[注釈]
* mais non point (...) au terme d'un apprentissage laborieux : ナンビクワラでの「書くこと」の出現を話題にしています。そこでは、「書くこと」は、「一生懸命学んだ果てに」生まれたものではない。
terme という言葉は、よく使われる言葉であるだけに、その多義性には特に注意が必要です。ここでは、「期限、終わり」を意味しています。この言葉の持つさまざまな意味を、辞書で再度確認して下さい。
* Son symble avait e'te' emprunte' tandis que sa re'alite' deumeurait e'trange`re. : この文章全体の鍵になるセンテンスです。Son, sa は、もちろん、e'criture を指しています。
emprunte', etranger は、ここではほぼ同じ意味です。つまり、書くことの「象徴性」は借り物のまま機能していても、「その現実、実質」は、人々に無縁なままだ、ということです。このことの例証が、 Les villages ou` j'ai se'journe'… となっています。
* e'crire pour exercer son industrie : son industrie とは、scribe という仕事のことです。
[試訳]
ばかばかしいトラブルにまだ悩まされていて、よく眠れず、今日の物々交換の様子を思い出しながら、不眠をやり過ごしていました。そう確かに、ナンビクワラの人々の間に書くという行為が出現していました。けれどもそれは、想像とは違って、苦労して身につけた行為としてではありませんでした。書くという行為の象徴は利用されていたものの、その行為の本当のあり方は、ナンビクワラの人々には無縁のままでした。それは、知的なというより、社会的な目的のためにそうなったのでした。大切なのは、知ること、何かをとどめること、理解することではなく、他人を貶めてでも、ある者の、ある働きの、威厳や権威を高めることだったのです。石器時代に生きていた者はすでに気づいていました。何事かを理解する大きな手段が、それを理解しないままでも、少なくとも他の目的に利することが出来るということを。結局、何千年にも渡って、いや今日でさえ、世界の多くの場所で、書くという行為はさまざまな社会のひとつの制度としてありながら、その大部分の成員は自在に書くことは出来ないのです。私がかつて滞在した東パキスタンのチッタゴンの丘にある村々では、多くの人々が文盲でした。人々にはそれぞれ筆耕がいて、その者が、個人に対して、あるいは集団に対して書く仕事をするのです。みんなが、書くという行為のことは知っていて、必要に応じてそれを利用しているのですが、筆耕は外部から来たもの、外部の仲介者のようなものであり、その者とは話言葉で意思疎通をはかるです。ところで、その筆耕は役人や、集団内で雇われていることは稀なのです。つまり、筆耕の知識には権力が伴っているため、一人のものが同時に、筆耕の仕事と高利貸しを兼務していることが多いのです。それは、ただ生業のために読み・書く必要があるためだけではなく、筆耕が、つまり二重の資格で他人の頭を押さえる者でもあるためです。
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次回は、段落を新たにした後の alors que l'e'criture e'tait encore inconnue. までとしましょう。
* mais non point (...) au terme d'un apprentissage laborieux : ナンビクワラでの「書くこと」の出現を話題にしています。そこでは、「書くこと」は、「一生懸命学んだ果てに」生まれたものではない。
terme という言葉は、よく使われる言葉であるだけに、その多義性には特に注意が必要です。ここでは、「期限、終わり」を意味しています。この言葉の持つさまざまな意味を、辞書で再度確認して下さい。
* Son symble avait e'te' emprunte' tandis que sa re'alite' deumeurait e'trange`re. : この文章全体の鍵になるセンテンスです。Son, sa は、もちろん、e'criture を指しています。
emprunte', etranger は、ここではほぼ同じ意味です。つまり、書くことの「象徴性」は借り物のまま機能していても、「その現実、実質」は、人々に無縁なままだ、ということです。このことの例証が、 Les villages ou` j'ai se'journe'… となっています。
* e'crire pour exercer son industrie : son industrie とは、scribe という仕事のことです。
[試訳]
ばかばかしいトラブルにまだ悩まされていて、よく眠れず、今日の物々交換の様子を思い出しながら、不眠をやり過ごしていました。そう確かに、ナンビクワラの人々の間に書くという行為が出現していました。けれどもそれは、想像とは違って、苦労して身につけた行為としてではありませんでした。書くという行為の象徴は利用されていたものの、その行為の本当のあり方は、ナンビクワラの人々には無縁のままでした。それは、知的なというより、社会的な目的のためにそうなったのでした。大切なのは、知ること、何かをとどめること、理解することではなく、他人を貶めてでも、ある者の、ある働きの、威厳や権威を高めることだったのです。石器時代に生きていた者はすでに気づいていました。何事かを理解する大きな手段が、それを理解しないままでも、少なくとも他の目的に利することが出来るということを。結局、何千年にも渡って、いや今日でさえ、世界の多くの場所で、書くという行為はさまざまな社会のひとつの制度としてありながら、その大部分の成員は自在に書くことは出来ないのです。私がかつて滞在した東パキスタンのチッタゴンの丘にある村々では、多くの人々が文盲でした。人々にはそれぞれ筆耕がいて、その者が、個人に対して、あるいは集団に対して書く仕事をするのです。みんなが、書くという行為のことは知っていて、必要に応じてそれを利用しているのですが、筆耕は外部から来たもの、外部の仲介者のようなものであり、その者とは話言葉で意思疎通をはかるです。ところで、その筆耕は役人や、集団内で雇われていることは稀なのです。つまり、筆耕の知識には権力が伴っているため、一人のものが同時に、筆耕の仕事と高利貸しを兼務していることが多いのです。それは、ただ生業のために読み・書く必要があるためだけではなく、筆耕が、つまり二重の資格で他人の頭を押さえる者でもあるためです。
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次回は、段落を新たにした後の alors que l'e'criture e'tait encore inconnue. までとしましょう。