フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

ピエール・ルパップ『恋愛小説の歴史』(2)

2012年02月22日 | Weblog
 まずみなさんにお詫びしなければなりません。今回もOCRでのテクストの読み込み精度があまりよくなく、いくつか不備がありました。それに関して、もう二点補足しなければなりません。
 * il ne subsiste que la jalousie, amour toujours imaginaires : la jalousie のあとにvirgule が入るます。
 * avoir de demi-relations charnelles avec elle : chamelles は、正しくは charnelles です。

 [注釈]
 * Amour changeantes, amours biaise'es : biaise' に shokoさんは「邪な」という訳をあてていました。これは見事な訳で、拝借しました。 もうひとついうと、amours mortes の mortes を「失われた」としたmidoriさんの訳も見事だと思いました。これも、いただきました。
 * <<J'ai plaisirs a` avoir...>>この『失われた時を求めて』からの引用部分は、やはり難しいですね。主人公は初め、バルベックという避暑地の浜辺を背景としそぞろ歩く少女たち(花咲く乙女たち)の姿に恋心を抱き、やがてそこからひとり一人の少女が分化(divid)するにつれて、その中の一人Albertine をパリのアパルトマンに「囲う」ことになるのです。

 [試訳]
 
 恋の代わりに、はかない、色とりどりの欲望の扇が拡げられる。移ろげな恋。邪な恋。消え去っても一瞬の偶然によって生まれ変わる恋。嫉妬しか残らぬ失われた恋。恋はまたつねに想像力の産物であり、例えば、語り手がこの腕にアルベルチーヌを抱きしめていてもなお、花咲く乙女たちみんなに感じるような、「不分割」の恋。「わたしはアルベルチーヌとなかば肉体的な関係を結んで楽しんでいたが、それは最初の頃にあって、今また蘇ってきた、あの年若い女の子たちの小さな集団に対してわたしが抱いていた、恋の集合的な様相によるものであった。」
 相思相愛は想像の産物であり、追いかけあうのに疲れた恋人たちがふくらませる幻想の力に応じて、長続きしたり、そうでなかったりする。性愛の想像力が利用するイメージ、それが語る神話、揺るがされる感情。そうしたものは私たちのアイデンティティーの現れではなく、社会生活が生み出したものである。恋は、いくつもの欲望が対峙する、その洗練された、社会化された形態でしかない。社会の抑圧が軽減され、あるいは私たちがそこから解放されると、欲望の暴力は残酷の極みに達する。ときにプルーストの中にはサド公爵が姿を見せる。
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 今、昨年大変話題になった大野更紗『困ってるひと』(ポプラ社)を読んでいます。上智大学でフランス語を学んでいた学生であった著者が、その後、タイ国境に多数いるビルマ難民の支援に深く、精力的にかかわるのですが、大学院に進学して間もなく、筋膜炎脂肪織炎症候群という難病に突然襲われます。その後の顛末を綴った一種のドキュメンタリーですが、語り口は「平成女子」らしくポップで、きわめてユーモラスです。ただ、ぼくは正直言って、やはり時に読み進めるのが辛くなりました。それでもその一方で、巻を置こうとは決して思いませんでした。
 少しだけ引用します。
 「ひとが、最終的に頼れるもの。それは、『社会』の公的な制度しかないんだ。わたしは、『社会』と向き合うしかない。わたし自身が、『社会』と格闘して生存していく術を切り開くしかない。難病女子はその事実にただ愕然とした。
 だが、その肝心の日本の社会福祉制度は、複雑怪奇な『モンスター』である。」(p.213)
 そのモンスターたる日本の矛盾に満ちた社会制度との格闘も、身につまされるように活写されています。
 昨年たくさんの書評が出た本書ですが、まだ未読の方は是非手に取ってみて下さい。
 それでは、今年は遅れそうな桜の咲く頃またお目にかかります。
 Shuhei