岐阜市中心から長良川をしばらく遡った所の、高野山真言宗の岩井山延算寺東院を参拝しました。以前岐阜のソウルフードと言われる「味噌田楽」の岩井屋に寄った時、目の前にあった小野小町旧跡の文字が気になっていました。(5月27日撮影)
貞照寺建立の昭和8年に、門前の木曽川沿いに萬松園という別荘も建設しています。木曽川電源開発に力を尽くした桃介との思いを、当時はとんでもない山奥の田舎だった地に形として現わしたかったのかなと、墓前で感慨を深めました。
明治時代の華やかな芸能界で活躍し、川上音二郎亡き後福沢桃介にピッタリ寄り添って生きた貞奴が眠るにはやや華やかさが欠けるようにも思えます。もしかしたら、都会から離れ、緑に抱かれたこの場所の静かさを選んだのかもしれませんね。
本堂側面には八面の彫刻壁画が飾られています。いずれも貞女(貞奴)が苦難に面した時信奉する不動明王を祈念して加護を得た物語です。最後の八枚目には木曽川のダム建設で「桃介氏の為一身犠牲の念願を籠め難工事を完成せしむ」とありました。
お線香を香炉に立てた後本堂に進みますと、見慣れない漢字が表示されている立派なお賽銭箱がありました。真ん中の字は❝舟❞で、東京日本橋の小舟町を表します。貞奴はこの町の両替商の越後屋の子として生まれ育ったとのことです。
折からの大雨の中人影のない境内に入りお参りをしました。お寺さんではありますが、金剛山桃光院貞照寺と別称されるように女優引退後終生寄り添った福沢桃介の存在が意識のどこかにあるので、心なしか艶っぽい感じがするお寺さんではあります。