イギリス/ストックポート日報 《England/ Daily Stockport》

イギリス北西部の歴史ある街、ストックポート Stockportから(ほぼ)日替わりでお送りする、イギリス生活のあれこれ。

過去の記億をたぐれなかったウィットビー再訪問、絶景と英国内有数の貴重な歴史遺跡!

2023年09月21日 07時30分00秒 | イングランド北部

イングランド北東部の有名な観光地、ウィットビー Whitby 、続きです。

 

ウィットビーのもっとも名高い観光名所と言えば、北海を見下ろす小高い丘の上にそびえたつ古い僧院、ウィットビー・アビー Whitby Abbey (の廃墟)でしょう。

...なんて言っておいて、実は私たちは入場料を払って見学していません!

いちばんちかくで撮った写真が、これです☟。

疲れた顔をして写っちゃっているのは夫です。

ウィッキピーデアから勝手に借りた立派な写真で全体をお見せします。☟

現在は、主に古城など廃墟のような史跡遺産を現状のまま保存して公開している私営の非営利団体、イングリッシュ・ヘリテージ English Haritage が管理しています。上の写真のような全景を見るには £11-00 (2,013円)の入場料を払って敷地内に入らなければなりません。

敷地内にはちょっとした庭園やピクニックエリア、立派な資料館、カフェやギフトショップなどがあります。

夕方の6時過ぎ、閉館後に入り口付近を通りました。レトロなアイスクリームヴァンがまだ店開きしていました。

658年、アングロサクソン七王国のひとつノーザンブリア王国の国王が建立した英国の初期キリスト教建築を代表する(もっとも古い部類の)ものすごーく貴重な遺跡です。初代の僧院長は国王の姪、聖ヒルダ、ウィットビーの守護聖人...だそうです。

国王ヘンリー八世が国教制をしいて、カトリック教を禁制化、1538年に閉鎖されました。

以後、使われなくなったまま荒廃して500年近く、長く近海を航海する船乗りたちの方位を知るための目印として使われてきたそうです。

 

丘の上の壮大な廃墟は町のどこからでも目につきます。

 

僧院のとなりのこれまた古い歴史のある教会、チャーチ・オブ・セント・メアリーズ Church of Saint Mary's の広大な墓地は海を見下ろす絶景スポットです。

たいていの英国の古い教会の境内にある墓地はけっこう狭いのですがここは違いました!海に面した丘一面に立つ墓標の数々...圧巻です。

このあたりから内陸方向に右を向いたら、僧院が遮るものなくよく見えました。(写真を撮るのを忘れました)

英国には古い教会の墓地で墓標を読むのを楽しむ人がけっこういます。死因や職業、死亡した年齢などが書かれていることもあり、興味深いです。私も夫も暇な時はひとつづつ見て歩き、古い墓標探し競争などして楽しみます(不謹慎ですね)

 

この教会もとても古いですよ。僧院よりちょっと後の12世紀建立(数百年にわたって修復されているようですが)、他の古い教会同様、もちろん最初はカトリックの教会だったのですが、ヘンリー八世の国教制の際、英国国教会に接収されて閉鎖をまぬがれ、現在も国教会の教会として使われています

...話が前後しますが!

エスク川 River Esk を渡ったこちら側(僧院のある丘のある側)は「オールド・タウン」と呼ばれている古い入り組んだ街並みです。

観光客に最も人気のあるその名もチャーチ・ストリート Church Street をおしまいまで行ったところの...

青い窓枠のアイスクリーム屋の角を入ったらすぐ目の前に...吸血鬼ドラキュラも一気に駆け上がったという(別の回で後述します)教会に続く有名な 199段の階段 199 Steps があります。

以下、話がどんどん飛びますが、悪しからず。

実は、私たちは20年ほど以前にウィットビーに来たことがあるのです。その時は小さかった息子と夫とたしか3人で(娘が生まれる前だったと記憶しています)夫の弟が所有する、ヨークシャー中部の貸別荘に厚意で泊らせてもらい、日帰りで来たのでした。借り手がいなかった冬のことだったはずです。

何とも記憶があいまいなこの旅行時の思い出を夫と話し合っても食い違いばかりで...

この199段の階段を上がった記憶は抜けていますが、下りたところ(アイスクリーム屋の向かい)の、☟の写真の白いヴァンのとまっているあたりで、たしか映画かテレビの撮影セットが組まれていた記憶は一致しています。

19世紀の漁村のような設定だったはずです。キャストは(それどころかスタッフらしい人もたぶん)見かけませんでしたが、通りがかりの人が「むこうでグィネス・パルトローを見た」と教えてくれました。19世紀の扮装をしていたかどうかは聞きそびれました。それ以後しばらくの間、「パルトロー主演の漁村が舞台の(?)ピリオド・ドラマ(時代劇)」を定期購読していたテレビ番組情報誌で探したのですが、それらしいものを見かけずそのうち忘れてしまいました。...別の回で後述します。

199段、夫は激しく抵抗しました。膝が痛くなるので絶対に上がらないぞと。

私は20年前に上がった時の記憶を裏付けしたかったのです。...日帰りで時間が足りなかったこともあり、その時も僧院には寄りませんでした。

どういうわけか、夫の気が変わって「よし、上がろう!」ということになったのでした。アルコール類が摂取できない私が快く2軒もパブに付き合ったからでしょうね。

 

素晴らしい眺望は20年前のかすかな記憶、そのままです。

僧院の創設と同時に設置された階段だそうです。素朴な木の段々が現在の石段に作りかえられたのは18世紀になってから。修復されているでしょうね、けっこう状態がよかったですから。

どうして、わざわざ200段近い階段を上がらなければならない周りに何もない場所に教会をたてたのか!?

教区の信者たちの信仰を試す意味もあったそうです。標高が高い方が天国にも近いですしね。もちろん、当時はカトリックの重要な巡礼地である由緒ある僧院のそばであるのも重要なポイントだったでしょう。

階段の途中わきにところどころ、木の横木が渡った張り出した場所があります。階段を上がる途中で腰かけて一休み、眺望を楽しむのに重宝しますが実はこれ、丘の上の教会の墓地に埋葬するため故人をおさめた棺を担いで上がって来た人たちが棺を一時のせて一休みするための設備だったそうです。

手ぶらで上がるのさえひと苦労なのにお棺を担いで199段は大変です。その実、覚悟をきめてのぼりはじめた夫は思ったほどの苦行ではないと考えをかえました。

黙って段数を数えながら上がるのものなのだそうです。いっしょに上がった若者たちも「今、何段か」時々、仲間どうし確認しあっていました。階段の前面に10段ごとにローマ数字で段数が刻印された小さな銅板がはめ込まれていることを知らない人は多いようです(私が前日にインターネットで見つけた情報です)

のぼり着いた墓地からの眺めです。

1本の先まで雨降りで強風の別の日に先まで行った、入江から突き出す2本の突堤(ピア pier)が晴れた夕方、くっきりと見下ろせました。

 

199段の階段ではなく教会わきの細道を通って丘の下まで降りました。

人懐っこい駄馬が2頭いたものですから。

 

手を差し出すとふんふんと鼻ずらを押し付けてきたこのウマは額にたれたたてがみを短い三つ編みにしてもらっていました。かわいい!

 

海と河口と港街を見下ろす素晴らしい眺望付きの細長い放牧場で余生を過ごすウマ2頭。あんまり眺めには関心がなさそうでした。慣れちゃったんでしょうね。

 

 

木の生い茂った細道を抜けて、下のチャーチ・ストリートの、町の中心に近い場所に戻りました。

20年前の記憶がいっそう混乱しました。私が丘の上でたしかに途中で寄ったという古い公民館のような場所でやっていた「地元の物産展」のような催しにちょこっと立ち寄ったという私の記憶は徹底否定されました。実際そんな場所は見かけませんでしたし。

夢だったか、別の場所と混同しているのだろうと言われたのですが納得いきません。

夫は私の「見たものに関する詳細な記憶力と表現力」は特筆ものだと賞賛してくれるのですが、時空系列の意識がめっちゃくちゃ(混同する)だと非難します。

「第一、いつ何処に行ったか行かなかったか、そんなに重要か!?」...と、言われてみれば、たしかにそうなんですけどね。

古い漁港の設定のドラマか映画(当時、ロンドンに住んでいたアメリカ人女優のグィネス・パルトロー説は信ぴょう性ありですが、あきらめました。手掛かりになりません)に関して...当時と違ってインターネット・サーチが可能な今、心当たりの連続ドラマを1本見つけました。無料で視聴できるストリーミングサービスを発見!現在、記憶のその場所が出てくるかを確認中です。

...夫は興味なさそうですが「見つけたら教えてね」とだけは言ってくれます。(私のこのこだわり、何なのでしょうか)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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