生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2008年1月5日 茅ヶ崎散歩1

2008年01月08日 | 都外散歩
この日はとある散歩イベントに参加し、茅ヶ崎を散歩した。茅ヶ崎の散歩は初めてだったが、地元在住のガイドの方の説明でいろいろと茅ヶ崎の散歩スポットの情報を得ることができて良かった。


■茅ヶ崎駅

出発前にJR茅ヶ崎駅で茅ヶ崎の説明を受ける。茅ヶ崎は神奈川県のほぼ中央にあり、人口は約23万人。明治31年(1898)の東海道線の茅ヶ崎駅の開設をきっかけに平凡な漁村だった茅ヶ崎が別荘地として発展、戦前まで湘南有数の別荘地だったが、戦後は東京のベッドタウンとして発展、現在に至る、とのこと。駅北口には茅ヶ崎出身の有名人の手形のモニュメントがあった。


俳優・加山雄三の手形。


宇宙飛行士・野口聡一の手形。


■高砂(たかすな)緑地

高砂緑地は、別荘地時代の面影を残す場所で、明治30年代に新派俳優の川上音二郎の別荘となり、後に実業家の原安三郎の別荘松籟荘(しょうらいそう)」が設けられた。現在は茅ヶ崎市の所有で、園内には日本庭園がある。






高砂緑地は茅ヶ崎の梅の名所の一つ。


茶室。


水仙が咲いていた。


在りし日の松籟荘の主屋。昭和59年に老朽化により解体。


平塚らいてう「元始女性は太陽であつた」の碑。らいてうにとって茅ヶ崎は、夫の奥村博との出会いの地で、子育てや結核になった夫の介護をした思い出深い場所だった。


■山田耕作ゆかりの地


赤とんぼ作曲の地。山田耕作は大正15年(1926)にこの地に移り住み、昭和2年(1928)に名曲「赤とんぼ」を作曲した。


耕作の住まいがあった場所を示す看板。


■南湖院

東洋一のサナトリウムと呼ばれた結核療養所だった場所で、国木田独歩、坪田譲治等の文人や著名人も入院し、最盛期には2万8500坪の敷地に約60棟の建物が建ち並んた。現在は老人ホームになっているが、一角に明治32年(1899)に立てられた木造の病舎が残っている。残念なことにガイドの方の話では建物の取り壊しが検討されているとのこと。


病舎。もう使われていないものと思ったが、行事で使用されていた。




■サザンビーチ

有名バンド「サザンオールスターズ」の名を冠したビーチ。サザンオールスターズのボーカルの桑田圭祐は茅ヶ崎出身で、彼の作る曲には茅ヶ崎の地名や風景がしばしば登場する。


「♪ラララ…… 砂まじりの茅ヶ崎~ 人も波も消えて~」(「勝手にシンドバット」)。


「♪渚に埋めた涙には 秘密の面影思い出が~ 言葉じゃ言えない~」(「海」)。


茅ヶ崎のシンボル、烏帽子岩。姥島と呼ばれる岩礁帯の一つで高さ約14メートル。平安時代の貴族がかぶっていた烏帽子に似ているところから名づけられた。サザンの歌にもしばしば登場。「♪烏帽子岩が遠くに見える~ 涙あふれてかすんでる~」(「チャコの海岸物語」)「♪遠く遠く離れゆくエボシライン~ oh my love is you~」(「希望の轍」)


茅ヶ崎サザンC。茅ヶ崎の頭文字のCであるとともに、Cの右側の文字の切れ目の部分にカップルで立ってCを1つの円(輪)として完成させれば、縁(円)結びの輪となり、海の安全と平和を祈る輪となるという意味が込められている、とのこと。写真では分かりにくいがCの字のほぼ真ん中に烏帽子岩が見える。「♪あ ちょいとC調言葉にだまされ~ 泣いた女の涙も知れずに~」(「C調言葉にご用心」)。あ、この曲とは全く関係ないか(笑)。


(続く)


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2 コメント

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茅ヶ崎といえば (いちごパフェ)
2008-01-09 18:11:51
茅ヶ崎といえば真っ先に思い浮かんだのが、サザンでした。他に山田耕作や平塚らいてうが有名だったのは
ここではじめて知りました。東京だと日比谷シャンテにスターの手型ありますよ。茅ヶ崎にもあるんですね。
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いちごパフェさんへ (生姜ちくわ)
2008-01-09 21:34:24
私も真っ先に浮かんだのはサザンです。私も散歩で山田耕作や平塚らいてうが茅ヶ崎と関係が深い人物と知りました。その他芸能人だと加山雄三、上原謙等、文化人だと国木田独歩、開高健、城山三郎等が茅ヶ崎と関係が深いとのことです。

日比谷シャンテと違って茅ヶ崎のは写真の2つしかありませんでした。他はどこかにあるのかもしれませんね。
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