食欲旺盛である。志摩に行っている間餌を与えられていなかったみたいで私が餌の入った袋を持って水槽に近づくと甲羅干し用の石の陰から大急ぎで出てきた。餌を与えられる状況は確実につかんだ様子。
少し意地悪になって写真などを撮ったりして餌をあげるタイミングを遅らせると側面に手をかけたりしてまだかまだかと催促してくる。生きる力の逞しさを感じる。
餌を入れてあげるとまたたく間に平らげてしまった。ストレス0といったところか。
本来動物に備わっている生きるためのメカニズムが前頭連合野の発達により不幸にも人間だけは作用しない時がある。しばらくおさまっていたいじめによる自死の問題が出てきている。低年齢化してきているように思われる。死を選択することは問題解決にはならない。ということへのアプローチが弱いのではないかと思う。私は20歳前後の頃に山本周五郎の小説を多く読む中でそのことを学んだように思える。
今、「八重の桜」は前半の山場である会津戦争であるが、スペクタクル性よりもその後の生き方にこそ深く学ぶ価値があるのではないか。八重やさき(捨松)など幕末の動乱を生き抜いた人間にもっとスポットが当たっても良い。



餌を入れてあげるとまたたく間に平らげてしまった。ストレス0といったところか。
本来動物に備わっている生きるためのメカニズムが前頭連合野の発達により不幸にも人間だけは作用しない時がある。しばらくおさまっていたいじめによる自死の問題が出てきている。低年齢化してきているように思われる。死を選択することは問題解決にはならない。ということへのアプローチが弱いのではないかと思う。私は20歳前後の頃に山本周五郎の小説を多く読む中でそのことを学んだように思える。
今、「八重の桜」は前半の山場である会津戦争であるが、スペクタクル性よりもその後の生き方にこそ深く学ぶ価値があるのではないか。八重やさき(捨松)など幕末の動乱を生き抜いた人間にもっとスポットが当たっても良い。