ドラマや小説・漫画もだけど、「人は幸せになる為に生まれてきた」が目立ちすぎる。
自分が幸せになるためだったら、「他人は不幸になってもいい」という言い訳を持つ事が出来る。
本当に幸福を考えるなら
「すべての人は、誰もを幸せにする為に生まれてきた」
こう言わなくてはならない。
これなら、他人の足を引っ張る事は、生まれてきた意味ではない。と、誰に対しても言える言葉になるから。
「誰かを」では、「誰かを救う為に誰かを排除しよう」となり、やはり差別する余地を残してしまう。
疑問や反論の余地のない言葉でしか、幸福は語っては行けないと思う。
自分が幸せになるためだったら、「他人は不幸になってもいい」という言い訳を持つ事が出来る。
本当に幸福を考えるなら
「すべての人は、誰もを幸せにする為に生まれてきた」
こう言わなくてはならない。
これなら、他人の足を引っ張る事は、生まれてきた意味ではない。と、誰に対しても言える言葉になるから。
「誰かを」では、「誰かを救う為に誰かを排除しよう」となり、やはり差別する余地を残してしまう。
疑問や反論の余地のない言葉でしか、幸福は語っては行けないと思う。