2024年のノーベル平和賞を、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が
受賞しました。
「未だ咲く 芙蓉」
ノルウェーのノーベル賞委員会は10月11日、日本被団協に今年のノーベル
平和賞を授与すると発表しました。ノーベル委員会は受賞理由について、
「核兵器のない世界を実現するための努力と、核兵器が二度と使用
されてはならないことを証言によって示してきたと説明しました。
その上で、被団協の活動について、「日本被団協は、数千件に
及ぶ証言を収集し、決議や公開アピールを発表し、毎年代表団を
国連やさまざまな平和会議に派遣し、核軍縮の緊急性を世界に訴え
続けてきました。
いつの日か、被爆者は歴史の証人ではなくなるでしょう。しかし、
記憶を留めるという強い文化と継続的な取り組みにより、日本の若い
世代は被爆者の経験とメッセージを継承しています。彼らは世界中の
人々を鼓舞し、教育しています。このようにして、人類の平和な未来の
前提条件である核兵器のタブーを維持する手助けをしているのです」
と評価しました。
「秋の陽ざしの中で未だ咲く 夾竹桃」
この受賞を聞き、このブログで前にも触れましたが・・・。
「夾竹桃は美しいけれど、たまらなく嫌いな花。なぜって、生きることを
強いるから・・・」と、 遥かな青春の日の友の呟きが甦ります。
長崎での体内被曝と言う重い十字架を背負いながらも、「はんなり」の趣き
そのままの楚々とした雰囲気をまとう女性であったその友。重い血液の病との
死闘の果てに、夾竹桃の咲く葉月のつごもりに身罷りました。
炎暑のもとで敢然と咲く夾竹桃は、つらい生を貫こうとする者へ、無言の
励ましを送っているようにも見えますが、時にはむごい鞭のようなしなやかさを
もって、生への希求を主張しているかに感じます。
夾竹桃は、人類史上初めてもたらされた一発の原子爆弾によって焼野原と
なった広島で、「75年間は草木も生えない」と言われながらも、いち早く
咲いた花でもあります。それは、瀕死の傷を負い、生き残った広島市民に
復興への希望と勇気を与えてくれたと言われており、市の花にもなっています。
重い血液の病を背負いながらも、「自分と同じ辛いめに合う者をこれ以上
作ってはならない。そして、ナガサキに続く原爆の被害を三度起こしては
ならない」との強い想いと祈りを秘めた、行動するキリスト者でもあった友。
その時代、既にニューロコンピュータ(人工知能・AI)の新進の研究者の
一人で、その研究に打ち込む傍ら、核廃絶の運動に真摯に取り組んでいました。
襲い来る激痛と、不安とによる死よりも惨い生をひたすらに、ひたむきに
生きた友。「十万を越える人々の死の代償として、この世に生を受けた私は、
その人達の分も一分でも長く生きなければ・・・。生きることが辛いなんて
言ったら、 天国へ行ったあの人達に申し訳ないわよね」との言葉と共に…。
また、「怒りを祈りへ」と、祈ることの深淵を血気盛んな私に教え諭した
方でもありました。 青春の真っ只中、研究室の片隅で出会ったその友の印象は
あまりに鮮明で、その友によって教えられ、切り開かれた世界は未だ私の中に
鮮明な映像として残っています。その友が取り組んだ「ニューロコンピュータ」の
研究課題は今、生成AIとしてコンピュータ等ICTの新たな革新的な扉を開けようと
しています。さらに、その後の研究で今回のノーベル賞の対象にもなっています。
「白い 百日紅」
この友は、赤と白の夾竹桃の咲き乱れる、夏の日に短い生涯を閉じましたが、
この友の想いと仲間たちの取り組みは、今回のノーベル平和賞ということで一つの
結実を見ました。
これは天国の友にも届いていることと思いますが、今の世界の現状をみると決して
楽観は出来ません。この受賞を新たな出発点として文字通り「核廃絶」に向けての
取組みを加速し、その手前の「核兵器禁止条約」の締結を、私達の国でも現実の
ものとしていく必要があると思っています。
この受賞は、核廃絶の運動に取り組みながら、その道半ばで逝った多くの方達、
そして生きたくても生きられなかった多くの方の想いと祈りも込められた賞で
あったと思っています。先ずは、手向けの花の一つとして「受賞の知らせ」を
天国の友に届けたいと思います。即興の一首と共に・・・。
☆祈りさえ無力に思える日々を経て 君が想いの結実を見る