ブログを書こうと思った。
もう25時をまわった。
今日は、じゃないか、
昨日は玉名市立歴史博物館に行った。
俳諧資料の情報を得るために。
江戸時代後期の山鹿の連(れん)の名前と
そこに属するメンバー名を調べたいのだ。
しかし、欲しかった情報は得ることあたわず~。
それで、親切な学芸員さんが、
そういうのが載っているであろう「歳旦帳・肥後」について
調べてから連絡してくれるということになった。
博物館や図書館でしらべものをしたい時は、
職員さんたちに遠慮なく尋ねると、
有り難いことに色々とアドバイスをしてくれる。
同博物館では、
今「手紙展」という企画展示中。
量は多くはないが、
西南戦争で死んだ西郷小兵衛(隆盛の末弟)の妻や
宮崎八郎、池辺吉十郎、それから岩倉具視、陸奥宗光、井上毅など
ビッグネームの人物の手紙が展示されていて、
古文書解読や近代史に興味のある人にはおもしろい。
ちゃんと「釈文」がついているから、見比べながら読むことができる。
木下順二を知っているだろうか。
名作「夕鶴」などを書いた劇作家だ。
彼が、玉名に近い伊倉の出身だと最近知った。
そして、その家柄についても。
やはり、なんでもそうだろうが、
一代で築くことは大変なことで、知の蓄積があったんだなあと思った。
そして、知が蓄積するためには、富の蓄積も必要なのである。
そのまま帰るのは勿体無いので、玉名市内の芭蕉塚を見にいった。
「時雨塚」(明教寺)
「芭蕉翁 今日はかり人もとしよれ初しぐれ」
「秋風塚」(妙性寺)
「あかあかと日は難面も秋の風」
(難面・・・つれなく)
芭蕉50回忌頃(1743年)から、
「芭蕉に帰れ」と各地で蕉風復興の動きが始まり、
100回忌(1793年)頃まで続いたが、
その一環として芭蕉塚も各地で建立された。
芭蕉塚めぐりもおもしろい。
お寺の境内にあるところにはある!
あの赤穂17義士の遺髪塔のある日輪寺にも、
1766年に風斜という俳人が
「己が火を木々の蛍や花の宿」
という蛍塚を建立した。
長くなったから、このへんでもうやめる。
一杯やってから、寝ようかな。
明日は、じゃなくて、
今日は熊大の中の五高記念館で、歴史講座があるのだ。
早く寝ようっと!!
だんだん疲れてきたから誤字脱字あるかも。
ご容赦を。
もう25時をまわった。
今日は、じゃないか、
昨日は玉名市立歴史博物館に行った。
俳諧資料の情報を得るために。
江戸時代後期の山鹿の連(れん)の名前と
そこに属するメンバー名を調べたいのだ。
しかし、欲しかった情報は得ることあたわず~。
それで、親切な学芸員さんが、
そういうのが載っているであろう「歳旦帳・肥後」について
調べてから連絡してくれるということになった。
博物館や図書館でしらべものをしたい時は、
職員さんたちに遠慮なく尋ねると、
有り難いことに色々とアドバイスをしてくれる。
同博物館では、
今「手紙展」という企画展示中。
量は多くはないが、
西南戦争で死んだ西郷小兵衛(隆盛の末弟)の妻や
宮崎八郎、池辺吉十郎、それから岩倉具視、陸奥宗光、井上毅など
ビッグネームの人物の手紙が展示されていて、
古文書解読や近代史に興味のある人にはおもしろい。
ちゃんと「釈文」がついているから、見比べながら読むことができる。
木下順二を知っているだろうか。
名作「夕鶴」などを書いた劇作家だ。
彼が、玉名に近い伊倉の出身だと最近知った。
そして、その家柄についても。
やはり、なんでもそうだろうが、
一代で築くことは大変なことで、知の蓄積があったんだなあと思った。
そして、知が蓄積するためには、富の蓄積も必要なのである。
そのまま帰るのは勿体無いので、玉名市内の芭蕉塚を見にいった。
「時雨塚」(明教寺)
「芭蕉翁 今日はかり人もとしよれ初しぐれ」
「秋風塚」(妙性寺)
「あかあかと日は難面も秋の風」
(難面・・・つれなく)
芭蕉50回忌頃(1743年)から、
「芭蕉に帰れ」と各地で蕉風復興の動きが始まり、
100回忌(1793年)頃まで続いたが、
その一環として芭蕉塚も各地で建立された。
芭蕉塚めぐりもおもしろい。
お寺の境内にあるところにはある!
あの赤穂17義士の遺髪塔のある日輪寺にも、
1766年に風斜という俳人が
「己が火を木々の蛍や花の宿」
という蛍塚を建立した。
長くなったから、このへんでもうやめる。
一杯やってから、寝ようかな。
明日は、じゃなくて、
今日は熊大の中の五高記念館で、歴史講座があるのだ。
早く寝ようっと!!
だんだん疲れてきたから誤字脱字あるかも。
ご容赦を。
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