「その5 ようやく出産へ」
お義母さんの予測通り、そこからは確実に進んだ。
いつ破水させられたのかわからないまま、
「次に陣痛が来たら、いきんでいいわよ~」
と声をかけられる。
そしてその時点で初めて私は気が付いた。
いきむ=お腹に力を入れなくてはならない。
お腹に力を入れる?
こんなに強い腹痛の中、痛い場所に力を入れろって?
「いきむ時は目をつぶらないで! 深呼吸して、頭を起こして、目を開けて力を入れて!」
声は耳に入っているのだけど、思うように力をコントロールできない。
「陣痛が一番強い時を見計らって力を入れて! いきみ終わったときに陣痛が残ってるようなら、タイミングが合ってない証拠だよ~!」
と先生。
波が来る。
いきむ。
自分の声じゃないような、金属質な悲鳴が口から漏れる。
きっと病院の廊下まで響いてるんだろうな、でもそんな体裁を気にしていられる状況じゃない。
とにかく出ろ! と、息が続く限りいきみ続ける。
酸欠になって力を抜く。
「深呼吸してもう1回いきんで!」
そう言われても、もう力が続かない。
寝不足と、食事をまともに摂っていないことによる体力不足。
陣痛はまだ残っているから、今ここでもう一度いきんでしまえば、その分早く終わるし苦しい時間も短くなる。
もうさっさと出してしまいたい。
そう思っても、深呼吸ができず浅い呼吸を繰り返して過呼吸になるばかりで、2回目に行けない。
「ハイ、じゃあ次の陣痛を待とうね~」と先生。
何度同じことを繰り返しただろうか。
「次に陣痛が来たら、おすそを少し切るからね。麻酔するし、陣痛に合わせるから痛くないからね」
と先生。
切られないで済むかと思っていたのに、やっぱりダメか。
でもここまで来たらどうでもいい。
そして次の波が来る。
いきむ。
注射針の感覚、切られている振動、確かに痛くない、というよりもお腹の痛みに気を取られて他の痛みは感じられない。
「吸引の準備しておいて」
先生が助産師さんに指示をする声が耳に入る。
どうやらおすそを切って、頭まで見えかかっているのに、そこからなかなか出てこないらしい。
引きずり出してくれるなら、それでもいい。
とにかく早く出してしまいたい。
「何でもいいからさっさと出してしまいたい、という気分でした」
力いっぱいいきみながら、ネットで見た誰かのブログの一文を思い出す。
まさにそんな気分。
これを最後の1回にしたい。
もういい加減におしまいにしたい。
誰か代わってくれても良いよ、って、結局自分がやるしかないのかー。
陣痛前に戻れるわけじゃなし、どうでもいいからさっさとこの山を越えるしか道はないのね。
もしも次があるなら、絶対に無痛分娩にしてやるっ。
一度経験すれば充分だわっ。
いきむたびに頭の中でそんなことを叫び続ける。
「あ、頭出てきた頭! もう少しだから、頭が出ちゃえば後は楽だから!」
そして大きな痛みの塊がずるっと体外に出る。
「頭、出たわよ!」
これで楽に……ならない。どうして?
「ハイ、もう1回いきんで~」
頭が出たらもう良いんじゃなかったっけ!?
(後から聞いたところによると、へその緒が首に巻き付いていたらしい。
それで無理に引っ張り出せなかったのと、出口に肩が引っかかっていたように見えた、と穂和)。
わけがわからないまま、仕方なくもう一度だけ、と力を振り絞る。
「はーい、出た出た! 生まれたよ!」
2009年4月1日21時15分。
先生の声が響いて、途端にお腹がすっと楽になった。
もういきまなくて良いんだ、陣痛と戦わなくて良いんだ……!
思った瞬間に、全身から力が抜けていく。
フニャァ、という弱々しい泣き声。
ホラお母さん、赤ちゃんだよ、お父さん、写真写真、という先生の声。
聞きなれたシャッター音。
先生が赤子を抱き上げてポーズを取っている。
生み終えたら、感動して泣くかも。
出産前にはそう思っていたのに、安心感と脱力感ばかりで、涙など一滴も出ない。
テレビで見る出産シーンの方がよっぽど泣ける。
そういえば自分の結婚式の時も、感動より安心感の方が大きくて泣けなかったな。
私って、自分の身に起こることには意外に感動できないのかな。
それにしても……ちゃんと居たんだ、お腹の中に、赤ちゃん。
そんなことを考えながら、びしょぬれの娘をぼんやりと眺めていた。
短い撮影会が終わったところで、赤ちゃんは清拭のために連れ出され、
「お母さんの後処置をするので、ご家族の方は一度出て下さい」
と先生から声がかかる。
先生は(穂和に言わせると、そんなに力を入れて大丈夫なのかとハラハラするほどに)強く私のお腹を押し続け、胎盤を取り出した。
穂和とお義母さんが出て行き、先生が子宮収縮のためのマッサージをしてくれる。
途中で、
「点滴、急いで。早めに落ちるようにして。収縮が悪いっ」
と少し緊迫した雰囲気もあったが、点滴が落ち始めると和やかになった。
一緒にいたお母さんは、義理のお母さんかい?
ハイ、主人のお母さんです。
道理で、冷静な応援だと思った。自分の娘だったらああは行かないよ。
先生、今日夜勤なんですか?
そうだねー。
大変ですね、日勤もこなして夜勤もこなして……。
人数が少ないからねぇ。
何人で回してるんですか?
常勤の産婦人科医と、近くの病院と大学病院からも、手伝いに来てるよ。
おすその切開って、ホントに痛くないんですね。
ちゃんと陣痛の痛みにタイミングを合わせてるからね。
ワザ、ですね。
まぁねー。経験かな。
さっきまでの七転八倒した痛みが嘘のように、のん気な会話ができている。
そんな自分の身体が不思議に思えた。
処置が終わると、清拭された赤ちゃんと穂和、お義父さんお義母さんが部屋に戻ってきた。
「初乳をあげましょうね~」
と助産師さんが言って、赤ちゃんが私の横に寝かせられた。
おっぱいを口元に持っていくが、簡単には吸い付いてくれない。
「また後で様子を見に来ますね」
言い残して、助産師さんが部屋を出て行った。
「お疲れさん、私たちはそろそろ帰るね」
そう言ったお義母さんの手の甲には、私の爪が付けた深い跡がくっきりと残っていた。
「ありがとうございました」
万感の思いを込めてお礼を言い、顔だけで見送る。
「俺も明日は仕事に行かなくちゃいけないから、そろそろ帰るわ」
そう言う穂和の手の甲にも、しっかりと爪跡が残っている。
「寝不足だもんね、本当にありがとうね。居眠り運転だけは気をつけて帰ってね」
長い長い時間を一緒に戦ってくれた穂和にも、感謝を込めて見送った。
エイプリルフールの終わる、2時間と45分前。
念願の早生まれに、滑り込みで間に合った我が家の新しい家族、小さな命。
おしるしと前駆陣痛から始まった出産騒動の、41時間とちょっとの幕が下りた。
「その1 出産へのプロローグ」へ
「その2 いざ入院へ」へ
「その3 LDRの長い一日の始まり」へ
「その4 まだ続くLDR生活」へ
「その6 援護射撃」へ
「その後 入院生活編」へ
お義母さんの予測通り、そこからは確実に進んだ。
いつ破水させられたのかわからないまま、
「次に陣痛が来たら、いきんでいいわよ~」
と声をかけられる。
そしてその時点で初めて私は気が付いた。
いきむ=お腹に力を入れなくてはならない。
お腹に力を入れる?
こんなに強い腹痛の中、痛い場所に力を入れろって?
「いきむ時は目をつぶらないで! 深呼吸して、頭を起こして、目を開けて力を入れて!」
声は耳に入っているのだけど、思うように力をコントロールできない。
「陣痛が一番強い時を見計らって力を入れて! いきみ終わったときに陣痛が残ってるようなら、タイミングが合ってない証拠だよ~!」
と先生。
波が来る。
いきむ。
自分の声じゃないような、金属質な悲鳴が口から漏れる。
きっと病院の廊下まで響いてるんだろうな、でもそんな体裁を気にしていられる状況じゃない。
とにかく出ろ! と、息が続く限りいきみ続ける。
酸欠になって力を抜く。
「深呼吸してもう1回いきんで!」
そう言われても、もう力が続かない。
寝不足と、食事をまともに摂っていないことによる体力不足。
陣痛はまだ残っているから、今ここでもう一度いきんでしまえば、その分早く終わるし苦しい時間も短くなる。
もうさっさと出してしまいたい。
そう思っても、深呼吸ができず浅い呼吸を繰り返して過呼吸になるばかりで、2回目に行けない。
「ハイ、じゃあ次の陣痛を待とうね~」と先生。
何度同じことを繰り返しただろうか。
「次に陣痛が来たら、おすそを少し切るからね。麻酔するし、陣痛に合わせるから痛くないからね」
と先生。
切られないで済むかと思っていたのに、やっぱりダメか。
でもここまで来たらどうでもいい。
そして次の波が来る。
いきむ。
注射針の感覚、切られている振動、確かに痛くない、というよりもお腹の痛みに気を取られて他の痛みは感じられない。
「吸引の準備しておいて」
先生が助産師さんに指示をする声が耳に入る。
どうやらおすそを切って、頭まで見えかかっているのに、そこからなかなか出てこないらしい。
引きずり出してくれるなら、それでもいい。
とにかく早く出してしまいたい。
「何でもいいからさっさと出してしまいたい、という気分でした」
力いっぱいいきみながら、ネットで見た誰かのブログの一文を思い出す。
まさにそんな気分。
これを最後の1回にしたい。
もういい加減におしまいにしたい。
誰か代わってくれても良いよ、って、結局自分がやるしかないのかー。
陣痛前に戻れるわけじゃなし、どうでもいいからさっさとこの山を越えるしか道はないのね。
もしも次があるなら、絶対に無痛分娩にしてやるっ。
一度経験すれば充分だわっ。
いきむたびに頭の中でそんなことを叫び続ける。
「あ、頭出てきた頭! もう少しだから、頭が出ちゃえば後は楽だから!」
そして大きな痛みの塊がずるっと体外に出る。
「頭、出たわよ!」
これで楽に……ならない。どうして?
「ハイ、もう1回いきんで~」
頭が出たらもう良いんじゃなかったっけ!?
(後から聞いたところによると、へその緒が首に巻き付いていたらしい。
それで無理に引っ張り出せなかったのと、出口に肩が引っかかっていたように見えた、と穂和)。
わけがわからないまま、仕方なくもう一度だけ、と力を振り絞る。
「はーい、出た出た! 生まれたよ!」
2009年4月1日21時15分。
先生の声が響いて、途端にお腹がすっと楽になった。
もういきまなくて良いんだ、陣痛と戦わなくて良いんだ……!
思った瞬間に、全身から力が抜けていく。
フニャァ、という弱々しい泣き声。
ホラお母さん、赤ちゃんだよ、お父さん、写真写真、という先生の声。
聞きなれたシャッター音。
先生が赤子を抱き上げてポーズを取っている。
生み終えたら、感動して泣くかも。
出産前にはそう思っていたのに、安心感と脱力感ばかりで、涙など一滴も出ない。
テレビで見る出産シーンの方がよっぽど泣ける。
そういえば自分の結婚式の時も、感動より安心感の方が大きくて泣けなかったな。
私って、自分の身に起こることには意外に感動できないのかな。
それにしても……ちゃんと居たんだ、お腹の中に、赤ちゃん。
そんなことを考えながら、びしょぬれの娘をぼんやりと眺めていた。
短い撮影会が終わったところで、赤ちゃんは清拭のために連れ出され、
「お母さんの後処置をするので、ご家族の方は一度出て下さい」
と先生から声がかかる。
先生は(穂和に言わせると、そんなに力を入れて大丈夫なのかとハラハラするほどに)強く私のお腹を押し続け、胎盤を取り出した。
穂和とお義母さんが出て行き、先生が子宮収縮のためのマッサージをしてくれる。
途中で、
「点滴、急いで。早めに落ちるようにして。収縮が悪いっ」
と少し緊迫した雰囲気もあったが、点滴が落ち始めると和やかになった。
一緒にいたお母さんは、義理のお母さんかい?
ハイ、主人のお母さんです。
道理で、冷静な応援だと思った。自分の娘だったらああは行かないよ。
先生、今日夜勤なんですか?
そうだねー。
大変ですね、日勤もこなして夜勤もこなして……。
人数が少ないからねぇ。
何人で回してるんですか?
常勤の産婦人科医と、近くの病院と大学病院からも、手伝いに来てるよ。
おすその切開って、ホントに痛くないんですね。
ちゃんと陣痛の痛みにタイミングを合わせてるからね。
ワザ、ですね。
まぁねー。経験かな。
さっきまでの七転八倒した痛みが嘘のように、のん気な会話ができている。
そんな自分の身体が不思議に思えた。
処置が終わると、清拭された赤ちゃんと穂和、お義父さんお義母さんが部屋に戻ってきた。
「初乳をあげましょうね~」
と助産師さんが言って、赤ちゃんが私の横に寝かせられた。
おっぱいを口元に持っていくが、簡単には吸い付いてくれない。
「また後で様子を見に来ますね」
言い残して、助産師さんが部屋を出て行った。
「お疲れさん、私たちはそろそろ帰るね」
そう言ったお義母さんの手の甲には、私の爪が付けた深い跡がくっきりと残っていた。
「ありがとうございました」
万感の思いを込めてお礼を言い、顔だけで見送る。
「俺も明日は仕事に行かなくちゃいけないから、そろそろ帰るわ」
そう言う穂和の手の甲にも、しっかりと爪跡が残っている。
「寝不足だもんね、本当にありがとうね。居眠り運転だけは気をつけて帰ってね」
長い長い時間を一緒に戦ってくれた穂和にも、感謝を込めて見送った。
エイプリルフールの終わる、2時間と45分前。
念願の早生まれに、滑り込みで間に合った我が家の新しい家族、小さな命。
おしるしと前駆陣痛から始まった出産騒動の、41時間とちょっとの幕が下りた。
「その1 出産へのプロローグ」へ
「その2 いざ入院へ」へ
「その3 LDRの長い一日の始まり」へ
「その4 まだ続くLDR生活」へ
「その6 援護射撃」へ
「その後 入院生活編」へ