素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

〈大槻能楽堂自主公演能ナイトシアター「蝋燭能」狂言:萩大名・能:船弁慶〉へ

2013年07月13日 | 日記
 退職後、縁と直感を元にして読書、町や街道歩き、寺社仏閣巡り、歌、演劇鑑賞など多くのものにふれてきた。一見バラバラみたいだが地下茎でつながっているようにも思える。そして能に達したともいえる。能舞台での狂言は何度か観たことがあるが能はまだなかった。普通の舞台で演じられた能は大正区のほうで2度ばかりあった。ようやくその機会が巡ってきた。
   やはり雰囲気が全然違う。船弁慶は白洲さんの「能の物語」で話の流れは頭に入っていたが謡の言葉は半分ぐらいしか聞き取れなかった。最初のうちは仕方ないだろう。家に帰って、上演詞章を読むと枕詞、懸詞などの修辞法が多く用いられていることがよくわかった。

 文楽では舞台上に電光掲示板を設置して目でもわかる工夫がなされているが、能ではその必要はないように思う。白洲さんは「お能は視覚(見ること)に重きをおいていますから、作者の創作によるものはほとんどなく、一般に知られている古典か、歌物語に題材を得ています。登場する人たちも、歴史的に有名な人物であるのは、よけいな説明を必要としないためです」と『能の物語』のおわりにで書かれている。

 私には古典や歴史的な素養が足りない。観劇することで逆に古典や歴史への関心が高まる。そういう付き合い方でいいのだと思うようになった。説明し過ぎることで見る側の想像力を衰退させるということもある。極端に省略された形こそ見る側の素養、想像力が試されるものではなかろうか。細く長くお付き合いしていこう。

 楽しい夜となった。 
コメント
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