4月19日、信濃毎日新聞、「世界が見るニッポン」は、韓国の前大統領、金大中氏の「平和憲法は宝、捨てるな」と題するインタビューを掲載している。
私は韓国ドラマをよく見ているが、韓国ドラマの特徴の一つが、ストーリー展開のドラマチック性、ジェットコースター性だ。
しかしこの特徴は、ドラマのためにあえて作られたというより、朝鮮半島の歴史とそこに生きた人々の激動を反映している。
金大中氏の人生はまさにその典型。
1925年生まれの金氏の人生をたどってみると、朝鮮戦争で、北朝鮮軍に捕らえられ、銃殺寸前で脱出。1971年には交通事故を偽装した暗殺未遂。
そしてよく知られているのが、73年の東京滞在中の拉致事件。海上で殺害寸前を「中止命令」で救われる。
80年にはその年の5月の光州で民主化を求めての暴動を扇動した罪で、軍事法廷で死刑判決。
不死鳥のようによみがえって、大統領に当選の軌跡は、これ以上ないドラマだ。
韓国が東西冷戦の軍事政権のもと、瀕死の金氏を救ったのは、日本の民衆の側面援護であり、それが韓国の民主化に貢献した、と金氏は評価している。
その日本の民衆の行動の源泉は、「平和憲法」であったはずだと、金氏は言いたいのだと思う。
もし、日本が「普通の国」として、軍隊を持ち、外国にも出ていくスタンスを取り、アメリカとも共同して軍事行動を行う国ということであったなら、「韓国の民主化」への援護どころではなかったはずだし、韓国とともにベトナム戦争にも出ていき、傷ついたはずだ。
中国や韓国が日本の「平和憲法」を評価し、これを捨てないで」と言うと、改憲派の人たちは「それは、日本の軍事大国化を恐れてのことで、彼等の陰謀だ」とでも言うのだろうが。「けんかするより、仲良くやる」のが、隣近所付き合いというものじゃないだろうか。
長崎市長襲撃死事件は、私に昨年の加藤紘一氏実家放火事件、それに数年前の、民主党石井紘起議員刺殺事件を思い起こさせた。
加藤氏の事件は、政治的発言に対して、と犯人も言っているが、長崎市長と石井議員の場合は個人的恨み、というのが表向きの理由だが、果たしてそうか。
3実行犯とも、お金に行き詰り、人生に行き詰っていた。そこにつけこむ背後があるような。
3被害者とも、穏健・良質の保守・中道の政治家達だ。そこにテロの攻撃が向けられる世の中に不気味さを感じる。
この部分の政治家の「口封じ」をしてしまえば、あとはなだれを打って一つの方向に進めることができる。
社民党・共産党・護憲派の政治勢力は今や少数派だ。政治的影響力という点で、それほど気にしなくてもいい存在と、いまの政治権力を握っている勢力は考えているのだろう。
昭和7年、5月15日。その日は、本当にさわやかで、美しい日曜日だった、と、この日の惨劇の犠牲者犬養毅首相の孫、犬養道子さんは著書に書いている。
土足で家に踏み込んできた海軍将校達に対して、首相は、「靴でも脱いで、座れや」と、人生経験豊かな政治家として応対しようとしたが、青年士官達は、老獪な政治家に説得されることを恐れて、「問答無用」と、発砲した。
「話せばわかる」という首相の言葉が有名だが、時代は「話してわかる」ようなもう時代ではなかった、とも道子さん書いている。
「話せばわかる」は、青年将校たちが、犬養首相に対して持っていた、金銭に関わる誤解を解くために、発した言葉だったという。
「問答無用」の最たる例は米軍のイラク攻撃だったと言う気もするが。