そんな訳で、平野神社の事は全く無関心で来たのだったが、京都の桜開花状況に、必ず出て来る名前だから、当然、私の関心を惹いた。
2012/4/15、平野神社にて。
そんな訳で、平野神社の事は全く無関心で来たのだったが、京都の桜開花状況に、必ず出て来る名前だから、当然、私の関心を惹いた。
黒字化は私。
拈華微笑(ねんげみしょう)とは、禅宗において禅の法脈を釈尊から受け継いだとされる伝説のこと。
概略
インドの霊鷲山(グリドラクータ)上で釈尊が黙って華を拈(ひね)ったところ、大衆はその意味を理解することができなかったが、迦葉尊者だけがその意味を理解して破顔微笑したため、迦葉に禅の法門を伝えたという伝説である。
聯燈会要・釈迦牟尼仏章には「世尊在霊山会上。拈華示衆。衆皆黙然。唯迦葉破顔微笑。世尊云。吾有正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙法門、不立文字、教外別伝。付属摩訶迦葉」とある。
また大梵天王問仏決疑経にも「正法眼蔵・涅槃妙心、微妙(みみょう)法門あり、文字を立てず教外に別伝して迦葉に付属す」とある。
この伝説は、経論律の三蔵には説かれておらず、禅宗興隆当時に他宗の教判やその実証に対抗するために案出されたものとされ、唐の徳宗の末頃に金陵の沙門である慧炬が寶林傳を撰して、この伝説を記述し、その宗を誇大にしたことから始まるといわれる。
宋代以降に人天眼目、無門関、五燈会元、廣燈録、聯燈会要などにこの伝説が記載されるようになり、宋の王安石はこの事は大梵天王問仏決疑経に出典されると述べている。
…http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%88%E8%8F%AF%E5%BE%AE%E7%AC%91から。後略。
読者の方は御存知の様に、私は、紅葉の美しさを通して、京都を再々々発見したのであって、桜を通してではなかった。
それで、これほど頻繁な京都行に於いて、桜は、対象外となっていた。(苦笑)
今年は、言うまでもなく、桜を通して、京都の春に拈華微笑(ねんげみしょう)しているのである。
例えば、以下の絵は、醍醐寺に拈華微笑している方でなければ、どこの場所かは決して分からないでしょう。
大げさに言えば奇跡の様な二葉の絵なのである。