アメリカ・バージニア工科大の「無差別銃乱射事件」の犯人、チョ・スンヒは韓国からの移住者。
8歳?のときに、両親・姉とともに、アメリカに生活の活路を求めてやってきた。
このスンヒのような、子供の頃にアメリカに移住した世代を1・5世代といって、自身のアイデンティーに苦しむ典型的世代なのだという。
生まれも育ちもアメリカという世代と違って、あらゆることが中途半端なのだという。
スンヒは、英語の発音をからかわれたりしたことから、人と話を交わさない人間になってしまった。
大人になってからやって来た世代なら、英語ができないことや、発音にクセがあることも、大目に見られる、ということがあるかもしれないが、子供世代だと、学校で「いじめ」の対象になってしまうのだろう。
「移民の国」、アメリカでは、あらゆる国から人々が集まり、それぞれの国の言葉を背負った「英語」が語られていると思っていたが、スンヒのしゃべる英語のどこが、周囲の人間に違和感をもたせたのだろうか。
姉のほうは、うまく対応して、優秀な成績を挙げ、国連職員を勤めているということだが。
韓国ドラマを見ていると、アメリカに仕事を求めて行くとか、留学するとか、あるいは養子になっていくと言うような設定が頻繁に出てくる。
特に資源がある国でもないから、豊かさを求めるとするなら、外へ向かうしかない事情が見える。
それと、韓国社会は、勤勉だけれど、子供達を極端な勉強や出世主義に駆り立てている、というのもドラマから見えてくる。
きょうだいの扱いも、そんな点で露骨に差があって、それに反抗してはみ出していく人間を描くという設定も多い。
多民族社会だからこそ、「正統派英語」、つまり東部のエリート社会の人々が話す英語が、最も尊ばれる、ということなのだろうか。
日本でも「標準語」として、放送界のアナウンサーが話す言葉が「正しい日本語」とされているような気がするが、テレビを通じてタレント達が、自分の出身地の言葉を話すのが個性として、もてはやされもするので、このところ地方の言葉を話すことを「田舎者」として、馬鹿にするということではなくなっているようにも見える。
関西弁、九州弁、沖縄言葉は、出身のタレントの多さに比例して市民権を得ている。
東北なまりも、どこか懐かしさをかんじさせる言葉として、これを笑う、というのは社会的にはないが、学校社会では、そうではないのだろう。
もう一つの問題、「銃社会」だが、今週、NHKBS2では「アドベンチャー・ファミリー」シリーズの特集だったが、その世界では、自然の中で暮らすのに、時に襲ってくる獰猛な動物達と戦って生き残るために銃が欠かせない。
開拓時代の伝統、先住民征服の歴史が、アメリカ社会に強く根付いていて、「襲われることを常に恐れ、それに備える」社会がアメリカそのものの感もあって、だけどこれは「病んだ社会」、「中毒社会」だ。
銃を捨てる社会」にならなくては病も中毒も治せない。
今日の感想。
安倍総理の訪米に合わせてか、30年以上前の北朝鮮工作組織による「拉致事件」の捜査で大騒ぎだ。NHKニュースもこればかり大げさに伝える。
首謀者に逮捕状を出したって?馬鹿らしくて・・・。国交もないのに逮捕状出して、どうやって解決するというのだ。
安倍総理の政治目標の一つがこの「北朝鮮による拉致事件の解決」だ。だから時々、何かやってますよ、と花火を上げる。そしてそのままだ。
確か以前にも、蓮池夫妻を拉致した工作員に逮捕状出したはずだけど、あれはどうなったのか。
いい加減、日本の国民は、この安倍総理の「拉致事件の解決に真剣に取り組む政治家」のまやかしを見抜かなくては。拉致被害者を、自身の政治的目的に利用しているだけで、解決する気などない。本当に解決するためには国交を回復して自由に行き来できるようにしないと、逮捕状の持っていきようがない。