続きになっていませんでした。
大学院ではPCに関しては目立ったことは全くなし。大学の計算機センターにはその当時世界最速というクレイのスパコンが入ってました。錯体の発光の半減期をPascalで計算していた程度ですので、PC98で十分でした。何でPascalだったんだろう。PCに関しては、空白の時期です。
AptivaD1Jに戻ります。しばらく使って慣れてくると、メモリを増設したくなりまして、近くにあったPCハウスケイ(正確でないかも)でPC100の128MB を買いました。バルクですから駄菓子みたいに袋に入れられていました。8,000円近くしました。これでも安い方。メモリースロットは2本しかないのに32MBが2本刺さっていて、1本捨てて128MBを増設です。96しか増えない。Windows98(SEではない。)でしたが、速くなったかなぁ。
兄弟機種でK6-2を載せたモデルがあったので、秋葉原のテクノハウス東映でK6-2 450MHzを購入。しかし、罠が。
極めてレアな相性でハマりました。K6-2 300MHz以上+SiS7001USBコントローラ+Windows98 で起動しなくなるんですね。patchがありましたので当ててみましたが、ダメでした。こんなレアな相性でも、地球規模では仲間がいまして、いくつかのサイトで報告されていました。
BIOSでは止められなかったので、極まれに起動した際にSiS7001をOSから停止させて、代わりにPCIにUSBボードを挿して解決しました。当時はUSBボードが超-高かった。
無理をさせたせいか、ある朝電源ボタンを押しても何も言わなくなってしまいました。電源でした。特殊な電源でしたので、microATXの電源を外付けして解決しました。今でも筐体だけは取ってあります。
本体がつらくなって来るのと平行して、Windows98もサポートが切られそうになり、FreeBSDへの道を歩み始めるのでした。何でFreeBSDかといえば、一番軽かったから。でもPortsからコンパイルすると何日も終わらず、結局ハマっていた気がします。
この辺から、メーカー製PCのCPU載せ替えに走ってしまいました。K6-?やTualatinコアのCeleronですね。IBMは細かい情報を古いモデルでも公開してくれていて大変助かりました。さらに、自社のモデルには載っていないCPUに対応してBIOSをアップしてくれて、どんどん改造してくださいといわんばかりのメーカーでした。日本のメーカーはユーザが改造することを嫌ってか、情報は少なめでしたね。つづく。