田毎の月は、長楽寺の背後にそびえている姨(おば)石の上から見下ろした棚田の風景とのことですが、そこから見下ろしますと、今はしっかり区画整理された田畑と、さらにその先に千曲川沿いの町が見えるのみです。棚田は南側に少し見上げる位置に今は広がっているようです。
お釈迦様が入滅された時、花が一斉に枯れ落ちた沙羅双樹の木の代わりに日本ではこの木を植えたとされています。満開一日でポトリと花全体が落ちるさまを見て、「沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす。」との有名な一文が生まれました。
天女や鳳凰など、お寺の天井画にふさわしいと思えるような絵がいっぱいです。どんな絵師がいつ描いたのか、などの説明らしきものは見当たりません。村人たちだけが守り続ける地方のお寺にもこんな知られざるお宝(?)があるんですね。
意外に思ったのは天井の升目ひとつひとつや欄間に色彩豊かな絵が描かれていることでした。ご住職と称するお坊さんがいるわけでもないお寺なので、下地の板目が見えているものもあったりして保存状態はあまり良くないようです。
あじさい祭りの時だけの公開で、初めてお参りしました。ご本尊の薬師如来様は目の病気に霊験あらたかとのことです。ただ、日々のお勤めがなされることはないらしく、ご本尊もその他の仏像もただ並べてあるだけです。棚の上のほこりは隠しようもありません。