読者のみなさんに向けて、何か「年頭の所感」風のことを書いたほうがいいかなと思いながら、三箇日が暮れようとしている。
いろいろ考えてみたが、ほぼ『サングラハ』第132号の「近況と所感」で書いたことに尽きそうなので、少しだけ修正して掲載することにした。
去年の夏、香川に移転してきて、大げさに言えば生き延びるのが精一杯という感じの猛暑に見舞われた後、期待した爽やかな秋のいい季節は短く、急に冬になってしまったかと思ううちに暮になり、そして年が明けた。
好むと好まざるとにかかわらず、時は流れていき、「光陰矢の如し」、「無常迅速」を実感させられる。
振り返ると、去年の秋も、大型台風や記録的豪雨が続き、国内でもたくさんの被害が出た。それだけでなく、フィリピンも台風で厖大な数の方が被災されたと報道された。
異常気象は気候変動がどんどん進んでいることの兆候だが、ここまで顕著になっても、日本では全体としてそれほど危機感がないように見えるのが不思議でならない。
世論調査などを見ると、一言で言えば「不安感はあるが、それが危機感にはなっていない」ということのようである。
そういう状況は、日本人論として、自然災害も政治の不都合も同じように「なるようにしかならない」ものと捉えて「仕方ない(つまりコントロールできない)」と一方ではあきらめ忍従しながら、それでも「なんとかなるさ」と楽天的に日々を暮らしていくのが日本の「常民」であり、かたちは「市民」社会になった現代でも日本人の大多数は依然変わっていない、「常民」のままである、というふうに分析すれば、別に不思議ではないと理論としては割り切れるのだが、心情的には、それにしても不思議だという思いが拭えない。
日本も含む世界の主流は、あまりに無自覚的なままひたすらエコロジカルな危機・「茹で蛙」状態に向っているように見える。
報道によれば、それでもとりあえず景気はゆるやかに回復しているようだが、庶民には実感がない。
とはいっても、例えば若い世代の貧困は大きな問題であり、失業率‐有効求人倍率が少しでも改善しているのは、ないよりましの状況ではあるし、景気の回復が必要ないとはもちろん思わない。
けれども、現在の景気回復政策はエコロジカルな持続性をまったくと言っていいほど考慮していないので、筆者は根本的に疑問、というより否定的である。
目指すのならば、当面の景気回復にとどまらず、知識産業の発展につながる教育・福祉・環境への投資によって、資源やエネルギーの使用は少なく付加価値は高い商品を産み出すような知識産業を成長させ、その結果として雇用と財政の改善をもたらし、それによってさらに教育・福祉・環境政策を充実・成長させる……という好循環の社会システム=持続可能な社会システムでなければならない、と筆者は考えているからである。
そうしたヴィジョンを一日も早く多くの人が理解‐共有し実行‐実現できる日が望まれる。
その他、外交、防衛などまさに「内憂外患」の状況ではあるが、日本には『十七条憲法』や唯識‐大乗仏教といった英知の遺産が遺されているし、制度としてはほとんどトラブルなしに「政権交代」できる「代議制民主主義」があるのだから、やがて「常民・庶民」のレベルを超えて真の「市民としての国民」レベルに成長する人々も、そういう市民‐国民の代表としての政治家も徐々に登場してくるだろうし、そういう政治家たちが理念とヴィジョンの一致に基づいて結集した新しい政治潮流も創発するはずである。
今年が、そういう方向転換-創発の兆しがはっきり見えてくる一年であることを強く願うし、今年も個の内面と社会の内面、個の外面と社会の外面という4つの象限全体にわたって、自分に可能な最大限の努力を持続する所存である。
今年も、読者のみなさんのいっそうの理解・共感・支援・参加をお願いしたい。
今年もよろしくお願い致します。
学びを続けておられるご様子、すばらしいですね。
どうぞ、ご自分の言葉が創発するまで熟成してください。