素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

   巨椋池の歴史

2013年07月07日 | 日記
 今の世の中の体制、倫理観で過去の歴史を見て判断をしてはいけない。ということを忠告されたことがある。そのことは人間社会の有り方だけではなく自然界においても言える。今見ている景色がと100年、500年、1000年前のそれぞれの景色は異なるものだという当たり前のことをついつい忘れてしまうのだ。

 そのことを強く意識の上に浮かび上がらせてくれたのが中沢新一の『アースダイバー』の一連の本。今読んでいる白洲さんの「能の物語」は能の主要な21の〈謡曲〉を〈物語〉として書かれたものである。その時白洲さんは3つのことを肝に銘じて書いたとまえがきにあった。
•間を大切にすること •お能を目で見るように書く •幽玄な雰囲気をこわさない

 そのために原典にはない風景描写が簡潔、巧みに織り込まれている。おかげで読み手である私の頭の中には物語の場面が浮かべることができる。伊勢物語、平家物語などから題材をとっている謡曲が多いので、馴染みのある場所の名が多く出てくる。「井筒」では大和平野、「鵺(ぬえ)」では住吉から摂津蘆屋などである。

 中でも「頼政」の舞台である宇治の描写がいい。琵琶湖から流れ出る唯一の河川である宇治川は現在のように南郷の洗堰も天ヶ瀬ダムもない時代には荒れ川として有名だった。自然の要塞としての役割を担っていたと考えれば伏見桃山城や平等院の立地に深く関わっていたことは理解できる。そして、私あ興味を抱いてきたのが巨椋池である。今でも南北方向に従来の国道1号と国道24号に加えて第二京阪道路、東西方向には京滋バイパスが通り交通の要所には変りないが、古くは木津川、桂川、淀川の合流点の上流にあたり広大な遊水地を形成していたという。ここほど時代とともに変貌を遂げたところはないのではないかと思う。

 白洲さんの「頼政」の物語を読みながら巨椋池のことを思い。いろいろ調べてみた。面白い映像を見つけたので紹介する。

巨椋池の歴史
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