生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2010年10月17日 東海道散歩5(保土ケ谷宿、戸塚宿)イベント主催(その2)

2010年10月26日 | 東海道徒歩の旅
(その1はこちら


■問屋場跡
公用で旅をする人達の便をはかるため人足と伝馬を常備し次の宿場まで提供した継立業務、幕府の荷物や手紙を次の宿場に送る飛脚業務の他、大名の出迎えや宿場業務の監督等を行った事務所。




■高札場跡
幕府の御法度や掟等を掲げた施設で、隣の宿場までの荷物の運搬料金や旅籠屋の宿泊料等を細かく記載した高札も掲げられていた。宝暦13年(1763)に普請された保土ケ谷宿の高札場は幅2間半(約4.5m)高さ1丈(約3m)の規模だった。




■金沢横丁の道標
東海道と金沢道の分岐点、「金沢横丁」には4基の道標が並ぶ。金沢道には円海山、杉田、富岡など信仰や観光の地があった。


向かって右から1番目の道標は天明3年(1783)建立で、「円海山之道」「かなさわ・かまくらへ通りぬけ」と刻まれる。
2番目のは天和2年(1682)建立で、正面に「かなさわ・かまくら道」、左面に「ぐめうし(弘明寺)道」と刻まれる。
3番目のは文化11年(1814)建立で、左面には「梅の名所杉田への道」、正面には其爪の句「程ケ谷の枝道曲れ梅の花」が刻まれる。
4番目のは弘化2年(1845)の建立で、「ほうそう(疱瘡)神富岡の芋大明神への道」と刻まれる。


■本陣跡
本陣は勅使や、公家、大名、幕府の公用旅行者などが宿泊・休憩するための施設。保土ケ谷宿では代々苅部家が本陣職を務めた。苅部家は明治3 年(1870) に「軽部」姓に改姓、現在にいたる。本陣跡には当時を偲ばせる門や土蔵が残る。


門。


本陣復元想像図。


交差点の表示にも「本陣跡」と書かれている。


■脇本陣
本陣が混雑した際、本陣の代わりに休息・宿泊した施設。保土ケ谷には藤屋・水屋・大金子屋の3軒の脇本陣があった。


水屋跡。現在は消防出張所。


消防出張所にあった顔ハメ看板。


■旅籠本金子屋跡
江戸時代に栄えた旅籠。現在の建物は明治2 年(1869) の建築で、格子戸や通用門が当時の旅籠の雰囲気を伝えている。




■大仙寺
平安中期(970年頃)創建と伝えられる真言宗の寺院。本陣を務めた軽部家の菩提寺で、保土ケ谷区内で最も古い寺の一つ。






■茶屋本陣跡
大名や公家等が休息した施設。


茶屋本陣跡は住宅になっている。


■一里塚跡
日本橋から8番目の一里塚。平成18 年に小型の一里塚が復元されている。近くには松並木も復元されている。


復元された一里塚。


復元された松並木。


■上方見付跡
宿場の京都(上方)側の出入口跡。


復元された上方見付。土盛をした土塁の上に竹木で矢来を組んだ構造をしている。


■外川神社
明治2年(1869)保土ケ谷宿の湯殿山講中の先達が、この地に羽黒山麓の「外川仙人大権現」の分霊を祀ったのがはじまりで、境内にある道祖神は虫封じ・航海安全にご利益があるとされてきた。境内には、横浜市の名木・古木に指定されているケヤキがある。




ケヤキ。