以前に読んだ内田樹さんの「街場のマンガ論」の中で、『男子が成長するためにはそれぞれ違うことを言う同姓のロールモデルが二人必要だ。』ということを述べている。父以外に叔父の存在が重要であるということである。『「人間とはかく生きるべきである」ということについて、相反することを告げる同性・同格の「おとなたち」の言い分をともに、正否の判断を留保したまま、受け容れることを要求される』中で子どもは成熟していくというのである。
「白洲家の流儀」を読み終わった時、内田さんのこの話をもう一度思い起こしたのである。著者の白洲信哉さんは小学校2年生まで祖父・次郎が建てた東京・赤坂の小さなビルで暮らした。1階が駐車場、2階に祖父の部屋、3階と4階が自分の家族、5階と6階が叔父一家という割り振りであった。祖父・小林は鎌倉、祖母の正子は「武相荘」と名づけた東京郊外の鶴川の家に暮らしていた。そして小学3年生になると祖父・小林の暮らす鎌倉に移ったという。そこを自由に行き来しながら信哉氏は育っていったわけだが、白洲次郎、正子、小林秀雄という強烈な個性を持つ祖父母とまわりに集う大人たちのエピソードーの中に“人間が成長していくとは”ということを感じることが多くあり、楽しく読ませてもらった。
私自身も、母方に3人父方に5人の叔父・叔母がいる。両親が働いていたこともあって、いろいろとお世話になった。また、人生の岐路などでアドバイスを受けたこともあった。また、言葉ではなく叔父・叔母さらに祖父母の“生き様”を通して学んだことも多くあったように思う。
父母だけではなく多くの親戚の目にかけられて育った自分は幸運であったと思う。子ども心に不可解で驚くような意見の衝突や摩擦を身近に見るというのもまた勉強なのである。
2月は“始動の月”。入試が本格化し、プロ野球のキャンプも始まり、目線が春に向いてくる。この季節感は大切にしたい。
「白洲家の流儀」を読み終わった時、内田さんのこの話をもう一度思い起こしたのである。著者の白洲信哉さんは小学校2年生まで祖父・次郎が建てた東京・赤坂の小さなビルで暮らした。1階が駐車場、2階に祖父の部屋、3階と4階が自分の家族、5階と6階が叔父一家という割り振りであった。祖父・小林は鎌倉、祖母の正子は「武相荘」と名づけた東京郊外の鶴川の家に暮らしていた。そして小学3年生になると祖父・小林の暮らす鎌倉に移ったという。そこを自由に行き来しながら信哉氏は育っていったわけだが、白洲次郎、正子、小林秀雄という強烈な個性を持つ祖父母とまわりに集う大人たちのエピソードーの中に“人間が成長していくとは”ということを感じることが多くあり、楽しく読ませてもらった。
私自身も、母方に3人父方に5人の叔父・叔母がいる。両親が働いていたこともあって、いろいろとお世話になった。また、人生の岐路などでアドバイスを受けたこともあった。また、言葉ではなく叔父・叔母さらに祖父母の“生き様”を通して学んだことも多くあったように思う。
父母だけではなく多くの親戚の目にかけられて育った自分は幸運であったと思う。子ども心に不可解で驚くような意見の衝突や摩擦を身近に見るというのもまた勉強なのである。
2月は“始動の月”。入試が本格化し、プロ野球のキャンプも始まり、目線が春に向いてくる。この季節感は大切にしたい。