「是より北 木曽路」の碑です。地元の人に聞くなど少々苦労した末、見つけました。島崎藤村が68才の時の直筆を彫りこんであるとのことです。馬籠峠からここまでの行程はこの碑を区切りとして国道19号方面に向かいました。
信濃と美濃の国境の場所に江戸時代よりお茶屋と旅籠がありました。この場所に昭和25年から民宿・御休処の新茶屋が営まれています。新茶屋を目安にしてゆけば、木曽路の出発点や一里塚が見つかるとのことで中山道を南下ました。
明治時代の大火で、このあたりのほとんどは焼失しました。唯一焼け残ったのがこの本陣隠居所です。この二階で少年時代の藤村は国学者だった父から教育を受けました。その後文学者藤村の作品にたびたび登場する貴重な建物です。
父をモデルとした歴史小説「夜明け前」が生まれた背景を説明するなど、数多くの展示品を含め館内撮影禁止です。文化先進の長野県として日本初の藤村の記念館が開館し、以後の作家・詩人の文学館会館の先駆けとなりました。
受付前の塀に掲げてある藤村の自筆の言葉です。「血のつながるふるさと 心のつながるふるさと 言葉のつながるふるさと」。馬籠での講演会に集まった人たちに語り伝えたもので、信州木曽谷への深い思い入れがこもっています。
昭和27年長野県の小中学生と教員の寄付などにより藤村記念館ができました。島崎藤村は長野県出身の文豪として県民あげての支援でした。今は岐阜県に変わり信州人としては残念な思いがありますが、入ってみることにしました。