[試訳]
子供の頃のわたしは母と一緒にいたがり、母の側を離れようとせず、母が行ってしまおうとするとダダをこねたらしい。後年、戦争が終わって間もない頃、しみじみと、あるいは独り立ちしようとするわたしをからかうように、人からそう言われた。
今は、わたしはもう母と一緒にいることも出来ないし、近くに、傍らにいることさえ出来ない。母の現在の状態で、母に会いにゆき、しばらく時間を過ごすなかでわたしに望めることは、わたしのことを本当には分かっていなくても、母がわたしの方を見てくれることだ。そうすれば母を前にして話しかけ、たとえわずかな間でも、会話のまねごとをする能力を呼び覚ましたり、食べるものを与えるができる。わたしは目の前の人物を母と認め、見つめ、耳を傾ける。好奇心と痛みを持って。奇妙な、非対称的な関係においては、この人物に時間を捧げることが求められている。以前は母とわたしの関係は、それと口に出さなくともユーモラスなものであったが、今はそうした関係はほとんど崩れ去り、とても古い人形(ひとがた)を、かすかな生気を感じながらも、それでも力強い時代がかった彫像を、わたしは前にしているように感じる。
* 冒頭の Enfant は、主語 je の説明と考えればいいのです。
** figure の訳はやりすぎかもしれません。
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Bienvenue et bonne continuation ! 丸子さん。気軽におつきあいください。
雅子さん、ぼくも時々 Province の番組見ていました。個人的には、世界遺産てんこもりのパリよりも、地方のフランスの方が好きだったりします。留学中の下宿も、パリ近郊の Clamart という町でした。近所の Meudon の森での逍遥が、何よりの贅沢でした。「ロバと女王」は見る機会に恵まれせんでした。
次回は p.8を最後まで読みましょう。
子供の頃のわたしは母と一緒にいたがり、母の側を離れようとせず、母が行ってしまおうとするとダダをこねたらしい。後年、戦争が終わって間もない頃、しみじみと、あるいは独り立ちしようとするわたしをからかうように、人からそう言われた。
今は、わたしはもう母と一緒にいることも出来ないし、近くに、傍らにいることさえ出来ない。母の現在の状態で、母に会いにゆき、しばらく時間を過ごすなかでわたしに望めることは、わたしのことを本当には分かっていなくても、母がわたしの方を見てくれることだ。そうすれば母を前にして話しかけ、たとえわずかな間でも、会話のまねごとをする能力を呼び覚ましたり、食べるものを与えるができる。わたしは目の前の人物を母と認め、見つめ、耳を傾ける。好奇心と痛みを持って。奇妙な、非対称的な関係においては、この人物に時間を捧げることが求められている。以前は母とわたしの関係は、それと口に出さなくともユーモラスなものであったが、今はそうした関係はほとんど崩れ去り、とても古い人形(ひとがた)を、かすかな生気を感じながらも、それでも力強い時代がかった彫像を、わたしは前にしているように感じる。
* 冒頭の Enfant は、主語 je の説明と考えればいいのです。
** figure の訳はやりすぎかもしれません。
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雅子さん、ぼくも時々 Province の番組見ていました。個人的には、世界遺産てんこもりのパリよりも、地方のフランスの方が好きだったりします。留学中の下宿も、パリ近郊の Clamart という町でした。近所の Meudon の森での逍遥が、何よりの贅沢でした。「ロバと女王」は見る機会に恵まれせんでした。
次回は p.8を最後まで読みましょう。