フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

「歩いても、歩いても」(1)

2009年05月13日 | Weblog
 [注釈]
 
 * La convivialite' passe par les paisirs de bouche. : ここは、大学の教室で聞かされる、自動翻訳機のような訳は見あたらず、みなさんのフランス語・日本語の理解力の高さがよく表れていました。
 * un porc assaisonne' d'e'chalotes et de fe`ves verts : 映画作品を見る限りでは、ミョウガと枝豆を一緒に口に運ぶところは見られなかったので、少し自由に訳してみました。
 * ses tempuras de mais frits : みなさんご指摘のように frits は不要でしょうね。

 [試訳]
 
 『歩いても、歩いても』- 夏のある日、悲しみと命の慈しみによって集う日本の家族
 横浜での家族行事。夏、息子夫婦が重たい足を引きずって、週末を過ごすために両親の家に向かっている。隠居した父は、診療所にこもったままで、息子たち、孫たちを迎える気の重さを隠そうともしない。それでも母は、食事の支度に一生懸命で、小うるさい夫の冷たさを和らげている。台所ではなんとも言えないいいにおい。ごちそうが並べられて場が和む。大根、にんじん、素麺、鰻、ミョウガと枝豆が添えられた豚肉、寿司、麦茶。食後にはシュークリームとスイカも控えている。母親は、トウモロコシの天ぷらに腕によりをかけている。娘に教えておきたい一品だ。

 けれどもこの気まずさは何だろう。一人家族に欠けているのだ。十五年前、父の診療所を継ぐはずだった長男が、溺れた男の子を助けようとして亡くなっている。この長男を偲んで毎年家族が集まるのだけれど、亡き者の影は重い。父は突然の息子の死を飲み込めないままで、次男は自分が大事にされていないと感じている。両親には、次男の選択が残念でならない。不安定な仕事、車もいらないというし、こぶ付きの女との結婚。冴えない男の妻となった長女は、そんな思いをよそに実家でくつろいでいる。彼女は両親の家を譲り受け、ここに居座る心つもりでいる。
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 同作品についていろいろ感じるところはありましたが、それはこの記事を読み終わってから綴らせてもらいます。ぼくより先に作品を見たフランス人女性は、濃い緑の影を踏みながら、老母・老父それぞれが一回ずつ、血のつながらない孫と歩く散歩のシーンの美しさに打たれた、とのメールをくれました。
 次回は、au cimetiere. までとしましょう。