戦後全校生徒が300名を超える時代がありました。廃校直前の平成3年には6学年で24名になってしまったそうです。
今月末までお休みしますのでよろしくお願いします。
先生の少し大きめの机、生徒の小さな椅子と机、それぞれがすべて木で作られていました。子供の頃は冷たく感じていましたが、今は逆に木のぬくもりが伝わってくるようです。
壁に張られた数枚の古めかしいカラー写真。そういえば音楽室はこんな風に怖い顔の楽聖たちの顔が並んでいたものでしたね。
赤ガンバレ!!白ガンバレ!!大玉おくりは運動会のハイライトでした。校庭に上級生から全員が並んで夢中になりました。
階段は静かに降りなさいと口を酸っぱくして諭されてもやっぱりかけ下りてしまいました。
木の目も鮮やかな廊下を雑巾がけした思いがよみがえってきます。
教壇の机の上で校長先生らしい貫禄の表情を見せてくれました。
廃校後からこの校舎に住み着いていた猫の「たかね校長」が校舎正面玄関で出迎えてくれました。
平成11年に廃校になった後は地域コミュニティの場となっていますが、子供たちの声が聞こえない校舎はやっぱり寂しいものです。
南信州の果て、伊那谷からもう一つ外れの谷合の遠山郷に今は廃校になった小学校校舎は建っています。一目見て、かってはこんな校舎に通ったとの思いがよみがえる景色に遭遇します。(10月16日撮影)
フォロー中フォローするフォローする