素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

BS「雲霧仁左衛門」第2回

2013年10月11日 | 日記
 原作を再読していることを後悔してしまった。第2回の筋立てが原作とくらべて余りにも平板に改変されていることが目についてしまったからだ。原作ではもっと神経戦的な駆け引きとスリリングな展開があり、物語の世界にグッと引き込まれていっただけに「もうちょっと料理の仕方がなかったか?」と残念に思った。

 映像化されたものと読者のイメージに働きかける文字の世界を比べること自体が野暮であることは承知しているが、第1回との落差が大き過ぎたので思わず愚痴ってしまった。

 特に、七化けのお千代の内山理名はよくなかった。目での演技ができないと凄みは出せない。次回で原作の世界にどっぷりつかるか、本は本、ドラマはドラマと割り切っていくかが決まりそう。

今日の午後、ジムに行ったらスタジオレッスンの準備中であった。何となく熱気がちがうのである。何だろうな?とレッスンプログラムの一覧表を見ると『カキラ』となっていた。ほとんどのレッスンは無料であるが、これは有料レッスン。参加者の意欲が熱気となっているのだろう。有料にもかかわらず満員状態。聞けば、今一番流行っているとのこと。トレーニングの合間に外から見てみたがヨガともストレッチともピラティスとも違う優雅な動きに見えた。スタッフに尋ねると「関節の動きを高めるトレーニングで、今一番人気があるのですよ。やってみたらどうですか?」と言われたが、二の足を踏むスタジオ内の雰囲気であった。

 好奇心はあるので、KaQiLa~カキラ~の考案者・己抄呼(ミサコ)さんのサイトを覗いた。

 次から次へと新しいエクササイズができてくることに感心した。

 
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夕方、グランキューブ大阪メインホールでの♪キューバ情熱音楽♪へ

2013年10月10日 | 日記
 財団法人 民主音楽協会(民音)は2009年から、カリブ海に浮かぶ島々の個性溢れる豊かな音楽を紹介する「カリブ海ミュージック・クルーズ」をスタートし、第1回目のハイチ、第2回目のジャマイカに続き、3回目の今回は民音創立50周年、またキューバ共和国文化省特別派遣、慶長遣欧使節キューバ上陸400周年記念公演として、キューバから選りすぐりの演奏陣、歌手、そしてダンサーたちを招き、『カリブ海ミュージック・クルーズ「キューバ 情熱音楽」セサル・ロペス&ハバナ・アンサンブル』を2013年9月18日(水)より全国19都市で開催している。今日はグランキューブ大阪メインホールでの公演。

 17:45開場に合わせて、北新地から歩いた。四ツ橋筋から堂島川に出て川沿いの遊歩道を西に向かって歩く。玉江橋の手前に福沢諭吉誕生地碑があった。今、明治初年時の福沢諭吉と森有礼の教育論争を興味深く読んでいるところなので、オッと思った。
  玉江橋の次が堂島大橋。国際会議場(グランキューブ大阪)はその畔にある。
  グランキューブ大阪は大きい、最大2754名収納できるメインホールも立派。
  解説によれば、キューバは、歴史上スペイン、アフリカ、フランスなど様々な音楽の影響を受けてきた。音楽のジャンルは実に様々で1930年代にはソン、ルンバ、1950年代にはマンボやチャ・チャ・チャ、それ以降にジャズやサルサが世界的に流行する。1990年代にはアメリカのヒップ・ホップから誕生したレゲトンが国内で広まり、今日に至っては“クバトン”と呼ばれるレゲトンにキューバ音楽を加えた新しい音楽が誕生しているという。

今回来日したのは、キューバを代表する天才サックス奏者セサル・ロペスを中心とした、国内でも活躍する演奏家に、歌手とダンサーを加えた特別編成のハバナ・アンサンブル。キューバ音楽のエッセンスを詰め込んだ19曲、底抜けに明るいサウンドには体が動くし、哀愁のある響きには心が動いた。4人のダンサーの動きにはほれぼれした。

 キューバを最初に訪れた日本人が慶長遣欧使節団で、上陸400周年記念公演でもあると書いてあったので少し調べてみた。

江戸時代初期の徳川幕府は、対外政策や宗教政策において比較的寛大な姿勢を維持していた時代であった。そのため外国との交流に目を向ける大名も少なくはなく、仙台藩主の伊達政宗は1613(慶長18)年9 月にメキシコ、スペイン、ローマへ向けて家臣の支倉常長(はざくらつねなが)を遣欧使節として派遣した。世に言う「慶長遣欧使節」である。一行は石巻の月の浦を出航し、メキシコ、キューバ島を経て1614 年にスペインに上陸した。翌1615 年に常長はこの地で受洗し、国王フェリペ3 世(Felipe III, 1578-1621)に拝謁して政宗の書状を渡し、宣教師の派遣やメキシコとの貿易を求めた。さらに一行はその年の秋にローマに入り、教皇パウルス5 世に謁見し、政宗の書状を手渡した。同地で歓待は受けたものの、伊達氏が一地方の領主に過ぎないことから政宗宛ての返書は得られず、メキシコからフィリピンを経て1620(元和6)年に仙台へ戻った。

 しかし、常長が仙台を出発した3 ヶ月後の1613(慶長18)年12 月には、幕府からキリスト教を禁じ宣教師を追放する令が出され、仙台藩でも常長の帰国直前にキリシタン禁令が出された。このため、帰国した常長は帰国報告が終わると軟禁生活が続き、2 年後の1622(元和8)年に失意のうちに死去した。仙台藩は遣欧使節の顛末を幕府に報告したのち、この件を完全に秘めていたため、江戸時代を通じて明るみに出ることはなかった。時が移り、1873(明治6)年に岩倉使節団がヴェネツィアに赴いた際に常長の書状を発見し、常長の業績が評価されるようになった。

 歴史というものを改めて考えさせられることの多い昨今である。「歴史は1つではない」ということである。高校の歴史教科書の採択でややこしい問題が出ているが、いっそのこと2つの教科書を採択して、記述の違いを読んで考えればいいのではと思ったりもする。そこにはこれが正解という1つの答は存在しないかもしれない。そのことを許容しないと主体的に考える人間は育たないだろう。

 立場の違いは別にして、歴史を見る目を「単眼 」にしてきたのが今までの歴史教育である。これを「複眼思考」にすることが大切ではないだろうか。となると歴史のテストは根本的に変えなければいけない。そこまでしないと真の改革とはいえない。
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「大人の学力」とはこれいかに?

2013年10月09日 | 日記
 今日の朝刊一面で『大人の学力 日本トップ(読解力・数的思考力)~OECD初調査~』という見出しを見た瞬間目が点になった。「おいおいもうやめてくれ」というのが率直な思い。普通に考えれば測定できるはずがない「大人の学力」なるものを限られた範囲で限られた方法で調査したものにすぎないものをメディアが大々的に取り上げるべきでない。

 一昔前、知能指数(IQ)なるものが能力を語る時によく使われた。これも検査内容、方法でごく一部の能力しか測定されないということでいつしか主役の座から降りている。また、心の知能指数と言われたEQがもてはやされた時もあった。

 緊密な社会生活を営む人間が自分なり他者なりを知るために何らかの方法で数値化するという試みをすることは人間にとっては宿命的なものだと思っているが、「万能のものさしはない」ということをしっかり踏まえていないとあたかも権威のあるものとして数字が独り歩きをして害をふりまくことがよくある。

 学校における「学力テスト」が今一番害が出てきている。それと同じようなレベルで「大人の学力」を論じること自体笑止千万この上ない。

 問題を抱えながらも、日本の義務教育のシステムはよく機能していることは事実であるし、歴史をさかのぼっても平安時代の女流文学の質の高さ、江戸時代の知識欲の旺盛さなど国全体としての知的レベルの高さはOECDの調査などなくても自明のことで誇りに思ってよい。

 不毛の学力論争に子どものみならず、大人まで巻き込まれることだけは御免である。

 
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3ヶ月に一度の《Lookin'Body》の測定日

2013年10月08日 | 日記
 昨日ジムでスタッフの方から「明日は《Lookin'Body》の測定日なんですが、申し込んでいますか?」と声をかけられた。いつもは3ヶ月に一度の測定日を区切りにしてトレーニングしているのだが、8月末から9月いっぱい有酸素運動を長時間することができない状態が続いていたので《Lookin'Body》のことは意識からとんでいた。「1か月以上全く走ってこなかったから、体重や体脂肪率、内臓脂肪率は増えているに決まっているからどうしようかな?」と答えると「1か月以上ランニングできないなんてめったにないことですよ。そのことが体にどういう変化をもたらしたかを数字で見てみるのもいいんじゃないですか?」と言われた。

 自分の体を通して確かめていく派の私にとっては説得力のある言葉であった。「現実を直視するのもいいかな」と申し込んだ。

 今朝はジムに出かけるまでにひと仕事できた。栗の木が庭にあるSさんが落ちたいがぐりを新聞回収用袋いっぱいに届けてくれたのである。ごみの収集日だったので急いでくりを取り出すことにした。いがの痛さを時々味わいながらの作業、小学生の頃に柿や木の実を獲っていたことに思いを馳せたり、縄文人もこんな感じだったろうなとはるか昔の生活をイメージしたりと空想の世界にひたった。
 ザルに山盛りいっぱいになった栗の実をゆがいてからジムへ向かった。

 《Lookin'Body》の結果は、7月と比べて骨格筋量が0.2㎏、体脂肪量が1.8㎏増えた分、体重が2㎏増えていた。9月の過ごし方を考えれば思っていたより良い値であった。筋肉量をつけて基礎代謝量を増やせば「一生太らない体」をつくることができる。という石井直方さんの言っていることの正しさは体を通して納得できた。私の基礎代謝量は7月:1811kcal・10月:1816kcalである。石井さんの提唱されているスロートレーニングは続けていきたい。

 今回の測定で一番良かったことは、「部位別筋肉バランス」で、両腕、両足に比べて筋肉量の少なかった体幹部分が改善したこと。両腕、両足の発達率は106~109%であるが体幹部分だけは100%をずっと切っていた。ピラティスのレッスンに4月から週2回入り、インナーマッスルの強化に取り組んできたが7月は99.2%と100%に届かなかった。今回は100.9%とようやく超えることができた。やはり3ヵ月というスパンで地道に続けることの大切さをあらためて思った。
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教員公募制度

2013年10月07日 | 日記
 先日の新聞の一面に、『世界体操・床「シライ」成功 17歳白井 最年少V』の下に『大阪市 全校で教員公募・15年度にも小中異動で選考』を見た時、心の中にモヤッと感が湧いてきた。うまく言葉で表現できずスッキリしないままの状態が続いている。今、深刻な事態になっている中国の大気汚染の映像を見ると今の自分の胸の内と同じだなと思ってしまう。

 こういう時の一番の解消法はジョギング、散策。残念ながら今それができない。次が睡眠。しっかり眠れば思考は少しだけ整理できる。

 新聞によれば、大阪市教委は必要とする教員像や得意分野を校長が示して募る教員公募制度を全校で導入する方針を固めたという。来春は「英語教育」「習熟度別授業」などの特色がある100校(小学56・中学42・小中一貫2)で試験実施して2015年度には全429小中学校で実施するという。狙いは校長の人事権を広げ、教員のやる気を引き出すとしている。

 私は個々の学校で、学校長のリーダーシップのもと、地域や生徒たちの実態をしっかり把握して教職員とともに知恵を出し合って学校経営をしていくことが大切であり、それが地域に根ざしている公立校の役割りであると思っている。その点から言えば教員公募制度は以前から有ってもいいなと考えていたものではある。

 しかし、実施には多くの壁があるのであきらめつつ現役を終わった。まとまらないが思うことだけ列挙。

1つは、学校長の独立性の保障である。教育行政側の意にそわない学校運営を目指す学校長をも包み込む度量があるか?ということ。世界でも冠たる中央集権的な教育システムをつくり上げている日本である。私を含め多くの人が140年間に培われてきた学校観、教育観に知らず知らず縛られていることは否定できない。学校長を中心にした個々の特徴ある学校を容認する風土ができているかと問うとはなはだ疑問である。

2つめは、近年、中央集権化の回帰現象が強くなっていることを思うと果たして真のリーダーシップを持つ学校長が育っているのか?という疑問。自分の小さな経験からの話ではあるが、学校や生徒を見ている学校長が以前は多かった。良くも悪くも独立自尊の心がなければ教員公募はできないだろう。

3つめは、公立の壁。私立と違っていつまでも同じ学校に居ることはできない。学校長が1つの学校を創るとなると10年は必要である。公募で選出された教師を含め区切りを迎えるまで移動を待つことができるのか?裏返せばどの学校でも同じようことになれば人事の停滞ということが起こってくる。そこにはそこで問題が出てくる。公立のあるべき姿をしっかり考えないと混乱のみに終わるのではないか。

4つめは、教師のやる気は公募することで出るのか?ということ。やる気の源泉はもっと広く、深いように思う。これも自分の小さな経験からの話であるが、一期一会の精神とその場所を自分の居心地の良い所にしたいと思えばやる気は出る。

などなどである。

 台風が接近してきている。まさかの展開である。早く抜けてくれることを祈るばかり。

 
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