ふわり・舞う・毎日

気持ちに余裕がないと、心の泉が枯れちゃうもんね。

ドキュメント0401~その4

2009年04月12日 | 極私的記録
「その4 まだ続くLDR生活」

早朝の隣部屋で出産があった後、ウトウトとしていたら朝食が運ばれてきた。
朝食が出るとは思っておらず(考えてみたら出て当たり前なのだが)、喜び勇んで箸をつける。
が、胃の働きがお腹に刺激を与えるのか、一口食べては陣痛と戦い、小康状態になったのを見計らってまた一口食べては陣痛と戦い、を繰り返して、さして多くない朝食を半分食べたところで箸を置いた。
残すのは申し訳ないので、続きは穂和にお願いする。

食べ終わった後はまた、相変わらず近くも強くもならない陣痛の波に揺られ続ける。
一時間に一度くらいのペースで、助産師さんが様子を見に来てくれる。

「チョコレートみたいな、一口で血糖値が上げられるものがあると、体力維持に良いよ」
「眠ってても陣痛は進むからね」
「元気があれば少し歩いてきても良いかもよ」
「おっぱいマッサージも陣痛促進になるよ」

色々なアドバイスをくれ、都度内診をしていく。

「子宮口は5センチくらいかなぁ。産道はかなり柔らかいから、一度始まればうにょーんって伸びてスムーズに行きそうなんだけど。イマイチ、頭が降りてきてないんだよね」

そうこうしているうちに、昼食が運ばれてくる。
これも例によって半分が限度で、残りは穂和に食べてもらう。

この頃になると、陣痛は強烈な生理痛のような感じで、黙ってやり過ごすのが辛くなっていた。
前々夜からずっと寝不足気味の私は、陣痛が来ると目を覚ましてうなり、収まるとそのまま眠りに落ちるのを繰り返すようになっていた。
赤ちゃんの背中を私の腹側にした方が出やすくなるということで、四つんばいの姿勢を取ってみたが、その時にもひざを立てたまま眠りに落ちている。
15時、16時、17時と、ずっと同じことを続けていたために、時間の感覚がなくなっていく。
いつの間にかお義母さんが病室にやってきて、穂和と一緒に私の手を握ってくれたり、腰をさすったりしてくれていた。

この時点でもまだ、子宮口は5センチから変わらず、痛みはお腹の前面を覆うような感じだった。
「腰やお尻に痛みが来て、出したい感じがしたら呼んでね」
内診を終えるたびに助産師さんはそう言って立ち去るのだが、腰やお尻には全く何も起こらない。
ただひたすら痛いだけ。
たかだか生理痛ふうの痛みに「痛い」と言うのも癪だし、しゃべるのも億劫なのでうなり声だけで我慢する。

「そうだ、この部屋アロマポットあるのよ~」
一日中ずっと担当してくれた助産師さんが、部屋の隅に置かれたアロマポットのスイッチを入れる。
用意してあった精油はイランイラン、子宮収縮効果=陣痛促進の期待できる精油だ(そのため、妊娠初期・中期には禁忌精油でもある)。
イランイランのエキゾチックで濃厚な香りに包まれながら、またウーウーとうなる。

19時過ぎ。
イランイラン効果があったのか、ようやく何だか便意のような、尾てい骨が押し下げられるような痛みを感じる。
「出したい感じ」ってこの感覚だろうか。
半信半疑ながら、もうそろそろ次の段階に進みたかった私は、ナースコールで助産師さんを呼んでもらう。
さっそく内診、
「子宮口、あと1センチくらい開くと良いんだけど」
……もっと痛くならなきゃいけないの? もうそろそろご馳走様なんですけど。

20時過ぎ。
いよいよ痛みは強くなって、生理痛だか尾てい骨の圧迫だかどこの痛みなんだか、自分の中でひっちゃかめっちゃかになってよくわからない状態。
再び助産師さんがやってきて内診をし、ようやく
「じゃあ、分娩の準備をしましょうか」となる。
ここがLDRでなければ、この段階で分娩室へ移動となるようだ。
が、もうすでに足腰には力が入らないし、とても自力で歩行できる状態ではない。
(今朝方スピード出産だった妊婦さんは、この状態で病院に来たと思うと……びっくりだ)。
LDRのある病院で本当に良かった。
「あと2時間くらいで、出産できそうですね」
と助産師さん。
これからさらに2時間ですか? もういいってば。
そう思う私の横でお義母さんが、
「きっと2時間もしないで出てくると思うよ」
と声をかけてくれる。
ぜひそうあって欲しいわ、と思うが言葉にはならない。


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その2 いざ入院へ」へ
その3 LDRの長い一日の始まり」へ
その5 ようやく出産へ」へ
その6 援護射撃」へ
その後 入院生活編」へ


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