第3の道から自律主義へ

2006年09月16日 | 持続可能な社会

 高度産業主義社会から自然成長型文明に突然転換するのは無理ですから、プロセスとしては、自由放任型の市場経済・産業主義ではなく、まずスウェーデンのような〈第3の道〉――経済的には自由・資本主義的に、分配-福祉の面では社会主義的にという――北欧型社会民主主義に早めに移行する必要があるのではないでしょうか。

 ほんとうに「持続可能な社会=緑の福祉国家」を創りたいのなら、そういう政治的決断が必要だと思います。

〔ソ連・東欧の崩壊以後、「社会主義」ということばのイメージがきわめて悪くなっていて、たとえ「北欧型」と但し書きをつけても、「民主主義」が後についていても、日本の大衆にすぐに「社会―民主―主義」こそ次の選択肢だと感じてもらうのはかなり難しそうだ、という問題もありますが、それは今後のイメージ戦略の課題でしょう。〕

 そして、やがて人類の多数が自らの内発的な自律的な欲求として自然成長型文明を選択するところまで行けるといいと思います。それを、私は〈自律主義〉と呼んでいます。

 自らの意思・内発性で自らを律するのを自律といいます。自由というのはほんとうはそういうことなのです。決して自らを滅ぼしてしまうような欲望に駆られて身勝手にすることが自由ではありません。自らをも人をも生かすことができるように、自らをすすんで律することのできる心のあり方を自律というわけです。

 これから人類は全体としては自律していかなくてはいけないし、その外面なかたちとしては自然成長型文明であり、そういう文明を心の底から望む人々の文化と集団、つまり内面がそういう外面とちゃんと対応して出来てくるという条件が調ったら実現可能だということです。

 この個人と集団の内面が調わなかったら、外面としての持続可能な世界―自然成長型文明もできないでしょう。いくらヴィジョンだけ描いても、「絵に描いたモチ」で、それを実行・実現する主体がないのですから。

 「誰か、やるべきだ、やってくれ」と言っても、今社会の主導権を握っている方たちの大多数は、多分やらないでしょう。

 幕末―明治維新の勝海舟などのように、既成の主流にポストをもちながら、新しい潮流を理解し協力するという方も少数ながらおられますから、希望はありますが、全体としては、残念ながら持続可能な=つまり無限の成長という発想を抜けられないようです。

 ですから、気がついた人間が始めるほかない、と私は考えているわけです。



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