第36回熊日俳句大会(2020・06)
<天賞の句>
百年の雑談を吾と秋の亀 吉良香織
「百年の雑談」とは、よくぞ言い切った。
スケールがでかくて素晴らしい。
亀との取り合わせも妙である。
(吉良さんは熊本県現代俳句協会会員)
入賞句のうち、共鳴句2句。
(ちなみに、課題は「戦争を詠んだ俳句」または雑詠となっていたようだ。)
選者は長谷川櫂氏。
真夏日の引き揚げ列車未知の地へ 遠山磨利子(地賞)
私の母は、新潟出身の父母を持ち、生まれも育ちも台湾。父は熊本出身だが、旧制中学まで熊本で修め、台湾台北の師範学校へ、そして彼の地で教員をしていた。母も同師範学校卒で同僚だったそうだ。祖母も教員をしていて、そのススメがあって結婚したようだが、敗戦で引揚。当然のごとくに父の故郷熊本の、田舎の農村地帯へと一家4人で引き揚げてきた。経済的にもこれまでの暮らしと大きく違い、熊本弁も分からない、本当に未知の地へ、3歳と1歳にも満たない幼子を抱え、23歳の母はやってきたのであった。母の心情が思われる一句だった。
亡き人と語りたい時草むしる 藤本淳子(秀逸)
私は草とりが嫌いではない。むしろ庭や家の周りの草をむしり、土をいじっている時は癒される。草むしる時間は、内省の時間でもあり、会えない人と語り合う時間でもある。
次の句は、逆選かなあ~
弾も切れ蛇まで喰らひ犬死す 中﨑公夫(入選)
「犬死す」はあまりにもキツい言葉だろう。これでは、戦争に駆り出された庶民の御霊は浮かばれないような気がする。逆説的な句だとしても、そのようには捉えにくい。
(令和2年6月8日付熊日新聞より)
昨日の17時15分前後、日食を観察して感動していた。
かなり欠けていた。
昨日はちょっと寒いくらいに涼しくて
時折強風も吹き、ちょっと異様な感じもあった。
日食グラスを持ってないので、何かないかと色々試し
昔の下敷きの代わりになるものを・・・・と
タッパーはダメでプラスチックの容器で観えた。
マイメガネは紫外線カットも入っているので大丈夫だろうしと。
(*特に黒色の下敷きは眼に悪いらしいのでお気をつけて)
その句は、年齢的なものがあるのでしょうか、
一番共感しますね。
黙々と草むしりながら
「亡き人」
そうですね~
父母のことを特に思いだし
問いかけたり
謝ったり
感謝したり・・・・
今度の日食は、緯度が低いほど
欠けが大きかったみたいです。
隣家の中学生の子が歓声を上げていましたよ。
終戦後10年経って生まれた身でも
隔世の感があります。
ネットの時代になって
情報量に差がなくなり、
平均的になったというか均質化したというか
方言も保存会が必要なくらいですね。
九州の私の地方では、
男の子の丸刈りは高校2年生の時から自由になりました。
亡き人と語りたい時草むしる
この俳句、沁みました。
文字になっていないところに自分を当てはめ同調してしまいます。
いつかはこーいうのと思いつつ・・・やっぱり感性ですかねぇ〜?
我が家地方は日食は見られませんでした・・・残念であります。
真夏日の引き揚げ列車未知の地へ 遠山磨利子(地賞)
物置やどっちもこちも疎開人
田舎は俺で「僕」東京さ (縄)
未知の地へ、大変だったことでしょう。
思い出しました、東京の人が沢山親せきを頼って・・・・。
田舎人は、頭を丸刈りで俺と言った、
疎開で来た人(東京人)は、僕と言い、坊ちゃん刈りでした・・・・・。
そんな時代がありました。
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