素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

今日の≪余録≫を読んでいて久々の「これだ!」経験をする

2013年07月29日 | 日記
 夏の節電対策としての緑のカーテンはずい分浸透して来た。私の通っているジムでも衣替えの季節ぐらいからプランタに植えたゴーヤーで緑のカーテンをつくり始める。去年はよく育ち立派なカーテンが出来上がった。

 今年も同じようにつくっているのだが途中から通るたびに違和感を感じるようになった。明らかにゴーヤーとは違う葉が目につきはじめたのだ。かぼちゃらしきものである。「変化をつけるために植えたのかな?」と思ったりしたが、育つにしたがいゴーヤーのほうは去年のような勢いはないし、カボチャはカーテンにならずプランター付近でグロテスクなものになってきた。現在はこういう状態になっている。
  最近は慣れて気にも留めずに歩いているが、頭の隅には「いったいあれはどういうことだろうか?」という疑問が居座り続けてきた。

 今日の余録はこうである。のんびりと読み始めた。

『「団地の狭いベランダでゴーヤーを育てている」。これと同じ一節を2年前の今ごろ、この欄の書き出し
に使った。その年のゴーヤー栽培は順調だったが、去年は失敗だった。▲ある朝の水やりの時、ふと見る
とゴーヤーとは明らかに違う葉が交ざっている。その葉は次第に数を増やしながら大型化し、黄色い大きな
花を順繰りに咲かせた▲「カボチャの花に似ている」と思ったが、丸い実がついてもすぐ傷んで落果する。
これを繰り返した後、ようやくゴーヤーを少し収穫したものの、食べてもうまくない。大きな葉は隙間が
多くて日照を遮る力が弱く、「緑のカーテン」も出来損ないに終わった▲失敗の原因は今年の挑戦前のネッ
ト検索で判明する。昨年買ったゴーヤーの苗は連作障害対策のための「接ぎ木苗」だったのだ。この場合
台木の芽を伸ばしてはいけない。そんな初歩の常識も知らず、まさに台木だったカボチャの花を眺めていた
のだから我ながら情けない▲・・・』
 「これだ!」である。頭の隅に追いやられていたジムの緑のカーテンが一気に頭の中いっぱいに広がった。連作嫌いとは聞いていたが、こんな手で回避していたとは知らなんだ!ジムの担当者は知ってか知らずか?今日は休館日だから明日にでも確認してみることにする。

 また1つ賢くなった。 
コメント
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