服部擔風は「墳上の木刀苔錆のごとく 松陰の魂魄蟹名を留む」と吟じ、謀殺された義朝と磔にされた長田父子双方の遺恨が今だこの地に漂っているとしました。知多ドライブで訪れた野間の地に奥深い歴史がある事を知りました。
境内の一番隅にある「血の池」です。義朝の首をここで洗ったと伝えられます。擔風は「碧血地邊行客の涙 飛花地に満ちて又情を痛まむ」;首洗池の畦には今落花も悲し気に散り敷き訪う人の涙をそそっている。と吟じています。
境内に源義朝公ゆかりの地として原色の大看板が立っています。とは言えここは義朝には無念の地です。「海門終古怒涛の声 禍(わざわい)蕭牆(しょうしょう;身内)に起こって恨み今だ平らかならず」と擔風は詠みました。
野間大坊(だいぼう)は真言宗の寺院です。正面に建つ美浜町指定文化財の大門は、源義朝が謀殺されて30年後、上洛途上の源頼朝がこの地に立ち寄り立派な寺院が建ち、父が供養されていることを喜び、寄進したとされています。