12月に入って早8日。師走のイメージが日に日に色濃くなっています。
思えば、今日は日本海軍がハワイ・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃した日。
昭和16年(1941)12月8日、アメリカ太平洋艦隊の主力が、この奇襲攻撃で僅か
数時間で壊滅しました。その攻撃が、複数の空母から発艦した航空機によって
行なわれるという前代未聞の戦法に世界の軍関係者は瞠目したと伝えられています。
こんな史実を振り返るにふさわしい寒い日となりましたが…。
先週の日曜日、天候も良いことから久しぶりに三浦半島の西海岸沿いに細君と共に
ドライブに行き、帰りに佐島にある温水プールで目標としている1,800mほど泳いで
来ました。
泳いだ後の爽快感に浸りながら、細君の運転する車で帰路につきました。ところが
衣笠駅を過ぎたあたりで、突然対向車線から飛び込んできた車に側面衝突されました。
バーンという音と共に硝子がシャワーのように飛び散り、サイドミラーの破片が車の
中に飛び込み、細君の顎を直撃しました。
衝突してきた車はあっという間に視界から走り去りましたので、瞬間当て逃げされたと思い、
細君の怪我も心配でしたが、とりあえず車を止めてもらい大声で「当て逃げされたので、
その車を止めて下さい」と叫びました。
後ろから走ってきた車の方も降りてきて「相手がオーバーランして衝突したことは事実です。
私が証人になりますよ」と言って頂きました。
細君は口から血が流れており明らかに怪我を負っていましたので、その方に119番への通報と、
救急車の手配を依頼しました。彼は細君にも優しく声をかけてくれ、車を道の端に移動するよう
アドバイスもしてくれました。一方私は110番し事故位置を告げ「当て逃げされた」旨通報しました。
5~6分後警察官が駆け付けてきてくれ、現場確保と相手方の確保もしてくれました。
衝突してきた方は20代の女性で、逃げたわけではなく80mほど走った道の片側に車を止め、
衝突のショックで振るえていたとのこと。その方は、ショックで震えながらも、私の
ところへ来て「ごめんなさい、うっかり居眠りしてしまい大変なことをしてしまいました。
本当に申し訳ありません」と謝罪してくれました。
その後、救急車も到着し、細君の怪我の状況と、ぶつけられた時の様子を救急車の消防官に
説明し、治療の依頼を行いました。同時にディラーに勤務する息子に事故の概要と車の
レッカー搬送を依頼しました。実は車は激しい衝突にも関わらずエンジンがかかった為
私が運転して帰ると警官に申し上げたのですが、サイドミラーと、ガラスが飛ばされ、
運転席のドアが破壊された車の運転は認められないと言われたためレッカー搬送を
やむなしとしました。
所轄の交通課の警官の方々と、ぶつかった場所等を明示しながら実地検証に立ち会い、
相手の方の謝罪された文言、内容等も、交通課の警官の方にお伝えし、レッカー車に乗り
車をデイラーに搬送後、救急病院に息子と共に向かいました。
細君は、衝突のショックはあるものの冷静に事故を受け止めてくれ、唇の裂傷等の
治療に専念していました。幸運にも頭のCT、上半身のレントゲン等々の検査結果、
頭、胸部の骨折等の顕著な所見が無しとのことでした。
別途明日にでも口腔歯科と、整形外科の診察をと指示されて帰路につきました。
交通事故での診療とのことで、自費診療となりましたが、改めて治療費の高さを
認識しました。
当日の夜、細君は交通事故の衝撃、興奮から中々寝付けなかったようです。
細君の事故で、気もはり必至となっていましたのであまり自分のことには頓着
してませんでした。しかし、事故の翌日から勤務に就いたのですが、二日目に
首と肩が強烈に張り尋常でない自覚がありましたので、長男とも相談し整形外科を
受診しました。レントゲン等による診療結果頸椎捻挫とのことで、当面リハビリを
行うよう指示されました。
細君は破損したサイドミラーの直撃を右頬にうけ、奥歯の治療を余儀なくされ、
さらに整形外科の治療を並行して行うことになりました。整形外科のリハビリは
細君共々行うことになり、当面二人で治療に通うことになりました。
なお、車は気に入って乗ってきましたが、残念ながら全損扱いとなりました。