文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

「銀河鉄道の時刻表」4月4日。

2012年04月04日 20時45分34秒 | 日記

gooにおける昨日のアクセス数は、以下の数字でした。

4月3日のアクセス数 閲覧数:10,095PV    訪問者数:698IP

順位: 690位 / 1,702,384ブログ中 (前日比 ↑)

過去2週間の閲覧数の合計は155,440PV、訪問者数の合計は7,919IPです

一方昨日のアメーバは、閲覧数:847  訪問者数: 532

gooの、ページごとの閲覧数ベスト20は以下の通りです。

1トップページ105 PV

 

2昨夜、NHKのニュース9で、日本の政治=...50 PV

 

3事は、その正反対。45 PV

 

4そう、これ。これで未だに私の「文明のタ...43 PV

 

5知日派の都 復興支援 日本学盛ん オラン...39 PV

 

6理研発VB米国で治験 免疫抑制剤 服用短く...37 PV

 

7世界遺産、天龍寺・曹源池庭園…。34 PV

 

8それこそがSONYであって、サムソンには...33 PV

 

9SONYが、くさされ続けて、嫌気が差した...32 PV

 

10前章続き。31 PV

 

11阪神大地震や東北大地震でもビクともしなか...30 PV

 

12ヨーコ・オノさんが、ニューヨーク・タイム...30 PV

 

13デフレが始まったのは何時かと問われても、...30 PV

 

14実に簡潔・明瞭だが…。29 PV

 

15高品質日本の起源 小池 和男著…4/1、日経...29 PV

 

16今は…それは、もう私の役目ではない。28 PV

 

17オバマを読む アメリカ政治思想の文脈  ...26 PV

 

18実に簡潔・明瞭な、全段ぶち抜きの広告を為...25 PV

 

19彼が、私のリクエストに応えてくれていた...25 PV

 

20もし、日本が世界に誇るゼネコンが、それだ...25 PV

 

 

 

 

 

 

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それが日本の大停滞の真の原因なのだろうと。

2012年04月04日 15時15分16秒 | 日記

2012/4/1、天龍寺にて。






 

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小室直樹に言わせれば、日本で唯一の政治学者である丸山真男の言を…。

2012年04月04日 15時11分27秒 | 日記

何にしても、「完成された民主主義は、世界の何処にもない。
世界は、よりマシな民主主義を構築できているだけだ。
日本の場合は、君の大学の、最も素晴らしい政治学者…
小室直樹に言わせれば、日本で唯一の政治学者である丸山真男の言を、一番、無視して来たのが、東大卒なのだろうと私は思う。




2012/4/1、天龍寺にて。


 

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勿論、例えば、米国では考えられない…。

2012年04月04日 15時07分00秒 | 日記

勿論、米国では考えられない、〈東大出であることが必要以上の意味を持つ社会〉の欠陥、それが全ての原因だろうと私は推測しているのだが。


2012/4/1、天龍寺にて。
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解決すべき問題を持たない、他者に対する眼差しが無い、使命感がない…。

2012年04月04日 14時52分59秒 | 日記

東大卒の、正に対極に居たのが、一代の傑物であった田中角栄である訳だが、
その違いは、何処に在るかというと…豪雪地帯の貧困の解消は、田中の悲願であった。
(ウィキペディアより)
その悲願が田中角栄を偉才としたのであり、あまたの東大生に無いものが、そういう悲願というか、解決すべき問題を持たない…
他者に対する眼差しが無い、使命感がない、そう言う事なのだろうと私は思うのだ。
下手すると、そこらのチンピラと何ら変わらない、ただのエゴイストになってしまう危険性を、彼等は常に持っているのだと私は思う。



2012/4/1、天龍寺にて。

 

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私が思うに、現場感覚の不足、これが一番の欠点なのだろう。

2012年04月04日 14時40分39秒 | 日記

米国の様な、或いは、この間のスイスに代表される様な、欧米諸国のように、どうして、日銀は果敢な決定が終に出来ぬまま、20年超も来てしまったのだろうか、と。
…歴代の日銀総裁は、殆どが東大卒のはずである。
私が思うに、言わば、現場感覚の不足、これが一番の欠点なのだろう。



2012/4/1、天龍寺にて。

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戦前から、ついこの間に至るまで…。

2012年04月04日 14時33分21秒 | 日記

私の母校の様に、文武両道、質実剛健等の、所謂、伝統校…各地方のNO1高校に居た者たちは、東大だけが大学等と思っている阿呆は一人もいないと私は確信しているのだが。
私が、佐藤君に言いたい事は、戦前から、ついこの間に至るまで、どうして、君の大学出身者というのは、国を誤らせ、歪めて来たのだろうかという事を、丸山真男に負けないレベルで、是非、研究し、その成果を発表してほしいと。
今日、私は痛切に、そう思ったのだった。



2012/4/1、天龍寺にて。
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私の同級生や先輩、後輩の方々を見るまでもなく…。

2012年04月04日 14時27分16秒 | 日記

彼が佐藤信という名前で既にして政治学者の肩書を持つ24歳の若者であると初めて知った。
御厨教授の教え子である事なども。
今日、所用で、スタバに向かっていた時に、私は思ったのだった。
私の同級生や先輩、後輩の方々を見るまでもなく、東大に行った人間で、優秀で無い等というのは滅多にいない訳である。
ガリ勉型の、所謂、東大だけが大学だと思っている様な東大受験一本槍高校を出て、東大に行ったような連中が、どうなのかは知らないが…
私は、ロクなもんじゃないだろうな、と思っている。




2012/4/1、天龍寺にて。
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これに立ち往生したのである…と、私は書いたのだったが。

2012年04月04日 14時21分34秒 | 日記

昨日、今週号の週刊朝日を読んでいたら、先般、60年代の安保闘争世代の事を「皮膚感覚」で書いたという東大生の特集記事が。
以前に…その後の全共闘世代が、何に惑わされたのか、それは皮膚感覚等というものではなくて、受験勉強を終えて大学に入った彼等に対して、突然、突き付けられた問い…
自分達が東大、京大、東北大、阪大、etc.の最高学府の学生であると云う事は、結局、一般大衆を搾取する側に回るだけじゃないのか…
これに立ち往生したのである…
詳細は該当の章を御参照下さい…と、私は書いたのだったが。




2012/4/1、天龍寺にて。
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前章の書評というか推薦文を読んで、私が、真っ先に思った事は、後藤新平の事だった②

2012年04月04日 10時46分10秒 | 日記

今回の大震災にこそ彼の様な政治家が必要で在った時に、我が国のマスメディア…特に論説委員たちは、現存する政治家の中で、最も後藤新平に近い大志と資質を持っていた小沢一郎を叩く事に血道を上げて、本来、一国のリーダーにしてはいけない様な人間を首相に持ち上げる事に勤しんだのである。


2012/4/1、天龍寺にて。
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My prayer is to linger with you.

2012年04月04日 10時42分08秒 | 日記

2012/4/1、午後4時、天龍寺にて。





 

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田中退任後の展開 …ウィキペディアから。

2012年04月04日 10時36分44秒 | 日記

田中退任後の展開
1974年12月に、田中は、「金脈問題」で首相の座を追われた。
オイルショックによる経済の混乱などもあり、交通網の整備は順調に進まなくなった。
しかし、1980年の国鉄再建法によって鉄道の在来線建設や既存在来線の高速化などが抑制されて特定地方交通線の廃止が進み、整備新幹線の着工も長く見送られた一方、高速道路など道路網の整備はその後も進み、道路建設は主にガソリン税の増税などによって実施された。
結果として、多額の借金を国や地方自治体は抱えることとなり、様々な批判が出るようになった。
日本にとって、首都の過密と地方の過疎は、当時よりも一層深刻な問題になっており、少なくとも田中が「日本列島改造論」を著したのはこうした状況への問題提起としての意味を持っていた。
交通網の整備で様々な課題が解決するという発想は、余りに楽観的で「土建業一辺倒だ」という批判もある。
地方から過密地(特に首都の東京)へ向かう交通網の整備は、東京一極集中を促進して、過疎化を逆に促進する傾向もあった(ストロー効果)。
地方での道路の整備は地方都市の郊外化を招き、中心市街地を衰退させる結果となった。
現在建設されている、新幹線や高速道路などは、首都の東京へ向かう路線が多く、地方間を結ぶ路線の建設が遅れているという側面もある。
こういった場合、東京へ人口が流入するという現象が現れるのは仕方がなく、地方間の路線を建設することにより、「均衡ある発展」が実現するという論説もある。
田中は、本書の結びに、『情報通信の全国的ネットワーク』の時代の到来を予言している。
キャプテンシステムやニフティサーブ等のパソコン通信サービスが一般化されるのは、10年後の80年代のことであった。

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ついでと云ってはなんだが、日本列島改造論を…ウィキペディアから。

2012年04月04日 10時30分17秒 | 日記

『日本列島改造論』(にっぽんれっとうかいぞうろん)は、田中角栄の主張および著書。実際に執筆したのは後の通産事務次官小長啓一[1]。1972年6月に日刊工業新聞社から刊行され、当時発行部数91万部、年間4位(出版科学研究所調べ)のベストセラーとなった。(定価500円 ISBN 4526034673)
田中は、同年7月の自由民主党総裁選挙で当選し、首相となった。
主旨
日本列島を高速交通網(高速道路、新幹線)で結び、地方の工業化を促進し、過疎と過密や、公害の問題を同時に解決する。
イタリアやアメリカ合衆国の例が挙げられており、国土のうち、北部を工業地帯に、南部を農業地帯にすべきである(日本の現状は逆である)という持論が展開されている。
これは、田中の出身地と地盤が新潟県中越地方にあり、中越地方の中心都市である長岡市が日本の北部に当たるという考え方に起因すると見られる。
豪雪地帯の貧困の解消は、田中の悲願であった。
田中内閣での施策
1972年7月に田中内閣が発足すると、田中は首相の私的諮問機関として「日本列島改造問題懇談会」を設置し、8月7日の第一回を皮切りに会合を重ねた。
当初75名とされた懇談会の委員は途中で90名に増員された。9月には総理府政府広報室が、「日本列島改造論」について、「知っているか」「主要点の賛否」「期待」などについて面接聴取している。
またグリーンピア構想は、日本列島改造論に促されて具体化し、8月に厚生省年金局と大蔵省理財局がグリーンピアの設置に合意した。
しかし、日本列島改造ブーム(列島改造景気)が起き、『日本列島改造論』で開発の候補地とされた地域では土地の買い占めが行われ、地価が急激に上昇した。
この影響で物価が上昇してインフレーションが発生し、1973年春頃には物価高が社会問題化した。
これに対して政府は「物価安定7項目」を対策として打ち出したり、公定歩合の4度に渡る引き上げなどを行ったが十分な効果は上がらなかった。
その一方で、『日本列島改造論』において柱の一つとされていた新幹線をめぐっては、建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画への路線の追加が検討され、候補とされた地域の関係者や国会議員が誘致活動を繰り広げた(11月15日に運輸省告示で11路線を追加)。
やはり『日本列島改造論』で取り上げられた本州四国連絡橋の基本計画が指示されたのも1973年9月のことである。
その矢先の1973年10月に勃発した第四次中東戦争をきっかけに起きたオイルショックは、物価と経済の混乱に決定的な打撃を与え、「狂乱物価」と呼ばれる様相を呈した。
この影響で、本州四国連絡橋の着工は11月20日に延期が決定した。
11月23日に愛知揆一大蔵大臣が急死し、田中は内閣改造に際して後任に政敵で均衡財政論者でもある福田赳夫を起用。
福田は総需要抑制策による経済安定化を図ることになり、「列島改造論」の施策は大きく後退することとなった。

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「日本改造計画」について…ウィキペディアから。

2012年04月04日 10時24分31秒 | 日記
日本改造計画   文中黒字化は芥川。

『日本改造計画』(にっぽんかいぞうけいかく)は、日本の政治家、小沢一郎の著書。1993年刊行。

概要

小沢が自民党の幹部時代、講談社から1993年5月20日に発表され、実際に書店に並んだのは6月下旬だった。内容は小沢の政策やビジョンをつづったもので、小沢が自民党を離党して、新生党を立ち上げ、細川連立内閣が成立するという政治の激動期において、中心人物の小沢の考えを知るための書として、発行部数72万5000部の年間3位のベストセラーになった。かつて、小沢の師の田中角栄が1972年に著してベストセラーになった『日本列島改造論』の平成版ともいわれる。

内容的には、新自由主義的な経済改革、軍事も含めた積極的な国際貢献、政権交代のある二大政党制を可能とする政治改革などが提唱されているが、これらはその後の政界再編期の主要な政治課題を先取りしたものであった。

小沢の理念をもとに、官僚や新聞記者などが詳細について肉付けしたものとされているが、執筆過程の詳細はわかっていない。

本書発売を契機に、政治家本出版ブームが起こり、浜田幸一『日本をダメにした九人の政治家』(1993年12月)、橋本龍太郎『VISION OF JAPAN』(1993年12月)、武村正義『小さくともキラリと光る国・日本』(1994年1月)、渡辺美智雄・柿澤弘治・伊吹文明『新保守革命』(1994年4月)などが相次いで発刊された。政界再編の流れの中で、国民の政治への関心が高まるなか、いずれもベストセラーとなった。

小沢は当初『夜明け』というタイトルを考えており、『改造』というタイトルは出版社の要請で入れたという。

ベストセラーになったこともあり、講談社からは英語版を出版する話もあったが、当時の講談社の『週刊現代』が、親小沢の小学館の『週刊ポスト』に対抗して、小沢批判を繰り広げていたため、この話は消滅した。

1998年に絶版となったが、2006年に小沢が民主党代表となり、また、自民党の安倍晋三の『美しい国へ』がベストセラーになって、政治家本が再びブームになっていたのを機に復刻された。

復刻にあたり、講談社学芸図書出版部部長の小沢一郎(著者と同姓同名)が担当編集者となった。

さらに『日本改造計画』の続編が執筆されるとの報道もなされた。

この本とは直接関係はないが、同じく2006年には、13年ぶりの書き下ろし『小沢主義(オザワイズム) 志を持て、日本人』が集英社インターナショナルから、『夕刊フジ』の連載「小沢一郎の剛腕コラム」をまとめた『剛腕維新』が角川学芸出版から出版されている。
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私の世代に於いては、優秀選手や最優秀選手が、政治家を目指す等という事は有り得なかった。

2012年04月04日 10時11分33秒 | 日記

昨日、新聞か週刊誌で、小泉純一郎は「日本改造計画」の腹案としてあった事を、悉く、自分の政策とした、と云った既述を読んだ。
読者の方は御存知の様に、菅直人と小沢一郎が争った民主党代表選挙の時の、菅直人の、見苦しいほどの、相手の論説や哲学の剽窃…剽窃などという生易しいものではなく、昨日、相手が言った論説を、翌日には自分の論説にしているという、まともな知性の世界では考えられない…チンピラの世界、無知性の世界といっても過言ではない…弁論を為すのを見て、げに政治というのは、とんでもない世界であると私は思った。
私の世代に於いては、優秀選手や最優秀選手が、政治家を目指す等という事は有り得なかった。
最優秀選手たちは、霞ヶ関のトップや日本を代表する企業群のトップを目指したのである、とも書いた…該当の章を御参照下さい。




2012/4/1、天龍寺にて。
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