(その1はこちら)
■報徳二宮神社
江戸時代後期に活躍した、小田原出身の農政家、思想家の二宮尊徳を祀った神社。明治27年(1894)創建。
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柴を背負って本を読む、有名な二宮金次郎像。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/db/855f5c9faaee991fc3e6efc36879514a.jpg)
二宮尊徳像。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/d1/c03a509bc9b6139bf1b5cb6346a0d0de.jpg)
「経済なき道徳は戯言であり 道徳なき経済は犯罪である」。数多くの農村を立て直してきた実績を持つ人物の言葉は重みがある。
■御感の藤
樹高2.7メートル、樹齢約200年と推定されている藤。
江戸時代には小田原城二の丸御殿に鉢植えされていた大久保氏愛玩のもので、明治維新後、板橋(小田原市内)の森元氏に渡り、明治16年(1883)、浜町(小田原市内)の西村氏が買い受けて育てた。大正天皇が皇太子の頃、この藤の美しさに感嘆されたため、「御感の藤」と呼ばれるようになった。大正11年(1922)に現在地に移植された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/a9/04fb405ac3e7da8269a2813982dc4413.jpg)
花が咲いたらさぞかし見事な藤だろう。あしかがフラワーパークの藤を思い出した。
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藤棚の下には水仙が花盛り。
■郷土文化館
小田原の歴史、自然、文化に関する資料の展示、保存を行う施設。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/6d/df4d2721cce07d102ee0d08424c557ca.jpg)
■箱根口門跡
三の丸の門の一つがあった場所で、東海道からこの門を通り、お茶壺橋(小峰橋)を渡って二の丸に入るようになっていた。
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箱根口門跡の地図。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/e3/9b7a7c85b87de2edca31af8789ae5930.jpg)
箱根口門跡のそばの小学校。小田原城を意識した外観。
■小田原宿
日本橋から20里27町(約81.4キロメートル)の距離にあった江戸から9番目の宿場。前の宿場の大磯宿から4里(約15.7キロメートル)、次の宿場の箱根宿へは4里8町(約16.5キロメートル)あった。
天保14年(1843)の記録によると人口5,405人、家数1,542軒、本陣4軒、脇本陣4軒、旅籠95軒。
小田原宿の成立は慶長6年(1601)。小田原は関東の出入り口として重要な拠点で、戦国時代には北条氏、江戸時代には稲葉氏、大久保氏などの譜代大名の城下町として栄えた。小田原宿は神奈川県内で最大規模の宿場で、箱根の山越えや関所を控えた旅人で大変に賑わった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/f6/b6674064d98ff6d467be505a78adc296.jpg)
薬とお菓子を商っているういろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/d8/cecc63786399b86134abc69a21af711d.jpg)
古くから続く薬局。建物は大正14年(1925)に建てられたもの。東海道沿いには古い建物多し。
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小田原駅跡。明治29年(1896)開設の豆相人車鉄道、明治41年(1908)開設の軽便鉄道の小田原駅があった。
■報徳二宮神社
江戸時代後期に活躍した、小田原出身の農政家、思想家の二宮尊徳を祀った神社。明治27年(1894)創建。
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柴を背負って本を読む、有名な二宮金次郎像。
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二宮尊徳像。
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「経済なき道徳は戯言であり 道徳なき経済は犯罪である」。数多くの農村を立て直してきた実績を持つ人物の言葉は重みがある。
■御感の藤
樹高2.7メートル、樹齢約200年と推定されている藤。
江戸時代には小田原城二の丸御殿に鉢植えされていた大久保氏愛玩のもので、明治維新後、板橋(小田原市内)の森元氏に渡り、明治16年(1883)、浜町(小田原市内)の西村氏が買い受けて育てた。大正天皇が皇太子の頃、この藤の美しさに感嘆されたため、「御感の藤」と呼ばれるようになった。大正11年(1922)に現在地に移植された。
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花が咲いたらさぞかし見事な藤だろう。あしかがフラワーパークの藤を思い出した。
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藤棚の下には水仙が花盛り。
■郷土文化館
小田原の歴史、自然、文化に関する資料の展示、保存を行う施設。
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■箱根口門跡
三の丸の門の一つがあった場所で、東海道からこの門を通り、お茶壺橋(小峰橋)を渡って二の丸に入るようになっていた。
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箱根口門跡の地図。
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箱根口門跡のそばの小学校。小田原城を意識した外観。
■小田原宿
日本橋から20里27町(約81.4キロメートル)の距離にあった江戸から9番目の宿場。前の宿場の大磯宿から4里(約15.7キロメートル)、次の宿場の箱根宿へは4里8町(約16.5キロメートル)あった。
天保14年(1843)の記録によると人口5,405人、家数1,542軒、本陣4軒、脇本陣4軒、旅籠95軒。
小田原宿の成立は慶長6年(1601)。小田原は関東の出入り口として重要な拠点で、戦国時代には北条氏、江戸時代には稲葉氏、大久保氏などの譜代大名の城下町として栄えた。小田原宿は神奈川県内で最大規模の宿場で、箱根の山越えや関所を控えた旅人で大変に賑わった。
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薬とお菓子を商っているういろう。
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古くから続く薬局。建物は大正14年(1925)に建てられたもの。東海道沿いには古い建物多し。
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小田原駅跡。明治29年(1896)開設の豆相人車鉄道、明治41年(1908)開設の軽便鉄道の小田原駅があった。