(その2はこちら)
■大久寺
安土桃山時代・天正19年(1951)徳川家康の重臣で、初代小田原城主の大久保忠世が開基となった大久保家の菩提寺。日蓮宗。
大久保一族の墓所。正面に向かって右から大久保忠常(二代城主忠隣の嫡男)、忠隣(二代城主)、忠世(初代城主)、行忠(忠勝の次男)、忠勝、忠俊、行忠の娘の墓が並ぶ。
■居神神社
戦国時代初期の永正13年(1516)に小田原の北条氏に討たれた三浦荒次郎義意の霊と木花咲耶姫命、火之加真土神を祀る。境内には鎌倉時代末期の念仏供養碑等の古碑群がある。
古碑群。
■伝肇寺
浄土宗。鎌倉時代・正安2年(1300)創建。
みみづくの家跡。大正7年(1918)北原白秋が東京から小田原に転居、翌年には伝肇寺本堂裏に茅葺き屋根、3坪ほどのみみづくの家を建てた。大正15年(1926)に東京に移転するまで、詩歌、論文、小説などを盛んに発表、「あわて床屋」「かやの木山」等の童謡を世に送り出し華々しく活動した。
みみづくのベンチ。
みみづくの置物。
伝肇寺付属のみみづく幼稚園。
■板橋見附
小田原城下に入る東海道の西の出入り口。小田原宿の京都側の出入り口でもあった。東の江戸口見附と並ぶ主要な出入り口として厳重な構造を持ち、番所が設けられ常時通行が監視された。
板橋見附で東海道は右側へ大きく曲がる。
江戸時代後期の板橋見附の様子。当時は板橋見附を越えると東海道がL字型に曲がっていた。
■おまけ
板橋地区の東海道。
板橋地区の東海道沿いには古い家が多い。この建物は昭和初期の洋風建築。
昔から営業をしている豆腐屋さん。
明治35年(1902)に店舗兼住宅として建てられたもの。元は醤油醸造を行っていたお宅で、木の看板にうっすらと「醤油醸造」の字が見える。
昭和初期の建物。
■大久寺
安土桃山時代・天正19年(1951)徳川家康の重臣で、初代小田原城主の大久保忠世が開基となった大久保家の菩提寺。日蓮宗。
大久保一族の墓所。正面に向かって右から大久保忠常(二代城主忠隣の嫡男)、忠隣(二代城主)、忠世(初代城主)、行忠(忠勝の次男)、忠勝、忠俊、行忠の娘の墓が並ぶ。
■居神神社
戦国時代初期の永正13年(1516)に小田原の北条氏に討たれた三浦荒次郎義意の霊と木花咲耶姫命、火之加真土神を祀る。境内には鎌倉時代末期の念仏供養碑等の古碑群がある。
古碑群。
■伝肇寺
浄土宗。鎌倉時代・正安2年(1300)創建。
みみづくの家跡。大正7年(1918)北原白秋が東京から小田原に転居、翌年には伝肇寺本堂裏に茅葺き屋根、3坪ほどのみみづくの家を建てた。大正15年(1926)に東京に移転するまで、詩歌、論文、小説などを盛んに発表、「あわて床屋」「かやの木山」等の童謡を世に送り出し華々しく活動した。
みみづくのベンチ。
みみづくの置物。
伝肇寺付属のみみづく幼稚園。
■板橋見附
小田原城下に入る東海道の西の出入り口。小田原宿の京都側の出入り口でもあった。東の江戸口見附と並ぶ主要な出入り口として厳重な構造を持ち、番所が設けられ常時通行が監視された。
板橋見附で東海道は右側へ大きく曲がる。
江戸時代後期の板橋見附の様子。当時は板橋見附を越えると東海道がL字型に曲がっていた。
■おまけ
板橋地区の東海道。
板橋地区の東海道沿いには古い家が多い。この建物は昭和初期の洋風建築。
昔から営業をしている豆腐屋さん。
明治35年(1902)に店舗兼住宅として建てられたもの。元は醤油醸造を行っていたお宅で、木の看板にうっすらと「醤油醸造」の字が見える。
昭和初期の建物。