フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

Lecon 125 注釈と試訳

2007年10月09日 | Weblog
[注釈]
 * des mouvements non plus automatiques et pre'vus, mais impre'visibles et libres : non plus...mais ~ 「もはや…ではなく ~ 」
 * Telle est l'apparence. : 実は、Voila` ce que nous croyaons voir. の手前で、今回は区切りべきでした。というのは、この部分は、この後の論の展開と密接のかかわるところだからです。
 ベルクソンは以下しばらくのあいだ、当時の生理学・脳科学の知見に依拠した反論を予想してみせます。そうした立場からすると、意識が身体から自由であるという立場は、常識的なうわべ(apparence)だけをなぞった考えだとなるからです。もちろんベルクソンは、それでも魂の身体からの自律を説いてゆきます。
 
[試訳]
 まとめてみましょう。一方には、今という時に張り付き、空間の中で自らが占める場所に限定されている身体があります。それは、自動機械として振る舞い、外からの力に機械的に反応するものです。他方私たちには、空間においては身体を超えてはるか遠くまで広がり、時間を通じて持続する何かがあります。その何かが、もはや自動的で、予期された運動ではなく、思いがけなく自由な運動を身体に命じたり、課したりしている。どこからも身体を超え出ていて、自らを再創造しながら、さまざまな行為を創り出すこの何かが、自己であり、魂であり、精神なのです。精神とは正に、内に秘めたもの以上のものを自らから引き出し、受け取ったもの以上のものを返し、持てるもの以上のものを与える力のことです。以上が、私たちが理解していると信じていることです。これが一目で理解しているところです。
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 雅代さん、コメントの訂正についての助言ありがとうございます。こうした教室を運営していながら、ぼくは相変わらずのデジタル音痴です。またいろいろ教えて下さい。
 4回に渡って読んで来たベルクソンに関係する本をもう一冊紹介しておきます。最近 TVなどにも出演なさっている茂木健一郎さんの『脳と仮想』(新潮社)です。全 9章からなる essai ですが、第一章が「小林秀雄と心脳問題」、第九章「魂の問題」と題されています。読後ずいぶんと時間が経ってしまっているので内容に関する解説は出来ませんが、著者は大変広い人文的教養をお持ちの脳科学者です。寺田寅彦、斎藤茂吉、加藤周一、上田二三四、加賀乙彦などに連なる文人だといえるでしょうか。
 そういえば、今評判の、福岡伸一『生物と無生物のあいだ』(講談社新書)も未読ですが、今一番読んでみたい書物のひとつです。
 さて、次回からは趣向をがらりと変えて Pierre Pachet << Devant ma me`re >> を読むことにします。今回もテキストをみなさんにメールにてお送りします。10/17(水)までにはご用意します。少し時間が空きますが、しばらくお待ちください。また常連の方(?)以外であらたにテキストを希望する方は、smarcel@mail.goo.ne.jp までお知らせください。
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