ブログUPを随分空けていたような~
俳句大会を無事終えて、
規約改正に係る文書を3通作成し
九州各県会長・事務局長に郵送して
菊文研の日帰り研修旅行に行って
韓ドラの時代劇が面白くて
「快刀ホン・ギルドン」や「100日の郎君様」等を一気観して
解放感に浸っていました。
その間、
添削の俳句仕事はきっちりとしていましたし、
『豈』66号も届きました。
『連衆』99号への俳句作品も書いていました。
『豈』には、
「私の雑誌」特集で小誌『We』も2ページ書かせてくださいました。
よかったら、本屋さんで購入できる?と思いますので
読んで頂きたいです。
さて、今日は、
早く菊文研の旅行時の写真を少しUPしておかねばと
やっとその気になって~
三由橋(みつよせばし、宇城市、1830年)
本来ならきれいな石組が見られたはずですが
草刈りが一週間後とかで、かわいそうなスガタ・・・
薩摩渡し(宇城市、1832年)
この橋でも、二俣福良橋(美里町)のように
季節によってハートの陰影ができるそうです。
霊台橋(れいだいきょう、美里町、
1846~1847年にかけて7か月間ほどで完成)
(この写真は今回のものではなく以前に撮影)
緑川本流に架かる日本最大級の単一アーチ式石橋。
昭和41年に、少し上流に鉄橋ができるまで、
車やバスが通る現役の橋として使用されていたそうです。
昭和55年に修理完了。
銅製の板碑に色々記載があります。
この橋について
今回の研修で初めて知ったことは
手前の袖石の先にある穴が
実は、森林鉄道のトンネル跡ということ。
昭和27年廃線により封鎖されたようです。
人手不足なのか財政難なのか
美しい筈の石橋が草にまみれていますね~
当時だったら
手永制度があったので惣庄屋の指揮のもと
道路や橋の工事・管理も上手くなされていたのでしょうかね。
資金は、惣庄屋の私財ではなく
手永会所に蓄えられていた会所銭
だったということでした。
引率は、県立古墳館の坂口副館長と矢野課長でした。
彼らは、こういう時は添乗員みたいに動いてくれますが
実はかなりの研究を積み上げてきておられる方々で
聞けば、通説や仮説、自説などお話してくださいます。
このつづきは、
今年、国宝に指定された通潤橋のことなのですが
「その2」でUPします。