と考えます。
 能登半島地震で犠牲となられた皆様に改めて哀悼の誠を捧げるとともに、未だ避難生活を余儀なくされている皆様にお見舞い申し上げます。

 話は変わりますが、先日近くに住む息子が「仕事先で頂いた」とのことで、百合の花束を抱えてやってきました。自宅では飾らないので「お母さんへの贈物」として細君に渡してくれました。
 最近、我が家も仏花を除いて、生花は余り飾ることが無くなりましたが、沢山の、しかも豪華な百合の花束を抱えて細君は嬉しそうでした。大輪の百合が、赤、白、黄色と10数輪もあり、どう飾ろうかと思案に暮れる状態のようでした。大きな備前の鉢もあるのでそれに飾ることも検討しましたが、水替えが大変とのことで持っている花瓶を総動員して分けて飾りました。

 置く場所も玄関、リビング、寝室と分けて飾ったのですが百合の花の甘く濃厚な香りが部屋中に漂い、香りに酔う状態でした。
 咲いている状態を切り花として即届けられたようで、夏の暑さの中でも花は結構長持ちし、また、蕾も次々開花し、しばらくは見惚れる状態で、細君も嬉しそうに眺めていました。なお、白色の大輪の百合は「八重咲カサブランカ」と呼ばれるとのことですが、豪華な花で私も初めて見る花でした。

     「八重咲きカサブランカ」

 細君は、好みから言うと都忘れ等の楚々とした可憐な花が好きですが、今回の見事な百合の
大輪の花は嬉しそうに眺めていました。自宅では飾らず、花好きの細君に届けさせた息子のお嫁さんの心遣いにも感謝した次第です。

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新種紫陽花「汐音」

2024年06月23日 09時10分16秒 | 日々の歩み

 今回は県立観音崎公園に咲いている紫陽花の新種「汐音(しおん)」に
ついて触れてみたいと思います。

     「新種紫陽花 汐音」

 この紫陽花は、先にブログでも触れましたが…、この公園で新たに
作出され、2017年7月に命名されました。新品種は、咲き始めは白色で、
徐々に濃い紫に変わるのが特徴です。
 名前はあらかじめ公園が選んだ5つの候補から投票で「汐音」が最多で
決まったとの事。投票した方は「潮の音を聞きながら育つアジサイなので
ぴったり。字も響きもすてき」と話していたとのことです。

     「紫陽花汐音が 紫色に変わる前」

 園内にはガクアジサイや西洋アジサイなど約1万株が咲いていますが、
さらに観音崎のアジサイをアピールしようと、同園パークセンター前に
70株ほどの新品種が植えられました。

 この公園では、自生種のガクアジサイを見つつ森林浴や、うみの子とりで、
花の広場、三軒家園地、横須賀美術館をめぐるコースが人気で、約約40分程で
散策出来ます。
 なお、アジサイを眺めながら園内を歩くと、今の季節ボランティアの方が
丹精を込めて育てている山百合の群生に出会い、レンガ造りの砲台跡を
見つけたり、木陰から海が見えたり…等々の発見もあって自分なりのコースを
見つけるのも楽しみの一つです。

     「観音崎公園 花の広場」

 また、横須賀美術館の山の広場ではいろいろなアジサイが咲き、来場者の
撮影スポットになっています。皆さんも機会を作り梅雨のこの時期、観音崎
公園を訪れて見られたらいかがでしょうか。

      「白色のガクアジサイ 慰霊の想いを込めて」

 今日、6月23日は沖縄戦から79年となる「慰霊の日」です。沖縄県民の4人に
1人が命を落とした凄惨な地上戦の戦闘が終わったとされる日。沖縄県内各地が
平和への祈りに包まれるこの日。
 私達も歴史に学び、語り部の方々の胸の内から紡ぎ出される悲痛な叫びに
想いを寄せ、さらに、諸々の資料に遺された戦争の実態と記憶を胸に刻み、
「再び戦前にしない」想いを、改めて受け継いで
行きたいと思います。

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内視鏡検査へ

2024年05月12日 14時45分58秒 | 日々の歩み

 現役の時代、私は健保組合の計らいもあり、毎年人間ドックを受診し身体のチェック及び、治療等をタイムリーに行ってきました。しかし、リタイヤ後は自治体の検診プラスアルファ―等は定期的に行ってきましたが、検査項目から心もとなさも感じてきました。
 忙しさに忙殺される中で身体の不調等にも目を瞑ってきましたが、友人や、周辺の方々の近況を聞くにつけ、身体に若干の違和感もあり改めて細君とも話し合い、共々10年ぶりに大腸内視鏡検査を受けることにしました。先に細君が受診し、続いて二日後に私も受診しました。


     「ジャーマンアイリス 白紫」

 ここの病院は以前にも二度ほど受診し、その都度ポリープが見つかり、検診の際に切除して頂いた経緯があります。今回も違和感を訴え検診と、必要で有ればポリープの切除も依頼して検診に臨みました。この病院は軽く麻酔を使っての検診となりますので、辛い思いをすることなく検診から、ポリープ切除迄完了します。
 今回、細君も、私も5mmほどのポリープが見つかり、検診の際に切除して頂きました。10年もの間検診することなかったため心配していましたが、その程度の結果に終わりホッとしたところでした。

     「薔薇 湘南ファンタジー」

 経験された方はお分かりでしょうが、大腸内視鏡検査はその前段の準備も中々辛いものがありますが、結果として二人とも大過なく改めて安心したところです。友人たちの術後の辛さを伺っていた中で、この程度で済んで申し訳ない思いもしましたが、細君共々胸をなでおろして、その後しばらくは安静にして過ごしています。

     「ジャーマンアイリス 白」

 細君は、他の病院ですが、医師の診断結果から来週急遽胃カメラ検査も決まりました。これは検査結果に関わりなく手術ではなく、化学療法で対処可能と事前に医師から、私も伺っています。いずれにしても大事に至らないことを祈るのみです。
 細君は大病を患い、大きな手術を幾たびか経験していますが、何とか凌いで現在は、水泳等の好きなスポーツにも興じ、健康に過ごしています。それに引き換え、身体に一度もメスを入れたことの無い私は、健康管理に鈍感になっており、その都度注意されてしまっています。出来得れば二人とも、元気に過ごせるのが一番ですが、そのための検診も必要であれば身体チェックの一環として、嫌がらず臨んでいきたいと思っています。

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再び「あなたは虹」の曲を

2024年04月14日 09時57分18秒 | 日々の歩み

4月は旅立ちの時。多くの会社で、また学校で、新人の皆さんが大きな夢と希望を
胸に新たな「出発」を決意されたことと思います。
今日の朝日新聞の「天声人語」で、ノーベル賞作家バーナード・ショーの名言を
掲載していました。『若いときには「可能性という道路が広くどこまでもある」のを
わかってほしい』・・・と。この可能性を信じ、新人の皆さんには胸を張り自らの道を
切り開いていって欲しいと願わずにはいられません。

     「咲き満ちる 深山桜」 

一方、長く続いたコロナ禍で、その可能性を途中で打ち砕かれた多くの若者たちの
存在も少なからず生まれていることも事実です。
そんな彼らへ、少しでもエールになればと、かつて私のブログで紹介した
「あなたは虹」の曲を再度掲載したいと思います。

この曲は、私の現役時代プロジェクトや、周辺の若いメンバーたちへのエールと、
彼らには目の前にある厳しさをなんとか凌ぎ、辛くても「生きていて!」との
想いを込めた詞の一つを楽曲としたものです。この詞は、「母」の立場から
吾が子へのエールとして紡いだものです。

なお、「あなたは虹」の曲は、「ブロ友」Kenさんのご尽力、さらに、作曲・歌唱を
担って頂いたYokiさん、演奏を担って頂いた、じいじさんの懐の深さ、寛容さに
助けられ、楽曲公開の運びとなったものです。
Yokiさん、じいじさんが、それぞれユーチューブに公開しておりますので、二曲を
合わせて掲載させて頂きます。

Yokiさん歌唱
作詞:ショー・ジロー、 作曲・歌唱:Yokiさん、 演奏:じいじさん



じいじさん歌唱
作詞:ショー・ジロー、 作曲:Yokiさん、 演奏・歌唱:じいじさん


「あなたは虹」
                
 1.人の冷たい仕打ちに泣いて
   たとえひと時沈んでも
   生きていて!
   その思いは変わらない
   あなたは虹 私の希望
   ツンドラの凍てつく大地を
   切り裂いて 萌える双葉の
   たくましい
   命をあなたも宿してる
   信じてる 
   羽ばたく翼 磨いていると

 2.人の悪意に打ちのめされて
   たとえひと時倒れても
   生きていて!
   その思いは変わらない
   あなたは虹 私の希望
   水も無い砂漠の果ての
   サボテンに 芽吹き花咲く
   たくましい
   命をあなたも宿してる
   信じてる 
   羽ばたく翼 広げる時を

 3.人の酷さに傷つきながら
   たとえひと時篭っても
   生きていて!
   その思いは変わらない
   あなたは虹 私の希望
   核の火に半身焼かれた
   夾竹桃の それでも花咲く
   たくましい
   命をあなたも宿してる
   信じてる 
   翼を広げ 舞いゆくことを

   あなたは虹 私の希望
          了

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荒ぶ走水の海

2024年03月24日 18時39分08秒 | 日々の歩み

 春分の日も過ぎたのに、寒の戻りにも似た寒い日が続きましたが、
これは「花冷え」と言うとのことです。気温が上がり桜の開花時期を
迎えているにも関わらず、一時的に
気温が低くなることを指すとのこと。


      「咲き初める 椿」

 そんな日に、富士山の見える走水海岸に出向いてみました。通常ですと、
3月も
中旬を過ぎると、この海岸からはすっきりとした富士山を眺めるのは
不可能と
なりますが、当日は東京湾を隔てて眺めることができました。

     「東京湾の果てに見える冠雪の富士山」

折からの風速10mを越える強い風の中ですが、何とか白銀に覆われた
富士山の雄姿を
デジカメで撮ることができました。
 この状況を知ってか、お馴染みさんも含めて、カメラを構えた方が
海岸にはかなり
訪れていました。

     「波荒ぶ 走水海岸」

 強風にあおられ3mを越える波しぶきをあげる荒れ狂う海を見ていますと、
古事記に記された
倭建命の妃である弟橘媛の伝説が、ふっと思い浮かびます。
前にも、このブログでも
記しましたが…。

 倭建命は東国に遠征中、妻である弟橘媛を伴って走水(現在の東京湾・
浦賀水道)を渡ろうとしましたが、大嵐に遭遇しました。この危機を
救うため、弟橘媛は
「私の命を捧げ、海峡の龍神の心を鎮めましょう」と
言い、海に身を投じました。その辞世の歌が
 さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の
           火中に立ちて 問ひし君はも
でした。
 その結果、海は鎮まり、倭建命は無事に上総国へ上陸できたと伝えられて
います。
その後、弟橘媛が髪に挿していた櫛が近くの海岸に流れ着き、
それを拾った土地の
人々は弟橘媛の遺品と知り、御陵を作って手厚く
葬ったとされています。

 これは、神話の世界の話でありますが、弟橘媛の御陵は諸々の変遷を
経て、
この走水海岸の上の丘陵の一角に「走水神社」としてまつられ、
現在に至っています。
 そんな神話の世界も、さもありなんとする荒ぶる海の様子が目の前に
広がっていました。

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気になる食堂

2024年02月11日 19時58分06秒 | 日々の歩み

 過日、冬とは思えない温かな日差しに誘われて、観音崎公園の河津桜を眺めに細君共々行って参りました。
 この公園は、本ブログでも度々触れてきましたが、東京湾に大きく突き出した観音崎の岬の上に広がる海と山の両方の魅力をあわせ持つ自然豊かな公園です。ここは、花の広場をはじめ季節の花々に彩られ、散策には適した場所でもあります。
二つの海水浴場を抱える海岸から、55m~77mの標高をもつ丘陵の頂きまで、それなりのアップダウンに富んだ散策路となっています。

     「花の広場に咲き初める 河津桜」

 花の広場の河津桜は全体には2~3分咲きという状況ですが、多くの方がカメラを構えていました。また、日頃あまり見かけないお馴染みさんとも、結構お会いすることができました。菜の花も植えられていましたが、こちらは蕾の状態が多く、開花している花は少なめでした。あいにく雲が多く日差しが射さず花の撮影には苦労しましたが、ねばりつつ何枚か撮ってきました。

     「花の広場の菜の花と河津桜」

 当日は、河津桜と菜の花が咲き始めた花の広場の撮影は早々に済ませ、丘陵を下り、横須賀美術館を経て、気になっていた食堂を目指しました。

          「横須賀美術館 前景」

ここは、以前から気になりトライしながらも、長い行列が出来ていて幾たびかあきらめた「味美食堂」という食堂でした。

     「味美食堂前景 ネットより借用しました」

 食堂の比較的空いている時間とのことで、11:00の開店に間に合わせて訪れました。食堂には開店間際に入りましたが、既に先客が二つのテーブル席を占めており、私たちはカウンター席に座りました。
 既に、アジフライも一つのみしかなく、アジ刺身定食は12:00にならないと入荷しないとのこと。アナゴ丼とアナゴフライはあるとのことでした。「値上げしました」との張り紙がありましたが、アジフライ定食、アナゴ丼、アジ刺身定食等は1200円、エビフライ定食は850円と、かなりリーズナブルな値段でした。

     「アジフライ定食」

 私はアナゴが若干苦手のためエビフライ定食を、細君はアジフライ定食をそれぞれオーダーしました。日ごろアジフライ等は積極的に食べない細君が、アジフライを一口食べるなり「美味しーい!」と言いましたので、私も少し頂きました。朝どれの新鮮なアジで、しかも揚げたてのこともあり柔らかく、とっても美味しいと感じました。アジは大アジや金アジと言った、この地のブランドアジとのことで、美味しさは納得しました。エビフライは地のものでないとの説明もありましたが、丁寧な下処理も感じられ若干の硬さはあるものの、それなりに美味しく頂きました。


     「エビフライ定食」

 採れたての魚の新鮮さと美味しさを売りとし、フレンドリーな対応に徹するお店の方々。それ故に、いつも行列が絶えない店の実態に改めて感じ入り、漁港にしっかりと根を張った心意気の感じる、このような店がいつまでも続いてほしいと思った次第です。今度は子どもたちの家族と来ようと細君と話しつつ、お店を後にしました。

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