[注釈]
* Je connais pas mal de Michel Serres : pas mal de... 「かなりの(数の)…」
* une faute de logique, re'gle'e par les mathe'maticiens. : ここの re'gler は「決める」の意味。つまり、「数学者によって決められた論理的な過ち」
* Cette erreur expose a` dire n'importe quoi. : exposer には、mettre qch. dans une situation pe'rilleuse という意味がありますから、「こうした過ちによって、(根拠のないことだって)何でも言えてしまう」という意味合いだと考えられます。ぼくもこの箇所で、躓きました。
[試訳]
セールと私の身分証明書には記されている。スペインでは、シィエラ、ポルトガルではセーラと言うけれども、これは山の名前である。フランス、スペイン、ポルトガルに限っても、たくさんの人がこの名で呼ばれている。ミッシェルの方はというと、もっと多くの人がこの名前を持っている。私はミッシェル・セールという名の人物を少なからず知っている。私は、ロテガロンヌ生まれの人々のグループに属するように、こうした名の人たちのグループにも属している。つまり、私の身分証明所に記されてあるのは、私の自己同一性などではなく、いくつかの私の帰属なのだ。他にも二つの帰属が記されている。私は身長180cmの人間であり、フランス国民に属する人間でもある。自己同一性と帰属をいっしょにしてしまうことは、数学者に言わせると論理的に誤りである。a が a であり、私は私というのなら、それは自己同一性で、a がある集合に属するというのであれば、それは帰属である。こうした誤りによれば、何でも言えてしまう。けれどもこの誤りは政治的な罪ともなる。つまり、人種差別である。
.........................................................................................................
『現代思想 11月号 大学の未来』に載っていた、岩崎、大内、西山三氏による鼎談を興味深く読みました。
「高等教育の公共性が曖昧になった原因は、先ほども話のあった高等教育費における私費負担の大きさにあると思います」
これは大内氏の発言ですが、思わず強く膝を打ちました。
ここ何年か、毎年新入生に、みなさんの保護者の方が支払わされている高騰を続ける学費は、日本のような先進国においていかに非常識な額かという話をしています。学生が属する家族集団が個々に高額な学費を負担させられているがために、「公共性」という視点が教育の場で見過ごされいます。
また、大学での4年間が、ひとり一人の学生の本来の資質、志向を二の次にして、高い学費の「元を取る」という目的のために規定されてしまっている様が、残念ながら年々顕著になって来ています。
ひるがえって、みなさんはいかに自由に、開かれて学ばれていることでしょう。
さて、次回は残りを読んでしまいましょう。
smarcel
* Je connais pas mal de Michel Serres : pas mal de... 「かなりの(数の)…」
* une faute de logique, re'gle'e par les mathe'maticiens. : ここの re'gler は「決める」の意味。つまり、「数学者によって決められた論理的な過ち」
* Cette erreur expose a` dire n'importe quoi. : exposer には、mettre qch. dans une situation pe'rilleuse という意味がありますから、「こうした過ちによって、(根拠のないことだって)何でも言えてしまう」という意味合いだと考えられます。ぼくもこの箇所で、躓きました。
[試訳]
セールと私の身分証明書には記されている。スペインでは、シィエラ、ポルトガルではセーラと言うけれども、これは山の名前である。フランス、スペイン、ポルトガルに限っても、たくさんの人がこの名で呼ばれている。ミッシェルの方はというと、もっと多くの人がこの名前を持っている。私はミッシェル・セールという名の人物を少なからず知っている。私は、ロテガロンヌ生まれの人々のグループに属するように、こうした名の人たちのグループにも属している。つまり、私の身分証明所に記されてあるのは、私の自己同一性などではなく、いくつかの私の帰属なのだ。他にも二つの帰属が記されている。私は身長180cmの人間であり、フランス国民に属する人間でもある。自己同一性と帰属をいっしょにしてしまうことは、数学者に言わせると論理的に誤りである。a が a であり、私は私というのなら、それは自己同一性で、a がある集合に属するというのであれば、それは帰属である。こうした誤りによれば、何でも言えてしまう。けれどもこの誤りは政治的な罪ともなる。つまり、人種差別である。
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『現代思想 11月号 大学の未来』に載っていた、岩崎、大内、西山三氏による鼎談を興味深く読みました。
「高等教育の公共性が曖昧になった原因は、先ほども話のあった高等教育費における私費負担の大きさにあると思います」
これは大内氏の発言ですが、思わず強く膝を打ちました。
ここ何年か、毎年新入生に、みなさんの保護者の方が支払わされている高騰を続ける学費は、日本のような先進国においていかに非常識な額かという話をしています。学生が属する家族集団が個々に高額な学費を負担させられているがために、「公共性」という視点が教育の場で見過ごされいます。
また、大学での4年間が、ひとり一人の学生の本来の資質、志向を二の次にして、高い学費の「元を取る」という目的のために規定されてしまっている様が、残念ながら年々顕著になって来ています。
ひるがえって、みなさんはいかに自由に、開かれて学ばれていることでしょう。
さて、次回は残りを読んでしまいましょう。
smarcel