素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

今、はまっている酒があります!

2011年02月23日 | 日記
 奄美大島の町田酒造の黒糖焼酎“里の曙”です。実家の文藝春秋の広告にあり、セブンイレブンネットで取り寄せました。便利な世の中である。4日ほどで送料なしで近くのセブンイレブンの店に届く。お湯割りで毎晩チビリチビリと飲んでいるのだが、すこぶる美味い!

 今日もほろ酔い気分で、月曜日に放映された「ギフト~E名言の世界」の録画を見る。今回は《経営  松下幸之助》である。松下幸之助を始め、企業経営者の名言が紹介された。見ながら、教育の世界に置き換える戯れ言で遊んだ。

 事業の原点は どうしたら売れるかではなく、どうしたら喜んで 買ってもらえるかである。 〈松下幸之助〉
教育の原点は どうしたら学力が向上するかではなく どうしたら喜んで 学んでもらえるかである

企業のトップは 昔は“えらい人”で務まっていたが、今は“プロ”でなければ務まらない。 〈飯田庸太郎〉
学校のトップは 昔は“えらい人”で務まっていたが、今は“プロ”でなければ務まらない。

会社の社長は もっとも問題を抱かえているところに いなければなりません。  〈カルロス・ゴーン〉
学級担任は もっとも問題を抱かえているところに いなければなりません。

信頼できる経営者は 一に誠実。二に先見性。三に健康。  〈伊夫伎一雄〉
信頼できる教師は 一に誠実。二に先見性。三に健康。

アタマは低く、 アンテナは高く。 〈鈴木三郎助〉  
アタマは低く、アンテナは高く、自省・問責はほどほどに。

企業は三十年。十年で金を残せ。次の十年で仕事を残せ。次の十年で人材を残せ。  〈牛尾治朗〉
教師人生は三十年。十年で力と知的財産を残せ。次の十年で仕事を残せ。次の十年で人材を残せ。

事業の進歩発達に最も害するものは、青年の過失ではなくて、老人の跋扈である。  〈伊庭貞剛〉
教育活動の進歩発達に最も害するものは、青年の過失ではなくて、老人の跋扈である。

ベテランと言われるようになった時こそ身の処し方がむずかしい。“らしく”生きるためには若い時の絶ゆまざる努力が不可欠である。                                               〈素浪人〉                                                       
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梅の季節となりました

2011年02月22日 | 日記
 新聞、テレビで梅情報がよく出るようになりました。ここ数日の暖かさで開花のほうもグッと進みそうです。我家のすぐ近くの“しだれ梅”も見ごろを迎えました。例年のことながらこの梅を見ないと季節の巡りを実感できない。

   高橋睦郎著『季語百話~花をひろう~』によれば、もともと私たちの祖先には文化的に花を愛ずる習慣を持たなかった。これを教えたのが大陸渡来の梅であり菊である。菊を根づかせようとした功労者は奈良時代の皇族政治家である長屋王である。しかし、藤原氏の陰謀によって謀反の咎で失脚する。それとともに菊は詩歌の主題から追放される。これに代わって登場するのが梅である。そして、自前の花が欲しくなって桜を発見し、春といえば桜となってきた。菊、梅以前の花といえば椿といわれている。花一つにも歴史がある。これから本格的な花の季節を迎える。毎年繰り返すことではあるが、自分の人生の積み重ねとともにまた見え方も変わっていくのだと思う。

 
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デジブック 『ぶらり 大原の里』

2011年02月21日 | 日記
寒さもゆるみ、3月下旬の陽気に誘われてシーズンオフの大原の里に出かけました。思いつきです。観光客もまばらで、ゆったりとした気持ちで巡ることができました。来迎院が一番良かったです。

デジブック 『ぶらり 大原の里』
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「環境フェスタin交野2011」の取材一日仕事でした

2011年02月20日 | 日記
 6回目となる「環境フェスタin交野」が“星の里いわふね”であった。9:30~16:30の長丁場なので、午前と午後とで分担していたが、午後担当の方が風邪をひいてダウンしてしまったので一日、写真を撮ったり、話を聞いたりすることになった。屋外ではエコマーケットや環境にやさしい飲食屋台が出たり、竹炭焼きの実演などで賑わっていた。

   

 体育室では40近くの地域、団体、NPO、学校、企業、行政などのブース展示があり、エコについての情報を発信していた。
   また、ステージでは和太鼓、ぬいぐるみショー、吹奏楽、環境報告、クイズ大会、チアリーディング、南中ソーランなどがあり盛り上がっていた。

      それでも、丸1日、エコに関する話を各ブースで聞き、屋台ではいろいろな取り組みについて聞き、ステージをすべて見て写真を撮っていくという作業はけっこう疲れた。3000人ぐらいの入場者があったそうで「環境・くらしを見つめる」1日としての意義はあったのではないかと思う。 

 




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諸田玲子著『お順』下巻より心に残った言葉

2011年02月19日 | 日記
 歯が回復したので集中力も戻り、一気に下巻も読み終えた。下巻は幕末の動乱から明治の混乱と否応なしに時代の波に呑み込まれた頃なので上巻とは趣きが違う。お順の兄である勝麟太郎(海舟)が頭角をあらわし東奔西走するのだが、兄に感心する一方で批判的な気持ちにもなっている順の海舟観を述懐した部分。

 兄は昔から言っていた。大切なのは忍耐だと。世の中はめまぐるしく動いている。もう少しがまんしていたら、高野長英は無傷で出牢できたかもしれない。吉田寅次郎は大手を振って渡米していたかもしれない。急いて事をし損じた者たちを身近で見て、ああはなるまいと肝に銘じたのだろう。
 謹慎させられれば即座に頭を切り換え、時間を無駄にしないよう、勉学に励んで本を書き上げる。出仕せよと言われれば、畏まりましたと出かけてゆく。なにごとにも抗わず、与えられた場所で全力を尽くそうとするのが兄の生き方だった。生涯、無役を嘆きつづけるあまり自棄になって放蕩三昧に明け暮れた父、小吉のあやまりをくりかえすまいとして、自ずと身につけた処世術だろう。
 そう、兄さまは臆病なのだわー。
 新たな発見だった。
 明朗で多弁で人たらし、怖いもの知らずで、傍若無人に見えながら、本当は兄ほど小心で用心深い男はいない。


 後に、順は兄が臆病であるのはまちがいである。と悟るのであるが、このあたりの下りは諸田さんの海舟観の変化が窺える。小説を書き始める前は海舟をあまり好きでなかったとあとがきにも書いている。勝海舟全集24巻などを読み解く間に感じ入ること大となり、スゴイ人と言い切るまでになった。妹の順を書きながらそのベースには海舟への思い入れが流れている。

 江戸城総攻撃を食い止めるために、山岡鉄太郎に捕虜をつれて駿府にいる西郷のもとに単身で乗り込ませ、その帰りを待っている時、麟太郎が順に語った言葉。

 「お順坊・・・・」兄の声で我にかえった。目を上げると、麟太郎がいつもとはちがう、真面目な顔で見つめていた。真面目だが、やさしい目だ。
 「島田先生は『剣は心なり』とよく言っていた。覚えてるかい」
 「はい・・・・」
 「政(まつりごと)も同じだ。カッとなったり、意地になったり、見栄をはったり・・・・心がどこにあるかつい忘れてしまう。だがナ、最後は心だョ」


 国内外の政治のニュースを見るたびにため息が出る昨今である。

 

 
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