学生たちの貴重な報告を紹介することによって、コスモス・セラピー=コスモロジー教育の効果について、広い社会的な信用を勝ち取り、教育の現場さらには社会全体に活用してほしいという気持ちで、このブログによる自主キャンペーンを続けています。
コメントなどで協力して下さっている皆さんに、心から感謝申し上げたいと思います。
今回は、3・11の大震災-津波を目の当たりに体験した学生の感想・報告です。
正直なところそうした深刻な体験をした人にコスモス・セラピーが有効かどうかは、これまで扱ったケースがほとんどなかったので、まったく見当が付いていませんでした(社会人で阪神淡路大震災の体験者がワークショップに参加されたことはありますが、残念ながら効果の追跡調査をすることはできませんでした)。
もしかしたら、単なる綺麗事、無責任な気休めのように聞こえるかもしれないという危惧はありましたが、600人を超す学生の一人なので、特別な配慮をすることはできませんでしたから、「どんな状況にある人に対しても、ともかく直球を投げてみるしかない」というのが率直な気持ちでした。
その結果、下記の学生の場合は、報告してくれた言葉の限りでは、しっかりと受け止めてくれ、それが大きな心理的癒しにつながっていると思われます。
被災された方々の状況や心の状況はきわめて多様なので、1つのケースだけで有効性を断定することはできませんが、コスモス・セラピーは深刻なトラウマ的な出来事に対しても心理的癒しをもたらすきっかけにはなりうる可能性があることは明らかになった、と私は考えています。
H大学社会学部1年女子
以上を踏まえ(筆者注:この前の部分で、彼女は「現代科学のどういうポイントがニヒリズム、エゴイズム、快楽主義を克服するのか」という課題に対し、4つのポイントをしっかりと把握したレポートを書いています)、我々人間は、宇宙・自然・動物、この世に存在するものすべてと「つながっている」「一体性」を感じることが重要である。
全てがつながっていると感じることは、「自分は1人じゃない」という意識が強く芽生えると思う。
私自身、昨年の大震災で被災をし、尊い命が一瞬にして失われるのを目の当たりにした。
「生きる意味」「自然の脅威」を心の底から考えさせられた。
津波によって全てを失い、自然を憎むことがしばしばあった。
しかし、先生の講義を聞き、憎んでも何も始まらないことを学んだ。
人間と宇宙、人間と自然、様々な支えによって我々人間は「生かされている」ことを忘れてはいけない。
「生命の尊さ」を教えてくれた自然の脅威、ひいては、この世に存在するすべてのものに感謝したい。
*先生の講義を受けて、自分の生きる意味を再認識することができました。本当にありがとうございました。
他の大学のアンケート調査のコメント欄に「先生は学生のウソを見抜くことができますか?」という意味深長な質問を書いてきた学生がいます。
確かに、評価を少しでも上げてもらいたくて、明らかにお世辞だとわかる感想を書いてくる学生はいます。
しかし、課題に対する解答のほうがまったくできていない場合、お世辞であることは簡単に見抜けます。
また、解答がしっかりしていても、もしかしたら少し誇張しているのではないというものもあります。
しかし、単に知識的・理論的にだけではなく、心情的にも深く理解している、とこちらに感じさせる解答の後に書かれた感想は、もしお世辞だとしてもそれは信じることにしています。
上記の女子学生の場合、体験があまりにも深刻なので、お世辞やウソの感想を書くことができるとは思えません。
彼女のケースに関して、コスモス・セラピー、というより宇宙・コスモスそのもののメッセージは、きわめて深刻なトラウマ的体験についても深い癒し効果があったと信じていいのではないでしょうか。
彼女自身は特にどこがとは書いていませんが、私の推測では「死んだらすべては無になって終わり」ではないというメッセージが大きかったのかもしれません。
人間は、生まれる前も宇宙の一部、生きている今も宇宙の一部、死んでからも宇宙の一部であり、死はある意味で宇宙への帰郷です。
そして、生命全体の流れとして見れば、個体は死んでも生命は生き続けていくのです。
コスモス・セラピー=コスモロジー教育は、できるだけ正確かつわかりやすく、現代科学が明らかにしたコスモロジーをベースにして、宇宙・コスモスのメッセージを伝える試みなのです。
みなさんの感想や評価や疑問や批判を率直にコメントしてくださると幸いです。
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(ダブル打ちしてしまいお手数をおかけしました…)
大変な体験をしたにもかかわらず負けないだけでなく感謝という境地まで達するということに、私も驚きの念を覚えます。コスモロジーの力ではないかと思います。
いかに実感にまで達するか、若さゆえの柔軟さや感性の鋭さがあるのだと思いますが、「自主キャンペーン」されている学生のレポートには学ぶところが多々ある感じがします。
いい質問、難問ですね。
テレビで、被災された海際に住んでいる方が「海を恨んでいない」と言っておられたことを思い出しました。
日本人には天の恵みと災いの両方を甘んじて受け取るという精神性の伝統がある、あったようです。
被災直後のショックから立ち直っていかれる過程で、そうした日本的自然観によってご自分を納得させ、自己治癒していかれる・いかれた方も多いのではないでしょうか。
コスモス・セラピーは、そうした日本的自然観の現代版という面があると思っています。
もちろん、いまだに自然を恨み続けておられる方もおられるでしょう。
そういう方に対しては、コスモス・セラピー的お説教の前に、しっかりと傾聴―共感的なアプローチをする必要があると思います。
そうしたプロセス抜きに、「憎んでも何も始まらない」「「生命の尊さ」を教えてくれた自然の脅威、ひいては、この世に存在するすべてのものに感謝したい」という境地にまで到達した、この学生には深い驚きと尊敬の念を覚えています。
そして改めて、セラピストが癒すのではなく、セラピストはクライアントが自分で癒えていくお手伝いをするだけだ、ということを実感しています。
なお、もしよければ、まだ読んでいないようでしたら、『サングラハ』第71号、特集「不条理について」をご参照ください。
コスモロジーのこと、壮大な話であり画期的なものだと頭では分かったように思いますが、心もとないものがあります。
つまらぬ疑問のようですが、たとえば、被災された方にとっては「こんなひどいことを起こす宇宙など」と感じられてしまうのではないでしょうか。
一つの宇宙に、大まかな善の方向性があるとはいえ、それを感じる人間はあまりにも小さい…というのは近代人の感性なのでしょうが。。。
いずれにせよ、瞠目すべき学生の反応と拝見しております。