毎年、近くの星田会館に春日野部屋が宿舎を構える。去年の3月11日の写真である。渦中の一人である、元前頭の春日錦(現竹縄親方)ののぼりが青空の下、皮肉にも気持ち良さそにはためいている。朝稽古の写真取材の時窓口になって親切に対応してくれたのが春日錦関であり、とても好感が持てただけに、連日の報道を見るにつけ複雑な心境になる。
星田会館の隣にある小さなスーパー“ニッコー”は大打撃であろう。ちゃんこに使う食材の量は半端ではなかった。この問題、どんな形で結着するか予測はつかないが、感情的に突っ走らず、冷静に対処していってほしいと思う。スポーツか?興行か?という二者択一の切り方ができない大相撲の歴史があるようにも思う。あのお気楽なメールのやりとりを読むと“馴れ合い体質”の土壌は深くあるのではないかと推察できる。その土壌の中で生活してきた力士の感覚と今の世の中の感覚との間に大きなズレが生じてきたのは事実である。相撲協会が既得権にあぐらをかいてきたという指摘は謙虚に受けとめる必要はある。しかし、すべてを否定するという極端な方向に追い詰めることには疑問がある。
星田会館の隣にある小さなスーパー“ニッコー”は大打撃であろう。ちゃんこに使う食材の量は半端ではなかった。この問題、どんな形で結着するか予測はつかないが、感情的に突っ走らず、冷静に対処していってほしいと思う。スポーツか?興行か?という二者択一の切り方ができない大相撲の歴史があるようにも思う。あのお気楽なメールのやりとりを読むと“馴れ合い体質”の土壌は深くあるのではないかと推察できる。その土壌の中で生活してきた力士の感覚と今の世の中の感覚との間に大きなズレが生じてきたのは事実である。相撲協会が既得権にあぐらをかいてきたという指摘は謙虚に受けとめる必要はある。しかし、すべてを否定するという極端な方向に追い詰めることには疑問がある。