「その2 いざ入院へ」
明けて、3月31日早朝。
3月に入ってからというもの、トイレが近くなって、夜中に2度ほど起きることも珍しくはなかった。
その日の朝、4時に目が覚めていつもの通りにトイレに入る。
用を足してふっと気付くと、鮮血が目に入った。
もしかしなくても、これはあのウワサの「おしるし」?
ついに、ついに来たんだ、その時が!
横で寝ている穂和を起こしてはいけない、と思いながらそっとベッドに潜り込もうとしたのだが、穂和はまんまと目を覚ましてしまった。
「どうした?」寝ぼけ眼で尋ねる穂和。
おしるしが来た、と言えばきっと完全に目を覚まさせてしまう。
お腹の痛みはまだほとんど感じられないから、もう少し時間がかかるだろう。
だからあまり余計な心配はさせたくない。
とは思いつつ、つい嬉しくて本当のことを言ってしまった。
「おしるし、来た、かも」
私の言葉に、案の定穂和は飛び起きた。
「ヤバいじゃん」
「でもまだ、おしるしだけだから。ここからまだまだ本物の陣痛が来るまでには時間がかかるって言うから」
「で、今は? お腹の痛みは全くないの?」
そう聞かれてふと自分の身体に耳を澄ませてみると、わずかだがこれまでとは違う痛みを感じる。
「ちょっと痛い。生理痛の始まりみたいな、弱い痛み」
「間隔は?」
「きゅーって痛くなって、しばらくしてまたきゅーって……」
「ちょっと時間を計ってみな」
言われて、痛みの来る間隔を計ってみる。
15分、そしてまた15分後、きれいなまでにその繰り返しで、時計は朝5時を指していた。
「15分間隔だわ」
こんな軽い痛みでは、とても病院に言って良いレベルではない気がする。
とりあえず電話だけでもしてみれば、という穂和に、通常の外来診療が始まる時間まで様子を見て電話すると約束をし、シャワーに入る。
その間に穂和は会社の夜勤担当に電話を入れ、休みを取ってくれた。
これでいつ何が起こっても大丈夫、と思う反面、せっかく休みを取ってくれても本当に今日中に病院に行くことになるのか、疑問でもあった。
おしるしが来てから本陣痛が来るまで、一週間かかったという話も聞いたことがある。
休んでもらうには時期尚早だったのではないか。
もしこのまま何も起こらなくて、本当に必要なときに休んでもらえなくなったらどうしよう。
でもじゃあ、今更になって「やっぱり仕事に言ってきて」と言い出す勇気もない。
そうこうしているうちに外来診療の始まる時間になった。
さっそく病院の産科に電話をかける。
その頃には陣痛の間隔は遠のいてしまい、20分に一度程度にまでなっていた。
しかも、痛みも強くなって来てはいない。
電話に出た看護士さんの言葉は、
「前駆陣痛かもしれませんね。痛みが規則正しく5分おきになったら、またお電話ください」
予想通り。
ただひたすら待つだけの時間が始まった。
「おしるしから本陣痛まで」
「前駆陣痛から本陣痛まで」
思いつくキーワードを入力してネット検索をかけまくる。
平均でどのくらいの時間がかかるのか。
今日この先に進める可能性はあるのか。
またしても「自然に進むさ」と開き直ることができないまま、検索結果に表示された経験者のブログを片っ端から読み漁り、半数近くの人が「おしるしから本陣痛まで24時間以内だった」と書いていることを信じてやり過ごした。
陽は高くなり、傾き、そして裏山に沈んだ。
カーテンを閉め、家の電気を点ける時刻になっても、一向に事態は変化をしない。
「体力温存のために、少し寝れば?」
と言われたが、横になっても眠ることはできないまま。
気がつけばいつも穂和が会社から帰ってくる時刻になっている。
休んでもらわなくても、大丈夫だった……。
また申し訳なさが襲ってくる。
もしかしたら本当にこのまま、何日も本陣痛に至らないかもしれない。
そう思った私は穂和に、
「もしも今夜一晩様子を見て、全く変化しないようだったら、明日はちゃんと仕事に行ってくれていいよ」
と言った。
夕食のことなど何も考えていなかったので、ありものを使った鍋にすることにした。
味噌キムチ鍋。
締めのうどんを放り込んで煮上がるのを待っているとき。
これまでより強い、生理痛のような痛みがきゅーっと襲ってきた。
テレビを見ながら無言で痛みをやり過ごす。
20時15分、30分、45分。
それは規則正しくやってきた。
私の異変に気付いた穂和が、「もしかして、来てる?」と尋ねてくる。
無言のまま頷く私。
痛みの合間にとりあえず台所を片付け、ソファーに腰をかけて気分を紛らすためにテレビを見る。
そして痛みが来るたびに時計を確認し、秒数を計る。
規則正しく15分置きに40秒間くらい。
23時を過ぎた頃からは間隔が10分、長さは60秒くらいにまでなった。
痛みの強さは生理2日目の、重い日くらい。
痛くて薬を飲みたくなる、というレベル。
生理痛と違うのは、痛みが60秒で治まってしまえば後は全く何事もなかったかのように楽になること。
休めるうちに休んでおこう、とベッドに入ったのが0時半前後。
でも眠れるわけもなく、結局は痛みが来るたびに時刻と長さをメモし、消えると短編を読むの繰り返し。
(そしてなぜかそのメモを利き手とは反対の、左手で書き続けていた。無意識の行動で、自分でも理由がよくわからない)。
やがて10分の間隔が5分になり、痛みはさほど強くならないままだったが病院に電話を入れる。
「とりあえず、来てもらえますか?」
入院の準備をして、とは言われなかったけれど、もちろん入院グッズを持っていざ出陣。
車で30分弱の道のりを走り、病院に着いたのは3時前。
まだ除雪された雪の山が歩道に残る、風の寒い夜だった。
「その1 出産へのプロローグ」へ
「その3 LDRの長い一日の始まり」へ
「その4 まだ続くLDR生活」へ
「その5 ようやく出産へ」へ
「その6 援護射撃」へ
「その後 入院生活編」へ
明けて、3月31日早朝。
3月に入ってからというもの、トイレが近くなって、夜中に2度ほど起きることも珍しくはなかった。
その日の朝、4時に目が覚めていつもの通りにトイレに入る。
用を足してふっと気付くと、鮮血が目に入った。
もしかしなくても、これはあのウワサの「おしるし」?
ついに、ついに来たんだ、その時が!
横で寝ている穂和を起こしてはいけない、と思いながらそっとベッドに潜り込もうとしたのだが、穂和はまんまと目を覚ましてしまった。
「どうした?」寝ぼけ眼で尋ねる穂和。
おしるしが来た、と言えばきっと完全に目を覚まさせてしまう。
お腹の痛みはまだほとんど感じられないから、もう少し時間がかかるだろう。
だからあまり余計な心配はさせたくない。
とは思いつつ、つい嬉しくて本当のことを言ってしまった。
「おしるし、来た、かも」
私の言葉に、案の定穂和は飛び起きた。
「ヤバいじゃん」
「でもまだ、おしるしだけだから。ここからまだまだ本物の陣痛が来るまでには時間がかかるって言うから」
「で、今は? お腹の痛みは全くないの?」
そう聞かれてふと自分の身体に耳を澄ませてみると、わずかだがこれまでとは違う痛みを感じる。
「ちょっと痛い。生理痛の始まりみたいな、弱い痛み」
「間隔は?」
「きゅーって痛くなって、しばらくしてまたきゅーって……」
「ちょっと時間を計ってみな」
言われて、痛みの来る間隔を計ってみる。
15分、そしてまた15分後、きれいなまでにその繰り返しで、時計は朝5時を指していた。
「15分間隔だわ」
こんな軽い痛みでは、とても病院に言って良いレベルではない気がする。
とりあえず電話だけでもしてみれば、という穂和に、通常の外来診療が始まる時間まで様子を見て電話すると約束をし、シャワーに入る。
その間に穂和は会社の夜勤担当に電話を入れ、休みを取ってくれた。
これでいつ何が起こっても大丈夫、と思う反面、せっかく休みを取ってくれても本当に今日中に病院に行くことになるのか、疑問でもあった。
おしるしが来てから本陣痛が来るまで、一週間かかったという話も聞いたことがある。
休んでもらうには時期尚早だったのではないか。
もしこのまま何も起こらなくて、本当に必要なときに休んでもらえなくなったらどうしよう。
でもじゃあ、今更になって「やっぱり仕事に言ってきて」と言い出す勇気もない。
そうこうしているうちに外来診療の始まる時間になった。
さっそく病院の産科に電話をかける。
その頃には陣痛の間隔は遠のいてしまい、20分に一度程度にまでなっていた。
しかも、痛みも強くなって来てはいない。
電話に出た看護士さんの言葉は、
「前駆陣痛かもしれませんね。痛みが規則正しく5分おきになったら、またお電話ください」
予想通り。
ただひたすら待つだけの時間が始まった。
「おしるしから本陣痛まで」
「前駆陣痛から本陣痛まで」
思いつくキーワードを入力してネット検索をかけまくる。
平均でどのくらいの時間がかかるのか。
今日この先に進める可能性はあるのか。
またしても「自然に進むさ」と開き直ることができないまま、検索結果に表示された経験者のブログを片っ端から読み漁り、半数近くの人が「おしるしから本陣痛まで24時間以内だった」と書いていることを信じてやり過ごした。
陽は高くなり、傾き、そして裏山に沈んだ。
カーテンを閉め、家の電気を点ける時刻になっても、一向に事態は変化をしない。
「体力温存のために、少し寝れば?」
と言われたが、横になっても眠ることはできないまま。
気がつけばいつも穂和が会社から帰ってくる時刻になっている。
休んでもらわなくても、大丈夫だった……。
また申し訳なさが襲ってくる。
もしかしたら本当にこのまま、何日も本陣痛に至らないかもしれない。
そう思った私は穂和に、
「もしも今夜一晩様子を見て、全く変化しないようだったら、明日はちゃんと仕事に行ってくれていいよ」
と言った。
夕食のことなど何も考えていなかったので、ありものを使った鍋にすることにした。
味噌キムチ鍋。
締めのうどんを放り込んで煮上がるのを待っているとき。
これまでより強い、生理痛のような痛みがきゅーっと襲ってきた。
テレビを見ながら無言で痛みをやり過ごす。
20時15分、30分、45分。
それは規則正しくやってきた。
私の異変に気付いた穂和が、「もしかして、来てる?」と尋ねてくる。
無言のまま頷く私。
痛みの合間にとりあえず台所を片付け、ソファーに腰をかけて気分を紛らすためにテレビを見る。
そして痛みが来るたびに時計を確認し、秒数を計る。
規則正しく15分置きに40秒間くらい。
23時を過ぎた頃からは間隔が10分、長さは60秒くらいにまでなった。
痛みの強さは生理2日目の、重い日くらい。
痛くて薬を飲みたくなる、というレベル。
生理痛と違うのは、痛みが60秒で治まってしまえば後は全く何事もなかったかのように楽になること。
休めるうちに休んでおこう、とベッドに入ったのが0時半前後。
でも眠れるわけもなく、結局は痛みが来るたびに時刻と長さをメモし、消えると短編を読むの繰り返し。
(そしてなぜかそのメモを利き手とは反対の、左手で書き続けていた。無意識の行動で、自分でも理由がよくわからない)。
やがて10分の間隔が5分になり、痛みはさほど強くならないままだったが病院に電話を入れる。
「とりあえず、来てもらえますか?」
入院の準備をして、とは言われなかったけれど、もちろん入院グッズを持っていざ出陣。
車で30分弱の道のりを走り、病院に着いたのは3時前。
まだ除雪された雪の山が歩道に残る、風の寒い夜だった。
「その1 出産へのプロローグ」へ
「その3 LDRの長い一日の始まり」へ
「その4 まだ続くLDR生活」へ
「その5 ようやく出産へ」へ
「その6 援護射撃」へ
「その後 入院生活編」へ