「その後 入院生活編」
私の出産した勤医協札幌病院は、「母と子にやさしい病院」としても認定され、母乳育児を推進している総合病院だ。
自分がミルク育ちであり、まぁ可能なら母乳で育てたいな、くらいの感覚だった私。
完全母乳で、という固い決心やこだわりがあったわけではなかった。
「出産をすれば、誰でも母乳は出ますから」。
私はその言葉を漠然と捕らえて、何とかなるだろうとのん気に構えていた。
確かに母乳は出た。
が、問題はその量だった。
その上、陥没乳頭で赤ちゃんが乳首をうまくくわえられない。
ベテラン助産師さんによる、徹底したおっぱいマッサージとスパルタ授乳教育が始まった。
暖かい授乳室で、これでもかというくらいに力を込めて、懇切丁寧におっぱいをマッサージされ、赤ちゃんとおっぱいの支え方を指導される。
赤ちゃんも私も汗だく。
そのうちちゃんと出るようになるはずなのに、どうしてこんなにスパルタをするのだろう。
そんな気分にもなってしまった。
だけどそれは大きな間違いだったことに、2日目の夜になって初めて気が付くことになる。
充分なおっぱいを与えられない赤ちゃんは、常に空腹の状態となった。
夜中でも10分と大人しく眠ってくれない。
地方とはいえ、先進国の都市部にいるのに、こんな嬰児に必要なたった数十ccの母乳さえ与えてあげることができずにひもじさに泣かせてしまうなんて。
泣き続ける赤ちゃんがかわいそうで、自分が情けなくて、涙が出そうになった。
出ないおっぱいを必死にくわえる赤ちゃん。
乳首の皮は擦れて、吸われるたびに腰が引けるような痛みを感じる。
それでも足りなくて泣くのでナースステーションに行って訴え、応急処置としてブドウ糖水(だったと思う)を出してもらう。
赤ちゃんの熱は36度5分~37度5分くらいが適正だから。
38度を超えたら、脱水している可能性があるの。
助産師さんから教えてもらったそんな言葉が頭をよぎる。
翌朝の検温では、むしろ38度を超えていてくれることを願った。
脱水症状が出ていれば、補助的役割としてミルクが出してもらえる。
果たして、熱は38度ちょうど。
回診に来てくれた小児科医の先生に訴え、昨夜ブドウ糖水を出してくれた助産師さんのフォローもあって、
「お母さんさえ構わないなら、ミルクを追加しましょうか」
と言ってもらうことができた。
完全母乳でなくても構わない。
私のおっぱいが役割を果たせないなら、文明の力を借りたい。
とにかく赤ちゃんの飢えをなくしてあげたい。
満腹で、安心して眠らせてあげたい。
「お願いします、ミルク、あげさせて下さい」。
こうしてようやく満腹することのできた我が子。
けれどもここでおっぱいを放り出してしまったら、出るものも出なくなってしまう。
搾乳機を使っておっぱいマッサージをし、少しでも出るようにと努力を続けなければ昨日までの特訓がムダになってしまう。
それに何と言っても、一滴でも多くの母乳を飲ませたい。
たっぷりのマッサージをし力いっぱい搾り出しても、左右合わせてわずか3ccしか出ない母乳。
それでもとりあえず満腹にしてあげられたことで気持ちに余裕が出て、入院している間に頑張ろう、とおっぱいに向き合おうと思えた。
スパルタ授乳教育とマッサージ、夜中でもイヤな顔ひとつせずにアドバイスをくれた助産師さんたちのお陰で、4日目には時間になると自然に母乳が垂れ落ちてくるようにまでなった。
それでも日々飲む量の増える赤ちゃんの必要量には満たなかったが、母乳とミルクと半々くらいであげられるくらいにはなった。
出産から5日後、退院の時には、飲みにくいおっぱいをフォローするためのシールドを付け、直接母乳を上げた後でも、搾乳機で30ccは搾れるようにはなった。
帰宅から数日、一度に100ccを飲むようになった赤ちゃんに、半分は母乳であげられるくらいには出るようになっている。
……それにしても、与えれば与えた分だけ飲もうとする我が子えいみ。
この大食いっぷりは、誰に似たのやら、ねぇ?
病院選びの基準は「土曜日に診察がある」「皮膚科、小児科が併設されている」ことだけだった私たち。
LDRや、入院中のお食事やその他のサービスなどは特に重視していなかった。
「生まれた後にこそお金がかかるから、出産は安心できる設備ならそれ以上の贅沢は言わない」
そんなつもりだった。
出会った勤医協札幌病院は古くからある総合病院。
それでも産科には、追加料金ナシのLDRの他にも、ステキなサービスがあった。
ひとつが、「お祝い膳」。
入院中のとある1日の昼食に、通常の病院食とは違う特別なお膳が出る。
洋食と和食が選べ、食卓にはお花を飾ってくれて、食後のデザートと紅茶(またはコーヒー)まである。
私が選んだのは洋食。
仕事の後に自炊までして留守番をしてくれているダンナ様には申し訳ないような、オイシイサービス。
もうひとつは、リフレクソロジー。
病院外部から専門のリフレクソロジストさんが来て施術してくれる。
静かな音楽のかかる空間で、アロマパウダーを使ったフットマッサージや、温かいハーブティーのサービス。
赤ちゃんが泣いて寝不足の上、おっぱい特訓でヘトヘトになっていた私には、本当にリラックスできる気持ちのいいひとときだった。
あの時リフレが無く、ひたすらおっぱい特訓と泣き声にさらされていたら、かなり追い詰められた気持ちになってしまったかもしれない。
どんなに忙しい時でも、真夜中でも、誰にどんな小さなことを尋ねてもイヤな顔をせずにわかりやすく教えてくれた助産師さんたち。
たいした研究もせずにたまたま決めた出産場所だったけれど、私たち夫婦はあそこを選んで良かったと思っている。
「その1 出産へのプロローグ」へ
「その2 いざ入院へ」へ
「その3 LDRの長い一日の始まり」へ
「その4 まだ続くLDR生活」へ
「その5 ようやく出産へ」へ
「その6 援護射撃」へ
私の出産した勤医協札幌病院は、「母と子にやさしい病院」としても認定され、母乳育児を推進している総合病院だ。
自分がミルク育ちであり、まぁ可能なら母乳で育てたいな、くらいの感覚だった私。
完全母乳で、という固い決心やこだわりがあったわけではなかった。
「出産をすれば、誰でも母乳は出ますから」。
私はその言葉を漠然と捕らえて、何とかなるだろうとのん気に構えていた。
確かに母乳は出た。
が、問題はその量だった。
その上、陥没乳頭で赤ちゃんが乳首をうまくくわえられない。
ベテラン助産師さんによる、徹底したおっぱいマッサージとスパルタ授乳教育が始まった。
暖かい授乳室で、これでもかというくらいに力を込めて、懇切丁寧におっぱいをマッサージされ、赤ちゃんとおっぱいの支え方を指導される。
赤ちゃんも私も汗だく。
そのうちちゃんと出るようになるはずなのに、どうしてこんなにスパルタをするのだろう。
そんな気分にもなってしまった。
だけどそれは大きな間違いだったことに、2日目の夜になって初めて気が付くことになる。
充分なおっぱいを与えられない赤ちゃんは、常に空腹の状態となった。
夜中でも10分と大人しく眠ってくれない。
地方とはいえ、先進国の都市部にいるのに、こんな嬰児に必要なたった数十ccの母乳さえ与えてあげることができずにひもじさに泣かせてしまうなんて。
泣き続ける赤ちゃんがかわいそうで、自分が情けなくて、涙が出そうになった。
出ないおっぱいを必死にくわえる赤ちゃん。
乳首の皮は擦れて、吸われるたびに腰が引けるような痛みを感じる。
それでも足りなくて泣くのでナースステーションに行って訴え、応急処置としてブドウ糖水(だったと思う)を出してもらう。
赤ちゃんの熱は36度5分~37度5分くらいが適正だから。
38度を超えたら、脱水している可能性があるの。
助産師さんから教えてもらったそんな言葉が頭をよぎる。
翌朝の検温では、むしろ38度を超えていてくれることを願った。
脱水症状が出ていれば、補助的役割としてミルクが出してもらえる。
果たして、熱は38度ちょうど。
回診に来てくれた小児科医の先生に訴え、昨夜ブドウ糖水を出してくれた助産師さんのフォローもあって、
「お母さんさえ構わないなら、ミルクを追加しましょうか」
と言ってもらうことができた。
完全母乳でなくても構わない。
私のおっぱいが役割を果たせないなら、文明の力を借りたい。
とにかく赤ちゃんの飢えをなくしてあげたい。
満腹で、安心して眠らせてあげたい。
「お願いします、ミルク、あげさせて下さい」。
こうしてようやく満腹することのできた我が子。
けれどもここでおっぱいを放り出してしまったら、出るものも出なくなってしまう。
搾乳機を使っておっぱいマッサージをし、少しでも出るようにと努力を続けなければ昨日までの特訓がムダになってしまう。
それに何と言っても、一滴でも多くの母乳を飲ませたい。
たっぷりのマッサージをし力いっぱい搾り出しても、左右合わせてわずか3ccしか出ない母乳。
それでもとりあえず満腹にしてあげられたことで気持ちに余裕が出て、入院している間に頑張ろう、とおっぱいに向き合おうと思えた。
スパルタ授乳教育とマッサージ、夜中でもイヤな顔ひとつせずにアドバイスをくれた助産師さんたちのお陰で、4日目には時間になると自然に母乳が垂れ落ちてくるようにまでなった。
それでも日々飲む量の増える赤ちゃんの必要量には満たなかったが、母乳とミルクと半々くらいであげられるくらいにはなった。
出産から5日後、退院の時には、飲みにくいおっぱいをフォローするためのシールドを付け、直接母乳を上げた後でも、搾乳機で30ccは搾れるようにはなった。
帰宅から数日、一度に100ccを飲むようになった赤ちゃんに、半分は母乳であげられるくらいには出るようになっている。
……それにしても、与えれば与えた分だけ飲もうとする我が子えいみ。
この大食いっぷりは、誰に似たのやら、ねぇ?
病院選びの基準は「土曜日に診察がある」「皮膚科、小児科が併設されている」ことだけだった私たち。
LDRや、入院中のお食事やその他のサービスなどは特に重視していなかった。
「生まれた後にこそお金がかかるから、出産は安心できる設備ならそれ以上の贅沢は言わない」
そんなつもりだった。
出会った勤医協札幌病院は古くからある総合病院。
それでも産科には、追加料金ナシのLDRの他にも、ステキなサービスがあった。
ひとつが、「お祝い膳」。
入院中のとある1日の昼食に、通常の病院食とは違う特別なお膳が出る。
洋食と和食が選べ、食卓にはお花を飾ってくれて、食後のデザートと紅茶(またはコーヒー)まである。
私が選んだのは洋食。
仕事の後に自炊までして留守番をしてくれているダンナ様には申し訳ないような、オイシイサービス。
もうひとつは、リフレクソロジー。
病院外部から専門のリフレクソロジストさんが来て施術してくれる。
静かな音楽のかかる空間で、アロマパウダーを使ったフットマッサージや、温かいハーブティーのサービス。
赤ちゃんが泣いて寝不足の上、おっぱい特訓でヘトヘトになっていた私には、本当にリラックスできる気持ちのいいひとときだった。
あの時リフレが無く、ひたすらおっぱい特訓と泣き声にさらされていたら、かなり追い詰められた気持ちになってしまったかもしれない。
どんなに忙しい時でも、真夜中でも、誰にどんな小さなことを尋ねてもイヤな顔をせずにわかりやすく教えてくれた助産師さんたち。
たいした研究もせずにたまたま決めた出産場所だったけれど、私たち夫婦はあそこを選んで良かったと思っている。
「その1 出産へのプロローグ」へ
「その2 いざ入院へ」へ
「その3 LDRの長い一日の始まり」へ
「その4 まだ続くLDR生活」へ
「その5 ようやく出産へ」へ
「その6 援護射撃」へ
エステに慣れてる方が「あれっぽっちじゃあね~」って言ってたけど(笑)
誰かにマッサージしてもらうって本当に幸せやったわ~
ましてや産後の体がこってる時だしね。
いい病院で良かったね。
よう頑張った!
おつかれさま!
エステなんて、エステテレアポのバイトしてた時に
バイト先で体験させてもらったことくらいしかないわ(笑)
だから比較はできないけど、足湯に始まって
パウダーマッサージ、アロママッサージ、足裏ツボ押し、
ハーブティーと1人30分くらいかけてゆーっくりやってくれる
贅沢なひとときだったよ♪
曜日の関係で出産の翌日だったから、このリフレの後の
入院生活中に再び足がパンパンに浮腫んじゃったのが残念だったけど…
でも、苦労した分だけ、ぜったいあとで「良かった~!」
って思えるから、がんばって。
わたしもまた産みたいな(笑)
あー
またしても返事遅れたっ(スマソ
また産みたい、かぁ~
私のイメージの中でちみみちさんは
それほど子供好きのカンジはなかったんだけど(失礼)
実際にできてみると違うもんだよね~
私も、自分がこんなに親バカになるとは思ってなかったし。
1年後くらいには「もう一人欲しい」とか言い出してそうな気がしてます(笑)
端からはわからないだろうけど、いろいろ大変な時期だったのだよ~(言い訳
子供は苦手ですよ。自分の子供も苦手です。
でもかわいいし、面白いよ。
可能性とか、未来があるところが良いよね。
はるかちゃんもあまり子供にべったりするタイプじゃないと思ってたんだけど、どうなんだろう(笑)
子供との付き合いって、大変だけど、ほんと面白いし、私はやりがい感じてますw
こんな仕事を与えてもらえて、ありがたいっす。
(こんなことばっかり言ってるとちみみちらしくなくて気持ち悪いと思われているのだろうかw)
そんなに悪魔だと思ってるわけじゃないのよ
軽いジョークですからお許しを
以後(ちょっぴり)気をつけますです。
私は子供にべったりするタイプ…じゃないですな、基本は。
実際、出産するまで、自分がどこまで子供をかわいがれるか
不安を感じてもいたくらい。
でも生まれてみたら自分でもびっくりするくらい
親バカで娘べったりになってます。
今はねー特にねー、子供が意思をもってコチラに反抗してくることもないしね。
自我が芽生えてきたらどうなるやら。
なにせ、こんなワタクシの血を引いているわけですから(爆