こんなこと考えました

ニュース・映画・本・電車の中の風景などなどで、感じたり思いついた事を不定期に書き込んでいきます。

とある川辺のワンシーン

2012-01-13 15:49:46 | Weblog
その彼を見たのは、夕暮れに近い,晩夏と早秋の狭間だった。
赤とんぼが舞うなかに1人川面を見ながら立っていた。
おもむろに右手をまっすぐに上げ,人差し指を伸ばした。
直ぐに飛びつかれ地一匹のトンボが指先に止まる。
彼はゆっくりと,ゆっくりと腕をおろし,トンボを目の前で眺めると,
ふっ と息を吹きかけてトンボを飛ばした。

後に、付き合うようになってからその事を尋ねてみた。
そのときは、時間や歴史は川のように,少しずつ移動しながら絶えず流れている。
人体の細胞も,食事のごとに少しずつ細胞が入れ替わり、肉体的には完全に別の物になる。
川・歴史そのものは,記憶すらしていない。が、土地や人が記憶していく。
人も,本人がではなく,他人が記憶してくれる事で,存在した事が証明される。
そう,父に言われたのだけど,何の事かわからなかったから川を眺めていれば、分るかもしれない。
と,あそこに居たそうだ。

彼の父は、考古学者なのか歴史学者ハッキリは教えてもらえなかった。
どっちも兼ねていたのかもしれないし,単なる歴史好きや考古学好きなだけかも知れなかった。
彼の言う事には,彼の父親がカッコを付けていった言葉が
「歴史・情報と言ってもいい。積み重なるのは、古いものの上に新しいものが、降り、重なるのではない。
古いものの下から,古いもの全てを,持ち上げながら立ち上がってくるのだ。
だから,新しい事をしようとすると,古いものが邪魔になるのだ」
「他の文明・情報とぶつからない限り,古いものから斜めに新しいのは伸びていくのが、流行というものだ」
「古い物が無くなるのではない。新しいものは違う方向に枝を伸ばしているにすぎない」
「十分な時間があれば,枝は幹にだってなれるんだけどな」

小学生の子供に、キャッチボールしながら言うんだぜ。分るわけないって言うの」
そんな彼は,私の旦那で歴史学者だ。
コメント
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