とても急で狭い参道を駆け上がり法山寺境内に入りました。鳥居があり〇〇大明神の旗がありお宮さんも同居です。服部擔風も訪れ義朝の死を悼みお参りしたとのことなので、何はともあれ散策することにしました。(10月20日撮影)
昔ここは潮が満ちてくる入り江でした。潮が引いた時に法山寺へのお参りに人はこの近くの橋を渡りました。源義朝が寺でだまし討ちにあったと聞きお付きの家来と長田家の侍がこの橋で争ったので乱橋と命名された伝説があります。
時あたかもNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が話題です。野間は源頼朝、義経の父の源義朝が側近の親戚のこの地の長田家に立ち寄り、長田家父子の裏切りに会い不慮の死を遂げた地です。義朝最期の場所が法山寺境内にあります。
愛知県の詩人、服部擔風(たんぷう)は明治初期から昭和にかけて活躍し、明治の元勲副島種臣、山形有朋等々その門下生は三千人ともいわれます。擔風が南知多の野間を訪れた時に詠んだ掲題の詩にちなむ場所を訪ねました。
三河湾に面した豊橋、田原、西浦そして蒲郡の港が合併して、三河港となりました。三河港は完成車の輸入台数と金額が日本一、輸出も台数、金額が名古屋港に次いで全国2位です。見ている間に巨大貨物船が何隻も行き交います。