木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

子供に溺れる母という存在

2021年08月13日 | Weblog

今日は仏教で死者を思い出しその霊をなぐさめる「迎え盆の日」。
だがあいにくの雨模様。いつもの年なら家の前を通ってお墓に向かう家族連れの声も聞こえない。
近くのお寺の木魚の音が聞こえていたが今はやんだ。ここの住職は代々の人ではなく先代の住職の孫娘のお婿さんだ。
動物園に勤務していたがそれをやめて今はお寺の住職。と言ってもお寺だけでは生活できないので桃を作ったり、よそのお寺のお手伝いをしたりで生活している。地域で頼りにされる存在。

どうしようもないマザコン男の森鴎外
今森鴎外の次女小堀杏奴さんの「晩年の父森鴎外」を読んでいる。
島根県の岩見の藩医の息子だった林太郎=鴎外。母はこの秀才の息子に家名の上昇を託す。今で言う「教育ママ」。
鴎外はこの母には全く逆らえない。言いなり。特に女性とか結婚に関してはこの母の元何人もの女性を不幸にしている。
杏奴さんはそんな父の晩年と言っていい40代に生まれた娘。父のことは大好きだったが、この女性達に関しては冷静に父を批判している。
鴎外の母は特に自覚なく家のため、家族のためと懸命に息子を支える。それが「母の生きがい」。
今に続く女性の一つの在り方。江戸から明治の時代の人だから他の生き方が限られていて「自己実現」が息子の出世。
野口英世の母もそうだが野口の母の場合は貧窮のため全面的に息子に奉仕できない。しかし英世も身はどこにあろうと母に手紙を送り続けた。母は仮名しか読めない人だったから小学校時代の恩師に手紙を送った。恩師がそれを母に読んで聞かせるだろうことを想定して。
今は女性も「自己実現」できる時代。子供に全てを託す時代ではないはずだがいつの間にかそこにはまってしまっている女性も多いように私には見える。
それは子供の側にとっても不幸なことのように思う。


コメント
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