文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

再発信!この似鳥発言が全然叩かれないのはなぜかしらね。親中無罪だからか。

2024年05月28日 23時29分37秒 | 全般

この似鳥発言が全然叩かれないのはなぜかしらね。親中無罪だからか。
2023年03月09日

以下は今しがた発見した有本 香さん、石平太郎さんのツイートからである。
有本 香 Kaori Arimoto
@arimoto_kaori
石平さんに便乗するわけではないが、今どき「あの民族は頭がいい」などと、カメラの前で語るほどアホな企業トップが存在することが信じられない。
この似鳥発言が全然叩かれないのはなぜかしらね。
親中無罪だからか。
@liyonyon
何を言っているのかこの人。
日本人ノーベル賞受賞者は28人もいたのに対し、中国の場合、海外にいる元中国人を含めてただの8人。
もちろん、似鳥さんのような阿呆が日本人にいるから、日本人の頭の良さの平均値はそれだけ下がるのだが。

引用ツイート
Koji Hirai 平井宏治
@KojiHirai6
ニトリの似鳥さん「中国人は頭がいい。世界中で、ゲルマン民族のドイツ人、東アジアでやはり中国人がナンバー1。中国人は日本に渡ってきた。我々の先祖は中国人だ。日本人は中国人のDNAを引いている。世界で成功するかどうかは中国次第。中国で成功すれば世界中どこでも成功する。僕は中国の大ファン

https://twitter.com/i/status/1633792191272488963

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊かな構想力をもつ一方で実に静かなこの男に後藤は惚れた。ひたすら彼を信じて仕事を任せた。 

2024年05月28日 22時31分58秒 | 全般

以下は発売中の月刊誌Hanadaの巻頭を飾る渡辺利夫氏の連載コラムからである。
本論文は、日本国民のみならず世界中の人たちが必読。

第26回 人を残して死ぬ者は上(じょう)だ
″よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。 
仕事を残して死ぬ者はmiddle classだ。 
人を残して死ぬ者は上だ。 
よく覚えておけ。”

出典は明らかではない。
第三者がひねり出したフレーズかもしれないが、後藤新平の語りだと伝えられている。
たしかにそういうふうに生きた人間が後藤なのであろう。
特に”人を残す”という面で後藤は刮目すべき成果を残した。
諸事業完遂のための人材抜擢、抜擢された人間への全幅の信頼、信頼に答える技術者や官僚の献身、これらが後藤の事業成功の一因であったように思われる。

台湾開発を事例に二つのことを語っておこう。
一つは土地調査事業、もう一つは南北縦貫鉄道の起点、基隆(キールン)の築港である。

後者から入ろう。 
台湾海峡沿いの西海岸には良港にふさわしい深度がない。
東海岸は中央山脈が迫り峻険な山々が一気に海に沈み込んで形成された海溝ばかりである。
西も東も海岸線の出入りが少なく築港は容易ではない。
せめても基隆、高雄の二つだけが適地である。
基隆には清朝の時代に開かれた港があった。
しかし粗末なもので、縦貫鉄道敷設のための資機材の搬出入には耐えられない。 

築港のための港湾技師として後藤が抜擢したのが三十歳代半ばの長尾半平(はんぺい)である。
長尾は東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業のあと、山形県ならびに埼玉県の土木課長職にあった。
台湾の知事の一人として赴任してきた元山形県知事の木下周一から長尾の力量のことを聞き及んで、後藤は長尾を総督府民政部土木課長として招いた。
豊かな構想力をもつ一方で実に静かなこの男に後藤は惚れた。
ひたすら彼を信じて仕事を任せた。 

基隆はモンスーン期になれば風浪が絶えない。
水深が浅く一千トンくらいの船舶でもかなりの沖合に投錨(とうびょう)、そこから艀で乗客や資機材を運び込まねばならない。
防波堤の建設と浚渫(しゅんせつ)が欠かせない。

長尾はこれまでの知見と欧米の最新技術を動員してプランを練り、児玉源太郎と後藤を前に二時間近く必死の思いでこれを説明した。
児玉も後藤もこの間、合いの手を一切入れずただ聞くのみ、説明が終わろうとするところで児玉はいう。 
「よかろう、後藤君、これでやってもらおうじゃないか」「よろしうございます。長尾君それでやってくれ」 
二人の即座の判断に長尾は度肝を抜かれ、その後はひたすらの努力であった。

台湾縦貫鉄道の建設資機材の大半は、貨車、客車、レール、枕木、石材、セメント、石炭など重量と積量においてきわめて大きなものばかり、いずれも日本本土や欧米からの輸入に頼るしかなかった。
基隆と高雄まで船で運び、そこから各所に配分する。
縦貫鉄道の敷設は基隆と高雄の築港と同時に進めなければならなかった。 
基隆の築港という台湾開発の大事業のすべてが長尾に委ねられ、長尾も心血を注いでこの事業にあたり、予定通りの竣工となった。
長尾はこのあと、さまざまな職籍を経て最後には朝鮮総督府に転任、同地で没した。 

日清戦争前、台湾は清国領であったが、この国には台湾を開発する意図はまったくなかった。
住民に「戸籍」があるように、本来、土地には「地籍」がある。
所有者、地番、地目、境界などである。
日本統治前の台湾島には豪族が入り乱れ土地を奪い合い、土地を管理すべき政府自体が存在しないも同然であった。
この乱脈な土地を引き継いだのが総督府である。

統治が開始された頃、統治のための財源は地租に求めるのが普通である。
しかし台湾の土地の地籍は曖昧であり不明であった。
本格的な土地調査事業を展開しなければならない。
「臨時台湾土地調査局」を設置、後藤が局長となり、この事業を実質的に差配する局次長に若年の中村是公が抜擢された。
中村は八百余人の総督府役人を数十班に編成、各班は三角測量機を手に全島に散らばっていった。
地方官僚や現地住民を含めると、調査完了までの七年間に延べ百四十七万人が動員されたと記録される。 

中村は第一高等学校を経て東京帝国大学法科大学を卒業、大蔵省人省、秋田県収税長として二年間勤務、この間に大蔵次官の田尻稲次郎の信頼を得て台湾総督府赴任を勧められ、フロンティア開発に携わることになった。 
土地調査事業の結果、事業開始前には約三十七万ヘクタールであった土地面積は六十三万ヘクタールとなり、地租は八十七万円から二百九十八万円へと急増した。
同時に、当時「大租戸」と呼ばれていた不在地主の土地所有権を総督府が買い上げ、これを耕作農民に譲渡するという所有権改革にも打って出た。
土地買収の財源は同時に成立した「台湾事業公債法」にもとづく公債により充当された。 

往時の日本の代表的ジャーナリストの竹越與三郎は台湾の土地調査事業を観察し、自著『台湾統治志』のなかで、「明治七年の地租改正の如きは、真に児戯に類すの感あるを免れず」と述べ、さらに「是れ実に台湾に於ては、社会的の一革命と云はざるべからず。然れども多くの革命は犠牲を要すれども、此革命は何者をも犠牲とせざるのみ」と記している。 

南北縦貫鉄道、基隆築港、土地調査事業は台湾の三大事業と呼ばれていた。
それぞれが長谷川謹介、長尾半平、中村是公に委ねられ、それぞれがうまく展開できたようにみえる。

しかしカネは大いにかかる。 
日清戦争に巨費を投じて蕩尽する本土政府からの借入は難しい。
公債発行が不可欠であった。
三大事業に成功すれば台湾は必ず自立できる。
自立すれば台湾には本土の大資本が製糖、米、茶、樟脳、檜材の利を求めて進出してくる。
元本・利子の返済は必ず実行できる。

児玉と後藤は本土政府との交渉に勝負をかけた。 
台湾領有の時点では、台湾内の租税によってまかなわれる総督府収入は歳出の三割のみ、残りはすべて本土政府からの補助金に依存しなければならなかった。
「台湾売却論」が本土の政府や議会で話題を呼んだのも無理からぬことであった。
しかし児玉と後藤は怯むことはなかった。

最後の頼みの綱は時の海軍大臣の西郷従道であった。
長兄に隆盛をもつこの軍人のいかにも大人らしい鷹揚で懐の深いものを後藤は感じ取り深く敬っていた。
隆盛の薩摩への下野に従わず、明治新政府を軍人として内側から支えるという、いわくいいがたい従道の心中の葛藤に人間としての濃い陰影を感じていた。
最終的にはこの人物が動いて台湾事業公債は陽の目をみた。 

中村是公は後藤が初の総裁として着任した満鉄の副総裁に抜擢され、後藤が満鉄を去ったあとには第二代の総裁に任命された。
大正十二年九月の関東大震災後の帝都復興には、後藤の強い推挙を受け東京市長として邁進した。
昭和二年三月一日、胃潰瘍にて急死、享年五十九であった。


2024/5/25 in Kyoto

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本国民全員が必視聴!!1035回 中国はEVで最先端って誰が言う…。

2024年05月28日 22時09分12秒 | 全般

日本国民全員が必視聴!!1035回 中国はEVで最先端って誰が言う…。


2024/5/25 in Kyoto

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再発信!独裁者は隣接国家の「弱さ」を見て干渉や挑発の誘惑にかられるから、曖昧な態度を取ることは危うい

2024年05月28日 21時52分53秒 | 全般

2022年05月20日
防衛力強化を欠く制裁は危うい|湯浅博 | Hanadaプラス (hanada-plus.jp) は日本国民全員が必読。

岸田外交の脆弱性は、経済制裁で啖呵を切るものの、それに見合う抑止力の構えを用意しないことだ。
力強い外交は、それを支える防衛力の強化を欠いては、かえって足元が危うくなる。
目次
● 強まる日欧の連帯
● 露に弱さを見せるな
岸田文雄首相が先の6カ国訪問の締めくくり会見で述べた「ウクライナは明日のアジア」との修辞は、現状変更勢力の中露に対抗する米欧との連帯を示す表明であった。
ロシアにとって西の隣接国はウクライナだが、東の隣接国は日本であるという現実を考えれば、妥当な判断だ。
しかも、目の前には地域覇権を目指す中国が、ロシアとの新しい枢軸を形成している。
他方、岸田外交の脆弱性は、経済制裁で啖呵を切るものの、それに見合う抑止力の構えを用意しないことだ。
力強い外交は、それを支える防衛力の強化を欠いては、かえって足元が危うくなる。
強まる日欧の連帯
岸田首相が発表した新たな対露制裁は、資産凍結の対象となる個人を追加し、輸出禁止の対象となる団体を拡大し、先端技術品の輸出を禁止する。
独裁国家による侵略は「明日のアジア」でも起きるかもしれないとの認識から、「対露政策を転換した」と強調していた。
これに対し、中国外務省報道官が「中国の脅威を誇張して自国の国力を増強する口実にしている」と警戒を表明しているから、適切な対中牽制策であったのだ。
岸田首相は今回、インドネシア、ベトナム、タイの東南アジア3カ国を歴訪し、ロシアのウクライナ侵略に対して国際社会が結束することを呼び掛け、一方的な現状変更はいかなる場所でも許されないとの決意を語ってきた。
英国ではさらに、自衛隊と英軍との結び付きを強化する「円滑化協定」に大筋で合意し、日英の準同盟化に道筋をつけたことは大きな前進であった。

昨年は英独仏が、中国の台頭と勢力均衡の変化から海軍艦艇をインド太平洋に派遣して、日欧関係を飛躍的に前進させた。
現在のウクライナ危機では、林芳正外相が4月7日の北大西洋条約機構(NATO)外相会議に初めて「パートナー国」として出席し、欧州との関わりを新しいレベルに高めた。
自由主義国際秩序への挑戦は、インド太平洋地域を切り離して考えられないからだ。
露に弱さを見せるな
しかし、NATOから日本への期待度が高まる分、行動が伴わなければ失望も大きくなる。
同じロシアの近隣国でも、ドイツは軍事面で劇的な変化を遂げた。
国防費の国内総生産(GDP)比2%以上への引き上げを表明するとともに、ウクライナへの攻撃兵器供与を決定している。
独裁者は隣接国家の「弱さ」を見て干渉や挑発の誘惑にかられるから、曖昧な態度を取ることは危うい。
口先の虚勢と見なされれば、力が正義と考える中露が牙をむく余地が出るだろう。
すでにロシア軍はヘリを北海道沖で領空侵犯させ、津軽海峡、宗谷海峡、対馬海峡でも海軍艦艇を通過させた。
北方領土では2度にわたり軍事演習を行い、日本海で潜水艦2隻が巡航ミサイルの発射実験に成功したと発表している。
プーチン(ロシア大統領)流の対外行動は、まず相手国の脆弱性を突き、譲歩があれば弱さの兆候と理解する。
従って近隣国は、決して弱さを見せることなく連携して「力の均衡」を図ることが何よりも重要なのだ。
(2022.05.09国家基本問題研究所「今週の直言」より転載)


2024/5/25 in Kyoto

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

In particular, Goto left a remarkable result regarding "leaving people behind."

2024年05月28日 17時51分50秒 | 全般

The following is from Toshio Watanabe's serial column that appears at the beginning of the monthly magazine Hanada, which is currently on sale.
This paper is a must-read not only for Japanese citizens but also for people worldwide.

Episode 26: Those who die leaving others behind are the best.
"Listen, those who die leaving money behind are inferior.
Those who die without a job are middle class.  
Those who die, leaving others behind, are at the top.  
Remember it well."

The source needs to be clarified.
It may have been a phrase invented by a third party, but Shinpei Goto is said to have narrated it.
Goto is undoubtedly a person who lived like that.
In particular, Goto left a remarkable result regarding "leaving people behind."
His selection of human resources has influenced Goto's business success in completing various projects, his trust in those selected, and the dedication of engineers and bureaucrats who responded to his trust.
Let me discuss two things using the development of Taiwan as an example.
One is a land survey project, and the other is constructing a port in Keelung, the starting point of the North-South Railway.
Let's enter from the latter.  
The west coast along the Taiwan Strait needs more depth, which is suitable for a good port.
The eastern coast is comprised of ocean trenches formed by the Central Mountain Range and steep mountains sinking into the sea.
Building a port is not easy as there are few accesses to and from the west and east coastline.
At least Keelung and Kaohsiung are the only two suitable locations.
Keelung had a port that was opened during the Qing Dynasty.
However, it could be of better quality and withstand the transport of materials and equipment for the construction of a longitudinal railway.  
Goto selected Hanpei Nagao, a man in his mid-thirties, as the port engineer for the construction of the port.
After graduating from the Department of Civil Engineering at Tokyo Imperial University's Institute of Technology, Nagao held the civil engineering section manager position in Yamagata and Saitama prefectures.
After hearing about Nagao's abilities from Shuichi Kinoshita, the former governor of Yamagata Prefecture, who had been appointed as one of the governors of Taiwan, Goto invited Nagao to serve as director of the civil engineering division in the Civil Affairs Department of the Governor-General's Office.
Goto fell in love with this man who had a rich imagination but was also very quiet.
He believed in him and entrusted him with the job.  
Keelung is constantly exposed to wind and waves during the monsoon season.
The water is shallow, and even ships of around 1,000 tons must anchor far offshore and transport passengers and equipment using barges.
Construction of breakwaters and dredging are essential.
Nagao devised a plan using his knowledge and the latest technology from Europe and the United States and frantically explained it to Gentaro Kodama and Goto for nearly two hours.
During this time, neither Kodama nor Goto made any advances; they just listened, and Kodama spoke up as the explanation was about to end.  
"Okay, Goto-kun, let me do this for you." "Thank you very much. Nagao-kun, please do it for me."
The two's instant judgment took Nagao aback, and he continued to work hard from then on.
Most of the construction materials and equipment for the Trans-Taiwan Railway were extremely large in terms of weight and volume, such as freight cars, passenger cars, rails, sleepers, stones, cement, and coal, all of which had to be imported from mainland Japan, Europe, and America.
It will be transported by ship to Keelung and Kaohsiung and distributed to various locations.
The construction of the longitudinal railway had to proceed at the same time as the construction of the ports of Keelung and Kaohsiung.  
Nagao was entrusted with the entire task of building the port of Keelung, a significant development project for Taiwan. 
He poured his heart and soul into the project and completed it on schedule.
After this, Nagao held various positions and was finally transferred to the Governor-General's Office of Korea, where he died.  
Before the Sino-Japanese War, Taiwan was a territory of the Qing Dynasty, but this country had no intention of developing it.
Just as residents have a family register, land initially has a cadastre.
These include the owner, lot number, land type, boundaries, etc.
Before the Japanese occupation, powerful clans competed for land on the island of Taiwan, and there was no government to manage the land.
The Government-General's Office took over this chaotic land.
At the beginning of the government, land taxes were used to share financial resources.
However, the cadastral status of land in Taiwan was vague and unknown. We must develop a full-scale land survey project.
The "Temporary Taiwan Land Survey Bureau" was established, with Goto as its director, and the young Zeko Nakamura was selected as deputy director, who was in charge of this project.
Nakamura organized over 800 Government-General officials into dozens of teams, each dispersed throughout the island with triangulation instruments.
Including local bureaucrats and residents, 1.47 million people were mobilized in the seven years until the survey was completed.  
Nakamura graduated from Daiichi High School and Tokyo Imperial University Law School and worked for two years as the head of the Akita Prefectural Tax Collector in the Ministry of Finance. 
During this time, he gained the trust of Inejiro Tajiri, the Vice-Minister of Finance, and was recommended to be assigned to the Taiwan Governor-General's Office, where he worked on the frontier. 
He got involved in the development.  
As a result of the land survey project, the land area was approximately 370,000 hectares before the start of the project, but it increased to 630,000 hectares, and the land tax rapidly increased from 870,000 yen to 2,980,000 yen.
At the same time, the Government-General began to reform property rights, known as "Daisedo" at the time, by purchasing the land ownership rights of absentee landowners and transferring them to farmers.
The land acquisition was financed by public bonds based on the Taiwan Business Bond Law, which was enacted at the same time.  
Yozaburo Takekoshi, a leading Japanese journalist of the past, observed land survey projects in Taiwan and wrote in his book "Taiwanese Governance Desire": "The land tax reform of 1877 is truly child's play." "I can't help but feel that this is a social revolution in Taiwan. However, while many revolutions require sacrifices, this one The only thing we can do is sacrifice ourselves."  
The north-south railway, the construction of Keelung Port, and the land survey project were known as Taiwan's three major projects.
Kinsuke Hasegawa, Hanpei Nagao, and Zeko Nakamura were entrusted with each, and each seems to have been successfully developed.
But it costs a lot of money.  
It is difficult to borrow money from the mainland government, which spent huge sums on the Sino-Japanese War.
Issuing public bonds was essential. 
If Taiwan succeeds in its three major projects, it will definitely become independent.
Once Taiwan becomes independent, a significant mainland capital will move into Taiwan to produce sugar, rice, tea, camphor, and cypress wood.
Principal and interest repayments are always possible. 
Kodama and Goto focused on negotiating with the mainland government.  
At the time of Taiwan's occupation, only 30% of the revenue for the Governor-General's Office came from taxes within Taiwan, and the rest had to depend on subsidies from the mainland government.
It was no wonder that the "Taiwan sale theory" became a hot topic in the mainland government and parliament.
But Kodama and Goto were undaunted.
The last line of recourse was the then Minister of the Navy, Tsutomichi Saigo.
Goto sensed and deeply respected the arrogance and deep-heartedness of this military man, who was considered his eldest brother.
Judo's indescribable internal conflict in his decision to support the new Meiji government from within as a soldier instead of following Shimotsuke to the prosperous Satsuma shows a deep shadow of his true character as a man.
Ultimately, this person took action, and Taiwan Business Bonds saw the light of day.  
Zeko Nakamura was selected as the vice president of Mantetsu, where Goto was the first president. 
After Goto left Mantetsu, he was appointed as the second president.
After the Great Kanto Earthquake of September 1920, he worked hard to rebuild the imperial capital as the mayor of Tokyo, with Goto's strong recommendation.
On March 1, 1939, he suddenly died of a stomach ulcer at the age of 59.


2024/5/25 in Kyoto

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Löysin verkosta seuraavan japaninkielisen käännöksen Mahathirin "Jos Japania ei olisi

2024年05月28日 17時11分48秒 | 全般

Ilman Japania ja Japanin menestystarinaa Itä-Aasian kansakunnilla ei olisi roolimallia. 
30. marraskuuta 2023
Löysin netistä seuraavan japaninkielisen käännöksen Mahathirin "If Japan Didn't Exist" -puheesta.
Myös Le Clézion kannattaa kiinnittää tähän huomiota.

Itä-Aasia oli Kaukoitä menneisyyden Eurooppa-keskeisessä maailmassa.
Kaukoitä herätti outoja ja salaperäisiä mielikuvia, kuten mielikuvia eksoottisesta Kiinasta ja lohikäärmeistä, teestä, oopiumista, hienosta silkistä ja epätavallisista ihmisistä, joilla oli outoja tapoja.  
Eurooppalaiset romantikot eivät ole enää kiinnostuneita Kaukoidästä nyt, kun siitä on tullut Itä-Aasia.
Sen sijaan siitä on tullut poliitikkojen ja taloustieteilijöiden kiinnostuksen kohde.
Euroopan huoli Aasiasta viittaa siihen, että tämä alue on jo nyt vakavampi uhka kuin Japanin militarismi tämän vuosisadan alkupuoliskolla.
Tämän näkemyksen taustalla on epäluottamus ja pelko.
Syynä tähän on se, että Itä-Aasian ihmiset ovat erilaisia kuin me; he eivät ole eurooppalaisia.
Tästä syystä, vaikka Saksaa ja Italiaa, akselivaltoja Euroopassa toisen maailmansodan jälkeen, kannustettiin ja toivotettiin tervetulleiksi, jotta niistä tulisi rauhanomaisia kansakuntia ja ne menestyisivät, samanlaista taloudellista kehitystä kuin Japanissa ja "Pikku-Japanissa" " Kaukoidässä, josta on tullut rauhanomainen kansakunta, ei näytä otettavan vastaan kovin hyvin.
Päinvastoin, sekä Eurooppa että Yhdysvallat, jotka olivat siirtäneet eurooppalaisen yhteiskunnan, ovat käyttäneet erilaisia keinoja yrittäessään tukahduttaa Itä-Aasian maiden kasvua.
Länsimaisten demokraattisten mallien tyrkyttämisen lisäksi Japani on myös avoimesti pyrkinyt heikentämään Itä-Aasian maiden taloudellista kilpailukykyä.
Se on valitettavaa.
Maailma on oppinut paljon Itä-Aasian kehitystavasta.
Japani on ymmärtänyt, että militarismi on haitallista, ja se on käyttänyt kehittynyttä teknologiaansa ja energiaansa sellaisen yhteiskunnan rakentamiseen, jossa sekä köyhät että rikkaat voivat elää mukavasti.
Japanilaiset ovat onnistuneet alentamaan kustannuksia laadusta tinkimättä, ja näin se, mikä ennen oli ylellisyyttä, on tullut kaikkien saataville.
Käyttämättä mitään taikuutta hän sai aikaan tuloksia, joita voi kutsua ihmeellisiksi.
Kuvittele maailma ilman Japania.
Ilman Japania Eurooppa ja Amerikka hallitsisivat maailman teollisuusmaita.
Länsimaat olisivat asettaneet standardit ja hinnat, ja maailman maiden olisi ollut pakko maksaa nämä hinnat ostaakseen tuotteita, joita voitiin valmistaa vain lännessä.
Länsimaat, jotka pyrkivät jatkuvasti nostamaan kansalaistensa elintasoa, todennäköisesti kompensoivat kustannusten nousua nostamalla hintoja, koska niillä ei ole kilpailua.
Ne maksavat sellaista palkkaa, jota liitto pitää kohtuullisena sosialististen ja tasa-arvoisten ajatusten perusteella.
Eurooppalaiset hyväksyvät kaikki ammattiliittojen vaatimukset, joten johdon kohtuulliset vaatimukset jätetään huomiotta.
Kustannukset nousevat, koska työn määrä vähenee ja palkat nousevat.
Köyhistä eteläisistä maista vietävien raaka-aineiden hinnat vahvistetaan alimmalle tasolle, koska ainoat ostajat ovat Pohjois-Euroopan maita.
Tämän seurauksena eteläisten maiden asema markkinoilla heikkenee.
Lainoja ja tukea annetaan vastineeksi vientituotteiden hintojen nostamisesta.
Kun kaupan ehdot ovat edelleen epäedulliset etelän maille, köyhistä maista tulee köyhempiä ja vähemmän itsenäisiä.
Ne joutuvat täyttämään entistä tiukemmat lainaehdot ja ajautuvat "velkaorjuuden" tilaan.

*Talousasiantuntijat ympäri maailmaa tulevat ymmärtämään, että Kiinan parhaillaan toteuttama One Belt, One Road -strategia on lännen siirtomaapolitiikan uusintaversio*.

Jokaisen tuotteen hinta Pohjois-Euroopassa tulee olemaan kolminkertainen nykyiseen verrattuna, joten köyhät eteläiset maat eivät pysty ostamaan televisioita, radioita tai kodinkoneita, joita pidämme nyt itsestäänselvyyksinä. Pienviljelijät eivät pysty ostamaan lava-autoja tai pikkuautoja. Aivan.
Yleisesti ottaen eteläiset maat joutuvat elämään paljon nykyistä alhaisemmalla elintasolla.
Joidenkin eteläisten maiden taloudellinen kehitys tai Itä-Aasian voimakkaiden teollisuusmaiden synty ei olisi ollut mahdollista.
Monikansalliset yritykset investoivat eteläisiin maihin halvan työvoiman etsimiseksi juuri siksi, että niillä ei ollut muuta vaihtoehtoa kuin kilpailla Japanin kanssa.
Ilman Japanin kilpailua kehitysmaihin ei olisi investoitu.
Koska Japanista ei tule investointeja, ulkomaisten investointien ei odoteta edistävän kasvua.
Lisäksi ilman Japania ja sen menestystarinaa Itä-Aasian mailla ei olisi mitään jäljiteltävää.
Ne uskoisivat edelleen, etteivät ne pystyisi kilpailemaan teollisuuden aloilla, jotka Eurooppa on kehittänyt ja täydellistänyt.
Kehittynyt teollisuus oli mahdotonta Itä-Aasiassa.
Parhaimmillaan ne tuottivat huonolaatuisia jäljitelmätuotteita.
Siksi länsi ei pelännyt mitään "tiikereitä" tai "lohikäärmeitä", nimittäin Aasian nopeasti kasvavia uusia teollistuvia talouksia (Newly Industrializing Economies, NIES), kuten Hongkong, Etelä-Korea, Singapore ja Taiwan. 
Japani on osoittanut, että se voi pärjätä hyvin Itä-Aasian maissa.
Muut Itä-Aasian maat uskaltautuivat kokeilemaan, ja niiden menestys yllätti ne ja muun maailman.
Itäaasialaiset eivät enää kärsi alemmuuskompleksista.
Me uskomme nyt Japaniin ja vahvuuteemme, ja olemme todistaneet sen.
Jos Japania ei olisi olemassa, maailma näyttäisi aivan erilaiselta.
Ei ole liioiteltua sanoa, että rikas pohjoinen vaurastui ja köyhä etelä köyhtyi.
Pohjois-Eurooppa olisi hallinnut maailmaa ikuisesti.
Malesian kaltaiset maat olisivat jatkaneet kuminviljelyä ja tinan louhintaa ja myyneet sitä pyyntihintaan rikkaiden teollisuusmaiden asiakkaille.
Tästä skenaariosta voidaan kiistellä.
Se on kuitenkin täysin mahdollinen.
Jos kuvitellaan, mitä tapahtuisi, jos Japani ei investoisi Eurooppaan ja Amerikkaan ja pitäisi kaikki varansa kotimaassa, eikö tulos olisi oikeudenmukaisempi?
Eurooppalaiset joutuvat maksamaan korkeampia hintoja kotimaisista tuotteista, eikä heillä ole varaa korkealuokkaiseen elämäntyyliin.  
(snip)
Itse asiassa Eurooppa elää yli varojensa.
Eurooppalaiset tekevät aivan liian vähän töitä ja saavat aivan liikaa palkkaa.
Eurooppa ei voi odottaa, että muu maailma tukee tätä ylellisyyttä.
Euroopan maat haluavat korkeampaa elintasoa ja terveellisempää ympäristöä kansalaisilleen, mutta ne eivät ole halukkaita tekemään uhrauksia.
Kun ehdotettiin, että Euroopan pitäisi hyväksyä alhaisempi elintaso ja suojella ympäristöä, Euroopan maat ilmaisivat voimakkaan tyytymättömyytensä.
Eurooppa pyytää kuitenkin köyhempiä maita pidättäytymään niiden luonnonvarojen hyödyntämisestä, joita tarvitaan pohjoisen ympäristön ylläpitämiseen.
Lyhyesti sanottuna "köyhien maiden pitäisi uhrata itsensä rikkaiden maiden puolesta".
Rikkaat maat eivät kuitenkaan ole halukkaita tekemään uhrauksia.
Aikoinaan Aasian maat hakivat länsimaista opastusta ja mallia, kun oli kyse "Look Westistä".
Euroopan on ehkä tullut aika "katsoa itään" ja hakea näitä asioita Aasiasta.
En tiedä, pidättekö minua itäaasialaisena vai kaakkoisaasialaisena.
Oli miten oli, minun on myönnettävä, että näkemyksiini vaikuttaa se, että olen paitsi kaakkoisaasialainen myös kehitysmaasta kotoisin.
Malesialla on erityisiä tavoitteita.
Haluamme olla jonain päivänä kehittynyt valtio, ja olemme turhautuneita siihen, että meitä estetään tarpeettomasti.
Uskomme kuitenkin vapaakauppaan ja reiluun kilpailuun.
ASEANista (Kaakkois-Aasian maiden liitto) saadut kokemukset ovat osoittaneet, että ystävällinen kilpailu ja halu oppia toisiltaan voivat edistää talouskasvua.
Itä-Aasian maat voisivat saavuttaa samoja tuloksia, jos ne olisivat halukkaita oppimaan ja samalla kilpailemaan.
Reilun kilpailun ja yhteistyön kehittäminen Euroopan ja Itä-Aasian välillä auttaa kaikkia maita vaurastumaan.
Vaikka Eurooppa ja Yhdysvallat omaksuisivat protektionismin, Itä-Aasia ei turvaudu protektionismiin.
Itä-Aasiassa on kilpailuetua, ja se osoittaa sen.
Esimerkiksi vuonna 1960 koko Itä-Aasian BKT oli 42 prosenttia EY:n (nykyinen Euroopan unioni), 23 prosenttia Yhdysvaltojen ja 21 prosenttia NAFTA:n (Pohjois-Amerikan vapaakauppasopimus) BKT:sta.
Vuonna 1990 se oli 67 prosenttia EY:n, 47 prosenttia Länsi-Euroopan, 73 prosenttia Yhdysvaltojen ja 64 prosenttia NAFTA:n BKT:sta.
Itä-Aasian sisäinen kauppa kasvaa myös absoluuttisesti ja osuutena maailmankaupasta.
Itä-Aasia on saavuttanut tämän turvautumatta protektionismiin ja monista esteistä huolimatta.
Matkan varrella Itä-Aasian maat ovat parantaneet kansalaistensa lisäksi myös maailman köyhien elämänlaatua.
Itä-Aasian maiden menestys ei johdu taikuudesta.
Mitä Japani on saavuttanut, muut Itä-Aasian maat ovat pystyneet saavuttamaan vaihtelevassa määrin.
Samoin myös Euroopan maat voivat tehdä niin.
Kriittinen tekijä tässä menestyksessä on halukkuus hyväksyä alhaisempi elintaso, kun ihmisillä ei ole varaa ylläpitää korkeampaa elintasoa.
Itä-Aasian maat ovat siihen valmiita.
Jos me pakotamme itsemme pitämään yllä korkeaa elintasoa, menetämme kilpailukykymme.
Sen sijaan eurooppalaisten on kysyttävä itseltään, ovatko heidän tapansa viisaita, ja hyväksyttävä todellisuus.
Sitten Eurooppa ja Itä-Aasia voivat tehdä yhteistyötä molemminpuolisen hyödyn saavuttamiseksi.
Olosuhteista riippumatta Itä-Aasian kasvun on kuitenkin jatkuttava.
Itä-Aasialla on oikeus kehittyä.


2024/5/25 in Kyoto

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Jeg fant følgende japanske oversettelse av Mahathirs "If Japan Didn't Exist"-tale på nettet.

2024年05月28日 17時07分18秒 | 全般

Uten Japan og den japanske suksesshistorien ville det ikke vært noe forbilde for de østasiatiske landene. 
30. november 2023
Jeg fant følgende japanske oversettelse av Mahathirs tale "If Japan Didn't Exist" på nettet.
Le Clézio bør også følge nøye med på denne.

Øst-Asia var Det fjerne Østen i fortidens europeisk-sentrerte verden.
Det fjerne Østen fremkalte underlige og mystiske inntrykk, med bilder av det eksotiske Kina og drager, te, opium, fin silke og uvanlige mennesker med sære skikker.  
Nå som Østen er blitt til Øst-Asia, er europeiske romantikere ikke lenger interessert.
I stedet er det blitt politikernes og økonomenes fokus.
Europas bekymring for Asia tyder på at denne regionen allerede utgjør en større trussel enn den japanske militarismen i første halvdel av dette århundret.
Bak dette synet ligger mistillit og frykt.
Årsaken til dette er at østasiatiske folk er forskjellige fra oss; de er ikke europeere.
Selv om Tyskland og Italia, aksemaktene i Europa etter andre verdenskrig, ble oppmuntret og ønsket velkommen til å bli fredelige nasjoner og blomstre, ser det ikke ut til at den økonomiske utviklingen i Japan og "Lille Japan" i det fjerne Østen, som har blitt en fredelig nasjon, ble tatt særlig godt imot.
Tvert imot har både Europa og USA, som hadde transplantert det europeiske samfunnet, brukt ulike midler for å prøve å undertrykke veksten i de østasiatiske landene.
I tillegg til å påtvinge vestlige demokratiske modeller har Japan også åpent forsøkt å undergrave de østasiatiske landenes økonomiske konkurranseevne.
Det er beklagelig.
Verden har lært mye av Øst-Asias tilnærming til utvikling.
Japan har forstått at militarisme virker mot sin hensikt, og har brukt sin avanserte teknologi og energi på å bygge et samfunn der både de fattige og de rike kan leve komfortabelt.
Japanerne har klart å redusere kostnadene uten å gå på akkord med kvaliteten, og har gjort det som en gang var luksus, tilgjengelig for alle.
Uten å bruke magi har han skapt resultater som kan kalles mirakuløse.
Forestill deg en verden uten Japan.
Uten Japan ville Europa og USA dominert verdens industrialiserte nasjoner.
Vesten ville ha satt standarder og priser, og land over hele verden ville ha vært tvunget til å betale disse prisene for å kjøpe produkter som bare kunne produseres i Vesten.
Vestlige land, som hele tiden streber etter å heve levestandarden til sine innbyggere, vil sannsynligvis kompensere for kostnadsøkninger ved å heve prisene fordi de ikke har noen konkurranse.
De vil betale den lønnen fagforeningene anser som rimelig ut fra sosialistiske og egalitære ideer.
Europeerne aksepterer alle krav fra fagforeningene, så rimelige krav fra ledelsen blir ignorert.
Kostnadene vil stige fordi arbeidsmengden vil gå ned, og lønningene vil øke.
Prisene på råvarer som eksporteres fra fattige land i sør, blir låst på det laveste nivået fordi de eneste kjøperne er nordeuropeiske land.
Resultatet er at de sørlige landenes posisjon på markedet svekkes.
Lån og bistand gis i bytte mot økte priser på eksportvarene.
Etter hvert som handelsbetingelsene fortsetter å være ugunstige for landene i sør, blir de fattige landene fattigere og mindre selvstendige.
De tvinges til å oppfylle enda strengere lånebetingelser og havner i en tilstand av "gjeldsslaveri".

*Økonomiske eksperter over hele verden vil innse at One Belt, One Road-strategien som Kina nå er i ferd med å implementere, er et oppkok av Vestens kolonipolitikk*.

Prisen på alle produkter i Nord-Europa vil bli tre ganger så høy som i dag, slik at fattige land i sør ikke vil ha råd til å kjøpe TV, radio eller husholdningsapparater som vi i dag tar for gitt. Småbønder vil ikke kunne kjøpe pickuper eller småbiler. Det stemmer.
Generelt vil landene i sør bli tvunget til å leve med en mye lavere levestandard enn de gjør i dag.
Verken den økonomiske utviklingen i enkelte land i Sør eller fremveksten av de mektige industrinasjonene i Øst-Asia ville ha vært mulig.
Multinasjonale selskaper investerte i landene i sør på jakt etter billig arbeidskraft nettopp fordi de ikke hadde noe annet valg enn å konkurrere med Japan.
Uten konkurranse fra Japan ville det ikke vært noen investeringer i utviklingslandene.
Uten investeringer fra Japan kan man heller ikke forvente at utenlandske investeringer vil stimulere veksten.
Uten Japan og landets suksesshistorie ville de østasiatiske landene heller ikke hatt noe å ta etter.
De ville fortsette å tro at de ikke kunne konkurrere på de industrielle områdene som Europa hadde utviklet og perfeksjonert.
Avansert industri var umulig i Øst-Asia.
I beste fall produserte de imitasjonsprodukter av dårligere kvalitet.
Derfor fryktet Vesten ingen "tigre" eller "drager", nemlig Asias raskt voksende nyindustrialiserte økonomier (NIES), som Hong Kong, Sør-Korea, Singapore og Taiwan. 
Japan har bevist at de kan gjøre det bra i østasiatiske land.
Andre østasiatiske land våget å prøve, og deres suksess overrasket dem selv og resten av verden.
Østasiater lider ikke lenger av mindreverdighetskomplekser.
Nå tror vi på Japan og vår styrke, og vi har bevist det.
Hvis Japan ikke hadde eksistert, ville verden sett helt annerledes ut.
Det er ingen overdrivelse å si at det rike nord hadde blitt mer velstående, og det fattige sør hadde blitt fattigere.
Nord-Europa ville ha styrt verden for alltid.
Land som Malaysia ville ha fortsatt å dyrke gummi, utvinne tinn og selge det til overpris til kunder i de rike industrilandene.
Dette scenariet kan bestrides.
Men det er fullt mulig.
Hvis du forestiller deg hva som ville skjedd hvis Japan ikke investerte i Europa og USA, men beholdt alle sine midler innenlands, ville ikke resultatet blitt mer rettferdig?
Europeerne vil måtte betale høyere priser for hjemmeproduserte produkter og vil ikke ha råd til en livsstil av høy klasse.  
(snip)
Europa lever faktisk over evne.
Europeerne jobber altfor lite og får altfor mye betalt.
Europa kan ikke forvente at resten av verden skal støtte denne ekstravagansen.
De europeiske landene ønsker en høyere levestandard og et sunnere miljø for innbyggerne sine, men de er ikke villige til å ofre noe.
Da det ble foreslått at Europa skulle akseptere en lavere levestandard og bevare miljøet, uttrykte de europeiske landene sterk misnøye.
Europa ber imidlertid de fattige landene om å avstå fra å utnytte naturressursene sine, noe som er nødvendig for å opprettholde miljøet i nord.
Kort sagt: "De fattige landene bør ofre seg for de rike landene".
De rike landene er imidlertid ikke villige til å ofre seg.
Det fantes en tid da asiatiske land så til Vesten for å få veiledning og modeller når det gjaldt "Look West".
Nå er kanskje tiden inne for Europa til å "se østover" og søke disse tingene fra Asia.
Jeg vet ikke om du anser meg som østasiatisk eller sørøstasiatisk.
Uansett må jeg innrømme at mine synspunkter er påvirket av det faktum at jeg ikke bare er fra Sørøst-Asia, men også fra et utviklingsland.
Malaysia har spesifikke ambisjoner.
Vi ønsker å bli en utviklet nasjon en dag, og vi er frustrerte over å bli motarbeidet unødvendig.
Men vi tror på frihandel og rettferdig konkurranse.
Erfaringene fra ASEAN (Association of Asian Southeast Nations) har vist at vennskapelig konkurranse og en vilje til å lære av hverandre kan fremme økonomisk vekst.
Østasiatiske land kan oppnå de samme resultatene hvis de er villige til å lære samtidig som de konkurrerer.
Å utvikle rettferdig konkurranse og samarbeid mellom Europa og Øst-Asia vil hjelpe alle landene til å blomstre.
Selv om Europa og USA skulle innføre proteksjonisme, vil ikke Øst-Asia ty til proteksjonisme.
Øst-Asia har et konkurransefortrinn, og det har de bevist.
I 1960 var for eksempel BNP i Øst-Asia som helhet 42 % av BNP i EF (i dag EU), 23 % av BNP i USA og 21 % av BNP i NAFTA (den nordamerikanske frihandelsavtalen).
I 1990 utgjorde det 67% av EF, 47% av Vest-Europa, 73% av USA og 64% av NAFTA.
Øst-Asias intraregionale handel vokser også i absolutte tall og som andel av verdenshandelen.
Øst-Asia har oppnådd dette uten å ty til proteksjonisme og til tross for mange hindringer.
Underveis har de østasiatiske landene forbedret livskvaliteten ikke bare for sine egne innbyggere, men også for verdens fattige.
De østasiatiske landenes suksess skyldes ikke magi.
Det Japan har oppnådd, har andre land i Øst-Asia klart å oppnå i varierende grad.
På samme måte kan europeiske land også gjøre det.
En avgjørende faktor for denne suksessen er viljen til å akseptere en lavere levestandard når folk ikke har råd til å opprettholde en høyere levestandard.
Østasiatiske land er villige til å gjøre det.
Hvis vi tvinger oss selv til å opprettholde en høy levestandard, vil vi miste konkurransekraft.
I stedet må europeerne spørre seg selv om de gjør klokt i å akseptere virkeligheten.
Da kan Europa og Øst-Asia samarbeide til gjensidig nytte.
Uansett omstendighetene må Øst-Asias vekst fortsette.
Øst-Asia har rett til å utvikle seg.


2024/5/25 in Kyoto

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Jag hittade följande japanska översättning av Mahathirs "If Japan Didn't Exist"-tal online.

2024年05月28日 17時06分31秒 | 全般

Utan Japan och den japanska framgångssagan skulle det inte finnas någon förebild för de östasiatiska länderna. 
30 november 2023
Jag hittade följande japanska översättning av Mahathirs tal "If Japan Didn't Exist" på nätet.
Le Clézio bör också ägna stor uppmärksamhet åt detta.

Östasien var Fjärran Östern i den europeiska centrerade världen i det förflutna.
Fjärran Östern frammanade märkliga och mystiska intryck, bland annat bilder av det exotiska Kina och drakar, te, opium, fint siden och ovanliga människor med udda seder och bruk.  
Nu när Fjärran Östern har blivit Östasien är de europeiska romantikerna inte längre intresserade.
Istället har det blivit politikernas och ekonomernas fokus.
Europas oro för Asien tyder på att denna region redan utgör ett allvarligare hot än den japanska militarismen under första hälften av detta århundrade.
Bakom denna uppfattning ligger misstro och rädsla.
Anledningen till detta är att människorna i Östasien är annorlunda än vi; de är inte européer.
Av detta skäl verkar inte Japans ekonomiska utveckling och "Lilla Japan" i Fjärran Östern, som har blivit en fredlig nation, välkomnas särskilt väl, trots att Tyskland och Italien, axelmakterna i Europa efter andra världskriget, uppmuntrades och välkomnades till att bli fredliga nationer och blomstra, på samma sätt som Japans ekonomiska utveckling och "Lilla Japan" i Fjärran Östern, som har blivit en fredlig nation.
Tvärtom har både Europa och USA, som hade transplanterat det europeiska samhället, använt olika medel för att försöka undertrycka tillväxten i de östasiatiska länderna.
Förutom att införa västerländska demokratiska modeller har Japan också öppet försökt att undergräva de östasiatiska ländernas ekonomiska konkurrenskraft.
Det är olyckligt.
Världen har lärt sig mycket av Östasiens utvecklingsstrategi.
Japan har förstått att militarism är kontraproduktivt och har lagt sin avancerade teknologi och energi på att bygga ett samhälle där både de fattiga och de rika kan leva bekvämt.
Japanerna lyckades sänka kostnaderna utan att kompromissa med kvaliteten och gjorde det som en gång var en lyx tillgänglig för alla.
Utan att använda någon magi åstadkom han resultat som kan kallas mirakulösa.
Föreställ dig en värld utan Japan.
Utan Japan skulle Europa och Amerika dominera världens industrialiserade länder.
Västvärlden skulle ha fastställt standarder och priser, och länder över hela världen skulle ha tvingats betala dessa priser för att köpa produkter som bara kunde tillverkas i väst.
Västländerna, som ständigt strävar efter att höja levnadsstandarden för sina medborgare, kommer sannolikt att kompensera kostnadsökningar genom att höja priserna eftersom de inte har någon konkurrens.
De kommer att betala de löner som facket anser vara rimliga utifrån socialistiska och egalitära idéer.
Européerna accepterar alla krav från fackföreningarna, så rimliga krav från ledningen ignoreras.
Kostnaderna kommer att stiga eftersom arbetsmängden minskar och lönerna ökar.
Priserna på råvaror som exporteras från de fattiga länderna i söder ligger fast på lägsta möjliga nivå eftersom de enda köparna är de nordeuropeiska länderna.
Detta leder till att de sydliga ländernas ställning på marknaden försvagas.
Lån och bistånd ges i utbyte mot att priserna på exportvarorna höjs.
Eftersom handelsvillkoren fortsätter att vara ofördelaktiga för länderna i syd blir de fattiga länderna fattigare och mindre självständiga.
De tvingas uppfylla ännu strängare lånevillkor och hamnar i ett tillstånd av "skuldslaveri".

*Ekonomiska experter runt om i världen kommer att inse att den One Belt, One Road-strategi som Kina för närvarande genomför är en upprepning av västvärldens kolonialpolitik*

Priset på varje produkt i norra Europa kommer att vara tre gånger så högt som det är nu, så fattiga länder i söder kommer inte att kunna köpa tv-apparater, radioapparater eller de hushållsapparater som vi nu tar för givna. Småbönder kommer inte att kunna köpa pickuper eller småbilar. Det stämmer.
Generellt sett kommer länderna i syd att tvingas leva med en mycket lägre levnadsstandard än de gör idag.
Varken den ekonomiska utvecklingen i vissa länder i Syd eller uppkomsten av de mäktiga industrinationerna i Östasien skulle ha varit möjlig.
De multinationella företagen investerade i sydliga länder i jakt på billig arbetskraft just för att de inte hade något annat val än att konkurrera med Japan.
Utan konkurrens från Japan skulle det inte finnas några investeringar i utvecklingsländerna.
Eftersom det inte finns några investeringar från Japan kan utländska investeringar inte förväntas stimulera tillväxten.
Utan Japan och dess framgångssaga skulle dessutom de östasiatiska länderna inte ha något att ta efter.
De skulle fortsätta att tro att de inte kunde konkurrera inom de industriella områden som Europa hade utvecklat och fulländat.
Den avancerade industrin var omöjlig i Östasien.
I bästa fall producerade de imitationsprodukter av sämre kvalitet.
Därför fruktade västvärlden inga "tigrar" eller "drakar", nämligen Asiens snabbt växande nya industrialiserade ekonomier (NIES), som Hong Kong, Sydkorea, Singapore och Taiwan. 
Japan har visat att man kan klara sig bra i de östasiatiska länderna.
Andra östasiatiska länder vågade försöka, och deras framgångar överraskade dem själva och resten av världen.
Östasiaterna lider inte längre av mindervärdeskomplex.
Vi tror nu på Japan och vår styrka, och vi har bevisat det.
Om Japan inte fanns skulle världen se helt annorlunda ut.
Det är ingen överdrift att säga att det rika norr blev alltmer välmående och det fattiga söder blev allt fattigare.
Nordeuropa skulle ha styrt världen för evigt.
Länder som Malaysia skulle ha fortsatt att odla gummi, bryta tenn och sälja det till överpriser till kunder i rika industriländer.
Detta scenario kan ifrågasättas.
Det är dock fullt möjligt.
Om man tänker sig vad som skulle hända om Japan inte investerade i Europa och Amerika utan behöll alla sina medel inom landet, skulle inte resultatet bli mer rättvist?
Européerna kommer att få betala högre priser för inhemska produkter och har inte råd med en högklassig livsstil.  
(snip)
I själva verket lever Europa över sina tillgångar.
Européerna arbetar alldeles för lite och får alldeles för mycket betalt.
Europa kan inte förvänta sig att resten av världen ska stödja denna extravagans.
De europeiska länderna vill ha en högre levnadsstandard och en hälsosammare miljö för sina medborgare, men de är ovilliga att göra uppoffringar.
När det föreslogs att Europa skulle acceptera en lägre levnadsstandard och bevara miljön uttryckte de europeiska länderna ett starkt missnöje.
Europa ber dock de fattigare länderna att avstå från att utnyttja sina naturresurser, som behövs för att bevara miljön i norr.
Kort sagt, "de fattiga länderna bör offra sig för de rika länderna".
De rika länderna är dock inte villiga att göra uppoffringar.
Det fanns en tid då de asiatiska länderna såg till västvärlden för att få vägledning och modeller när det gällde "Look West".
Tiden kan ha kommit för Europa att "se österut" och söka dessa saker från Asien.
Jag vet inte om ni betraktar mig som östasiatisk eller sydostasiatisk.
Hur som helst måste jag erkänna att mina åsikter påverkas av det faktum att jag inte bara är sydostasiatisk utan också kommer från ett utvecklingsland.
Malaysia har specifika ambitioner.
Vi vill bli en utvecklad nation en dag och är frustrerade över att i onödan bli motarbetade.
Vi tror dock på frihandel och rättvis konkurrens.
Erfarenheterna från ASEAN (Association of Asian Southeast Nations) har visat att vänskaplig konkurrens och en vilja att lära av varandra kan främja ekonomisk tillväxt.
De östasiatiska länderna skulle kunna uppnå samma resultat om de var villiga att lära sig samtidigt som de konkurrerar.
Att utveckla rättvis konkurrens och samarbete mellan Europa och Östasien kommer att hjälpa alla länder att blomstra.
Även om Europa och USA tillämpar protektionism kommer Östasien inte att göra det.
Östasien har en konkurrensfördel och bevisar det.
År 1960 var till exempel BNP för hela Östasien 42 procent av EG:s (nuvarande Europeiska unionen), 23 procent av USA:s och 21 procent av NAFTA:s (Nordamerikas frihandelsavtal).
År 1990 uppgick den till 67% av EG:s, 47% av Västeuropas, 73% av USA:s och 64% av NAFTA:s.
Östasiens intraregionala handel växer också i absoluta tal och som andel av världshandeln.
Östasien har uppnått detta utan att tillgripa protektionism och trots många hinder.
Längs vägen har de östasiatiska länderna förbättrat livskvaliteten inte bara för sina medborgare utan även för fattiga människor i hela världen.
De östasiatiska ländernas framgångar beror inte på magi.
Det som Japan har åstadkommit har andra länder i Östasien kunnat åstadkomma i varierande grad.
På samma sätt kan europeiska länder också göra det.
En kritisk faktor i denna framgång är viljan att acceptera en lägre levnadsstandard när man inte har råd att upprätthålla en högre levnadsstandard.
De östasiatiska länderna är villiga att göra det.
Om vi tvingar oss själva att upprätthålla en hög levnadsstandard kommer vi att förlora i konkurrenskraft.
Istället måste européerna fråga sig om deras sätt är kloka och acceptera verkligheten.
Då kan Europa och Östasien samarbeta till ömsesidig nytta.
Oavsett omständigheterna måste dock Östasiens tillväxt fortsätta.
Östasien har rätt att utvecklas.


2024/5/25 in Kyoto

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Aku nemokake terjemahan Jepang saka pidato Mahathir "If Japan Didn't Exist" online.

2024年05月28日 17時03分03秒 | 全般

Tanpa Jepang lan crita sukses Jepang, ora bakal ana panutan kanggo negara-negara Asia Timur. 
30 November 2023
Aku nemokake terjemahan Jepang saka pidato Mahathir "If Japan Didn't Exist" online.
Le Clézio uga kudu nggatekake babagan iki.

Asia Wetan minangka Timur Jauh ing donya sing dipusatake ing Eropa ing jaman biyen.
Timur Jauh nggawe kesan aneh lan misterius, kalebu gambar Cina lan naga sing eksotis, teh, candu, sutra alus, lan wong sing ora biasa kanthi adat sing aneh.  
Romantis Eropa ora kasengsem maneh saiki Timur Jauh wis dadi Asia Timur.
Nanging, wis dadi fokus politisi lan ekonom.
Keprigelan Eropa babagan Asia nuduhake yen wilayah iki wis dadi ancaman sing luwih abot tinimbang militerisme Jepang ing paruh pertama abad iki.
Ndasari pandangan iki yaiku rasa ora percaya lan wedi.
Alesan kanggo iki yaiku wong Asia Timur beda karo kita; dudu wong Eropa.
Mulane, sanajan Jerman lan Italia, kekuwatan Poros ing Eropah sawisé Perang Donya II, disengkuyung lan ditampani dadi negara sing tentrem lan makmur, padha karo pangembangan ekonomi Jepang lan "Jepang Cilik" " ing Timur Jauh, sing wis dadi bangsa sing ayem tentrem, kayane ora bisa ditampa kanthi becik.
Kosok baline, Eropa lan Amerika Serikat, sing wis ngowahi masyarakat Eropa, nggunakake macem-macem cara kanggo nyoba nyandhet wutah negara-negara Asia Wetan.
Saliyane ngetrapake model demokrasi Barat, Jepang uga kanthi terang-terangan ngupaya ngrusak daya saing ekonomi negara-negara Asia Timur.
Iku apes.
Donya wis sinau akeh saka pendekatan pangembangan Asia Timur.
Ngerti yen militerisme iku kontraproduktif, Jepang wis ngetokake teknologi lan energi sing canggih kanggo mbangun masyarakat ing ngendi wong miskin lan wong sugih bisa urip kanthi nyaman.
Jepang kasil ngurangi biaya tanpa ngrugekake kualitas, nggawe apa sing biyen dadi kemewahan kasedhiya kanggo kabeh wong.
Tanpa nggunakake sihir, dheweke ngasilake asil sing bisa diarani ajaib.
Mbayangno donya tanpa Jepang.
Tanpa Jepang, Eropa lan Amerika bakal nguwasani negara-negara industri ing donya.
Kulon bakal nyetel standar lan rega, lan negara-negara ing saindenging jagad bakal dipeksa mbayar rega kasebut kanggo tuku produk sing mung bisa digawe ing Kulon.
Negara-negara Kulon, sing terus-terusan ngupayakake taraf urip wargane, bisa ngimbangi kenaikan biaya kanthi ngunggahake rega amarga ora ana saingan.
Dheweke bakal mbayar upah apa wae sing dianggep wajar dening serikat pekerja adhedhasar ide sosialis lan egaliter.
Wong Eropa nampa kabeh panjaluk saka serikat pekerja, mula panjaluk sing cukup saka manajemen ora digatekake.
Biaya bakal mundhak amarga jumlah karya bakal suda, lan upah bakal mundhak.
Rega kanggo bahan mentah sing diekspor saka negara-negara kidul sing miskin ditemtokake ing tingkat paling murah amarga sing tuku mung negara-negara Eropa lor.
Akibaté, posisi negara kidul ing pasar saya ringkih.
Utangan lan pitulungan diwenehake kanggo ngunggahake rega barang sing diekspor.
Sarèhning prakawis-prakawis ing dalêm botên sae tumraping nagari-nagari ing sisih Kidul, nagari-nagari ingkang mlarat dados saya mlarat saha kirang mardika.
Dheweke kepeksa nemoni kahanan utangan sing luwih ketat lan dadi "perbudakan utang".

*Pakar ekonomi ing saindenging jagad bakal ngerti yen strategi One Belt, One Road sing saiki ditindakake China minangka rehash saka kabijakan kolonial Barat *

Rega saben produk ing Eropa sisih lor bakal tikel kaping telu tinimbang saiki, mula negara-negara kidul sing miskin ora bakal bisa tuku televisi, radio, utawa peralatan rumah tangga sing saiki kita lakoni. Petani cilik ora bakal bisa tuku truk pickup utawa mobil cilik. bener.
Umumé, negara-negara ing Kidul bakal dipeksa urip kanthi standar urip sing luwih murah tinimbang saiki.
Sanadyan pangembangan ekonomi sawetara negara ing Kidul utawa lair saka negara industri kuat ing Asia Wetan ora bakal bisa.
Perusahaan-perusahaan multinasional nandur modal ing negara-negara kidul kanggo nggoleki tenaga kerja sing murah amarga ora duwe pilihan kajaba bersaing karo Jepang.
Tanpa saingan saka Jepang, ora bakal ana investasi ing negara berkembang.
Sarehne ora ana investasi saka Jepang, investasi manca ora samesthine kanggo ngrangsang wutah.
Kajaba iku, tanpa Jepang lan crita suksese, negara-negara Asia Timur ora bakal bisa ditiru.
Dheweke bakal terus percaya yen ora bisa bersaing ing bidang industri sing wis dikembangake lan disempurnakake Eropa.
Industri maju ora mungkin ing Asia Wétan.
Paling apik, dheweke ngasilake produk tiruan kanthi kualitas sing luwih murah.
Mula, Barat ora wedi "macan" utawa "naga", yaiku Newly Industrializing Economies (NIES) Asia sing berkembang pesat, kayata Hong Kong, Korea Selatan, Singapura, lan Taiwan. 
Jepang wis mbuktekake manawa bisa nindakake kanthi apik ing negara-negara Asia Timur.
negara Asia Wétan liyane wani nyoba, lan s singsukses kaget dheweke lan liyane ing donya.
Asia Timur ora nandhang sangsara maneh saka kompleks inferioritas.
Saiki kita percaya karo Jepang lan kekuwatan kita, lan kita mbuktekake.
Yen Jepang ora ana, jagad bakal katon beda.
Ora keluwih-luwih yen wong Lor sing sugih saya makmur, wong Kidul sing mlarat saya mlarat.
Eropah Lor bakal mrentah donya ing salawas-lawase.
Negara-negara kaya Malaysia mesthine bakal terus tuwuh karet, tambang timah, lan adol kanthi takon rega marang para pelanggan ing negara industri sing sugih.
Skenario iki bisa dibantah.
Nanging, iku cukup bisa.
Yen sampeyan mbayangno apa sing bakal kelakon yen Jepang ora nandur modal ing Eropa lan Amerika lan nyimpen kabeh dana ing domestik, apa asile bakal luwih adil?
Wong Eropa kudu mbayar rega sing luwih dhuwur kanggo produk omah lan ora bisa tuku gaya urip kelas dhuwur.  
(snip)
Ing kasunyatan, Eropah urip ngluwihi sarana.
Wong Eropa kerjane sithik banget lan bayarane akeh banget.
Eropa ora bisa ngarepake jagad liyane ndhukung pemborosan iki.
Negara-negara Eropa pengin standar urip sing luwih dhuwur lan lingkungan sing luwih sehat kanggo wargane, nanging ora gelem ngorbanake.
Nalika disaranake supaya Eropa nampa standar urip sing luwih murah lan njaga lingkungan, negara-negara Eropa nesu banget.
Nanging, Eropa njaluk negara-negara miskin supaya ora ngeksploitasi sumber daya alam, sing dibutuhake kanggo njaga lingkungan ing sisih lor.
Cekakipun, "negara miskin kudu kurban piyambak kanggo negara sugih.''
Nanging, negara sugih ora gelem ngorbanake.
Ana wektu nalika negara-negara Asia katon ing Kulon kanggo panuntun dhumateng lan model nalika nerangake "Look West."
Wektune bisa uga wis teka kanggo Eropa "Pandang Timur" lan golek barang-barang kasebut saka Asia.
Aku ora ngerti yen sampeyan nganggep aku Asia Timur utawa Asia Tenggara.
Apa wae, aku kudu ngakoni manawa panemuku dipengaruhi amarga aku ora mung Asia Tenggara nanging uga saka negara berkembang.
Malaysia duwe ambisi tartamtu.
Kita pengin dadi negara maju ing sawijining dina lan frustasi amarga ora perlu digagalake.
Nanging, kita percaya ing perdagangan bebas lan kompetisi sing adil.
Pengalaman ASEAN (Association of Asian Southeast Nations) nuduhake yen kompetisi sing ramah lan kekarepan kanggo sinau saka saben liyane bisa nuwuhake pertumbuhan ekonomi.
Negara-negara Asia Timur bisa entuk asil sing padha yen gelem sinau nalika saingan.
Ngembangake kompetisi sing adil lan kerjasama antarane Eropa lan Asia Timur bakal mbantu kabeh negara maju.
Sanajan Eropa lan Amerika Serikat nganggo proteksionisme, Asia Timur ora bakal nggunakake proteksionisme.
Asia Timur nduweni keunggulan kompetitif lan mbuktekake.
Contone, ing taun 1960, PDB Asia Wétan sacara sakabèhané ana 42% saka EC (saiki Uni Eropa), 23% saka Amerika Serikat, lan 21% saka NAFTA (Perjanjian Perdagangan Bebas Amerika Utara).
Ing taun 1990, ana 67% saka EC, 47% saka Eropah Kulon, 73% saka AS, lan 64% saka NAFTA.
Perdagangan intraregional Asia Wetan uga tuwuh kanthi mutlak lan minangka bagean saka perdagangan donya.
Asia Timur wis entuk iki tanpa nggunakake proteksionisme lan sanajan akeh alangan.
Sadawane dalan, negara-negara Asia Wétan wis ningkatake kualitas urip ora mung kanggo wargane nanging uga kanggo wong miskin ing saindenging jagad.
Sukses negara-negara Asia Timur ora amarga sihir.
Apa sing wis digayuh Jepang, negara liya ing Asia Wetan bisa ditindakake kanthi derajat sing beda-beda.
Kajaba iku, negara-negara Eropa uga bisa nindakake.
Faktor kritis ing sukses iki yaiku kekarepan kanggo nampa standar urip sing luwih murah nalika wong ora bisa njaga standar urip sing luwih dhuwur.
Negara-negara Asia Wetan gelem nglakoni.
Yen kita meksa awake dhewe kanggo njaga standar urip sing dhuwur, kita bakal kelangan daya saing.
Nanging, wong Eropa kudu takon marang awake dhewe apa cara dheweke wicaksana lan nampa kasunyatan.
Banjur, Eropa lan Asia Timur bisa kerja sama kanggo entuk manfaat.
Nanging, ora preduli kahanan, wutah Asia Wetan kudu terus.
Asia Timur nduweni hak kanggo berkembang.


2024/5/25 in Kyoto

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Saya menjumpai terjemahan Jepun berikut untuk ucapan Mahathir "Jika Jepun Tidak Wujud" dalam talian.

2024年05月28日 16時57分21秒 | 全般

Tanpa Jepun dan kisah kejayaan Jepun, tidak akan ada contoh teladan bagi negara-negara Asia Timur. 
30 November 2023
Saya menjumpai terjemahan Jepun berikut untuk ucapan Mahathir "Jika Jepun Tidak Wujud" dalam talian.
Le Clézio juga harus memberi perhatian kepada perkara ini.

Asia Timur adalah Timur Jauh dalam dunia berpusatkan Eropah pada masa lalu.
Timur Jauh menimbulkan kesan aneh dan misteri, termasuk imej eksotik China dan naga, teh, candu, sutera halus, dan orang luar biasa dengan adat yang ganjil.  
Romantik Eropah tidak lagi berminat kerana Timur Jauh telah menjadi Asia Timur.
Sebaliknya, ia menjadi tumpuan ahli politik dan ekonomi.
Kebimbangan Eropah tentang Asia menunjukkan bahawa rantau ini telah menimbulkan ancaman yang lebih teruk daripada ketenteraan Jepun pada separuh pertama abad ini.
Yang mendasari pandangan ini adalah ketidakpercayaan dan ketakutan.
Sebabnya ialah orang Asia Timur berbeza dengan kita; mereka bukan orang Eropah.
Atas sebab ini, walaupun Jerman dan Itali, kuasa Paksi di Eropah selepas Perang Dunia II, digalakkan dan dialu-alukan untuk menjadi negara yang aman dan makmur, sama seperti pembangunan ekonomi Jepun dan "Jepun Kecil" " di Timur Jauh, yang telah menjadi sebuah negara yang aman, nampaknya tidak disambut dengan baik.
Sebaliknya, kedua-dua Eropah dan Amerika Syarikat, yang telah memindahkan masyarakat Eropah, telah menggunakan pelbagai cara untuk cuba menyekat pertumbuhan negara-negara Asia Timur.
Di samping mengenakan model demokrasi Barat, Jepun juga secara terbuka berusaha untuk melemahkan daya saing ekonomi negara-negara Asia Timur.
Sungguh malang.
Dunia telah banyak belajar daripada pendekatan pembangunan Asia Timur.
Memahami bahawa ketenteraan adalah tidak produktif, Jepun telah mencurahkan teknologi dan tenaga canggihnya untuk membina masyarakat di mana kedua-dua orang miskin dan kaya boleh hidup dengan selesa.
Orang Jepun berjaya mengurangkan kos tanpa menjejaskan kualiti, menjadikan apa yang pernah menjadi kemewahan tersedia untuk semua orang.
Tanpa menggunakan sebarang sihir, dia menghasilkan hasil yang boleh dipanggil ajaib.
Bayangkan dunia tanpa Jepun.
Tanpa Jepun, Eropah dan Amerika akan menguasai negara-negara perindustrian dunia.
Barat akan menetapkan piawaian dan harga, dan negara-negara di seluruh dunia akan terpaksa membayar harga tersebut untuk membeli produk yang hanya boleh dibuat di Barat.
Negara-negara Barat, yang sentiasa berusaha untuk meningkatkan taraf hidup rakyat mereka, berkemungkinan mengimbangi kenaikan kos dengan menaikkan harga kerana mereka tidak mempunyai persaingan.
Mereka akan membayar apa sahaja upah yang difikirkan munasabah oleh kesatuan sekerja berdasarkan idea sosialis dan egalitarian.
Orang Eropah menerima semua tuntutan daripada kesatuan sekerja, maka permintaan yang munasabah daripada pihak pengurusan diabaikan.
Kos akan meningkat kerana jumlah kerja akan berkurangan, dan upah akan meningkat.
Harga untuk bahan mentah yang dieksport dari negara-negara selatan yang miskin ditetapkan pada tahap yang paling rendah kerana satu-satunya pembeli adalah negara Eropah utara.
Akibatnya, kedudukan negara-negara selatan dalam pasaran semakin lemah.
Pinjaman dan bantuan diberikan sebagai pertukaran untuk menaikkan harga barangan yang dieksport.
Apabila syarat perdagangan terus tidak menguntungkan negara-negara Selatan, negara-negara miskin menjadi lebih miskin dan kurang bebas.
Mereka terpaksa memenuhi syarat pinjaman yang lebih ketat dan jatuh ke dalam keadaan "perhambaan hutang."

*Pakar-pakar ekonomi di seluruh dunia akan menyedari bahawa strategi One Belt, One Road yang sedang dilaksanakan oleh China pada masa ini adalah mengulangi dasar penjajah Barat*

Harga setiap produk di Eropah utara akan menjadi tiga kali ganda daripada harga sekarang, jadi negara-negara selatan yang miskin tidak akan dapat membeli televisyen, radio atau peralatan rumah yang kini kita ambil mudah. Petani kecil tidak akan dapat membeli trak pikap atau kereta kecil. Betul.
Secara amnya, negara-negara di Selatan akan terpaksa hidup pada taraf hidup yang jauh lebih rendah daripada yang mereka lakukan sekarang.
Sama ada pembangunan ekonomi beberapa negara di Selatan mahupun kelahiran negara-negara perindustrian yang berkuasa di Asia Timur tidak mungkin berlaku.
Syarikat multinasional melabur di negara-negara selatan untuk mencari buruh murah dengan tepat kerana mereka tidak mempunyai pilihan selain bersaing dengan Jepun.
Tanpa persaingan dari Jepun, tidak akan ada pelaburan di negara membangun.
Oleh kerana tiada pelaburan dari Jepun, pelaburan asing dijangka tidak akan merangsang pertumbuhan.
Tambahan pula, tanpa Jepun dan kisah kejayaannya, negara-negara Asia Timur tidak akan ada apa-apa untuk dicontohi.
Mereka akan terus percaya bahawa mereka tidak boleh bersaing dalam bidang perindustrian yang telah dibangunkan dan disempurnakan oleh Eropah.
Industri maju adalah mustahil di Asia Timur.
Paling baik, mereka menghasilkan produk tiruan yang berkualiti rendah.
Oleh itu, Barat tidak takut "harimau" atau "naga", iaitu Ekonomi Perindustrian Baru (NIES) yang berkembang pesat di Asia, seperti Hong Kong, Korea Selatan, Singapura, dan Taiwan. 
Jepun telah membuktikan bahawa ia boleh melakukannya dengan baik di negara-negara Asia Timur.
Negara Asia Timur yang lain berani mencuba, dan skejayaan mengejutkan mereka dan seluruh dunia.
Orang Asia Timur tidak lagi mengalami kompleks rendah diri.
Kami kini percaya pada Jepun dan kekuatan kami, dan kami membuktikannya.
Jika Jepun tidak wujud, dunia akan kelihatan berbeza sama sekali.
Tidak keterlaluan untuk mengatakan bahawa Utara yang kaya semakin makmur, dan Selatan yang miskin semakin miskin.
Eropah Utara akan memerintah dunia selama-lamanya.
Negara seperti Malaysia akan terus menanam getah, melombong bijih timah, dan menjualnya pada harga yang diminta kepada pelanggan di negara perindustrian kaya.
Senario ini mungkin dipertikaikan.
Walau bagaimanapun, ia agak mungkin.
Jika anda bayangkan apa yang akan berlaku jika Jepun tidak melabur di Eropah dan Amerika dan menyimpan semua dananya di dalam negara, bukankah hasilnya lebih adil?
Orang Eropah perlu membayar harga yang lebih tinggi untuk produk tempatan dan tidak mampu membeli gaya hidup kelas tinggi.  
(snip)
Malah, Eropah hidup di atas kemampuannya.
Orang Eropah bekerja terlalu sedikit dan dibayar terlalu banyak.
Eropah tidak boleh mengharapkan seluruh dunia menyokong kemewahan ini.
Negara-negara Eropah mahukan taraf hidup yang lebih tinggi dan persekitaran yang lebih sihat untuk rakyat mereka, tetapi mereka tidak sanggup berkorban.
Apabila dicadangkan bahawa Eropah harus menerima taraf hidup yang lebih rendah dan memelihara alam sekitar, negara-negara Eropah menyatakan rasa tidak senang hati.
Walau bagaimanapun, Eropah meminta negara yang lebih miskin untuk mengelak daripada mengeksploitasi sumber asli mereka, yang diperlukan untuk mengekalkan alam sekitar di Utara.
Ringkasnya, "negara miskin harus mengorbankan diri mereka untuk negara kaya.''
Namun, negara kaya tidak sanggup berkorban.
Pernah suatu ketika negara-negara Asia melihat ke Barat untuk mendapatkan panduan dan model apabila ia datang kepada "Pandang Barat."
Masanya mungkin telah tiba untuk Eropah untuk "Pandang ke Timur" dan mencari perkara ini dari Asia.
Saya tidak tahu sama ada anda menganggap saya Asia Timur atau Asia Tenggara.
Apa pun, saya harus mengakui bahawa pandangan saya dipengaruhi oleh fakta bahawa saya bukan sahaja Asia Tenggara tetapi juga dari negara membangun.
Malaysia mempunyai cita-cita tertentu.
Kita mahu menjadi sebuah negara maju suatu hari nanti dan kecewa kerana digagalkan secara tidak wajar.
Walau bagaimanapun, kami percaya kepada perdagangan bebas dan persaingan yang adil.
Pengalaman ASEAN (Persatuan Negara-Negara Asia Tenggara) telah menunjukkan bahawa persaingan yang mesra dan kesediaan untuk belajar antara satu sama lain dapat memupuk pertumbuhan ekonomi.
Negara-negara Asia Timur boleh mencapai keputusan yang sama jika bersedia untuk belajar sambil bersaing.
Membangunkan persaingan dan kerjasama yang adil antara Eropah dan Asia Timur akan membantu semua negara maju.
Walaupun Eropah dan Amerika Syarikat mengamalkan proteksionisme, Asia Timur tidak akan menggunakan proteksionisme.
Asia Timur mempunyai kelebihan daya saing dan sedang membuktikannya.
Sebagai contoh, pada tahun 1960, KDNK Asia Timur secara keseluruhan ialah 42% daripada EC (kini Kesatuan Eropah), 23% daripada Amerika Syarikat, dan 21% daripada NAFTA (Perjanjian Perdagangan Bebas Amerika Utara).
Pada tahun 1990, ia berjumlah 67% daripada EC, 47% daripada Eropah Barat, 73% daripada Amerika Syarikat, dan 64% daripada NAFTA.
Perdagangan intraregional Asia Timur juga berkembang secara mutlak dan sebagai bahagian perdagangan dunia.
Asia Timur telah mencapai matlamat ini tanpa menggunakan perlindungan dan walaupun menghadapi banyak halangan.
Sepanjang perjalanan, negara-negara Asia Timur telah meningkatkan kualiti hidup bukan sahaja untuk rakyat mereka tetapi juga untuk golongan miskin di seluruh dunia.
Kejayaan negara Asia Timur bukan kerana sihir.
Apa yang telah dicapai oleh Jepun, negara-negara lain di Asia Timur telah dapat mencapai tahap yang berbeza-beza.
Begitu juga, negara Eropah juga boleh berbuat demikian.
Faktor kritikal dalam kejayaan ini ialah kesediaan untuk menerima taraf hidup yang lebih rendah apabila orang ramai tidak mampu mengekalkan taraf hidup yang lebih tinggi.
Negara Asia Timur sanggup berbuat demikian.
Jika kita memaksa diri kita untuk mengekalkan taraf hidup yang tinggi, kita akan kehilangan daya saing.
Sebaliknya, orang Eropah mesti bertanya kepada diri sendiri sama ada cara mereka bijak dan menerima realiti.
Kemudian, Eropah dan Asia Timur boleh bekerjasama untuk faedah bersama.
Walau bagaimanapun, walau apa pun keadaan, pertumbuhan Asia Timur mesti diteruskan.
Asia Timur mempunyai hak untuk membangun.


2024/5/25 in Kyoto

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

मला महाथिरच्या "इफ जपान डिडन्ट एक्सिस्ट" भाषणाचा खालील जपानी अनुवाद ऑनलाइन सापडला.

2024年05月28日 16時52分32秒 | 全般

जपान आणि जपानी यशोगाथेशिवाय, पूर्व आशियाई राष्ट्रांसाठी कोणताही आदर्श असू शकत नाही. 
30 नोव्हेंबर 2023
मला महाथिरच्या "इफ जपान डिडन्ट एक्सिस्ट" भाषणाचा खालील जपानी अनुवाद ऑनलाइन सापडला.
Le Clézio ने देखील याकडे बारकाईने लक्ष दिले पाहिजे.

पूर्वीच्या युरोप-केंद्रित जगात पूर्व आशिया हा सुदूर पूर्व होता.
सुदूर पूर्वने विचित्र आणि रहस्यमय छाप पाडल्या, ज्यात विदेशी चीन आणि ड्रॅगन, चहा, अफू, उत्तम रेशीम आणि विचित्र रीतिरिवाज असलेल्या असामान्य लोकांच्या प्रतिमांचा समावेश आहे.  
सुदूर पूर्व पूर्व आशिया बनले आहे हे आता युरोपियन रोमँटिकला स्वारस्य नाही.
त्याऐवजी राजकारणी आणि अर्थतज्ज्ञांचे लक्ष लागले आहे.
आशियाबद्दल युरोपची चिंता सूचित करते की या शतकाच्या पूर्वार्धात जपानी सैन्यवादापेक्षा या प्रदेशाला आधीच अधिक गंभीर धोका निर्माण झाला आहे.
अविश्वास आणि भीती हे या मताचे मूळ आहे.
याचे कारण पूर्व आशियाई लोक आपल्यापेक्षा वेगळे आहेत; ते युरोपियन नाहीत.
या कारणास्तव, जरी जर्मनी आणि इटली, दुसऱ्या महायुद्धानंतर युरोपमधील धुरी शक्तींना, जपानच्या आर्थिक विकासाप्रमाणेच शांतताप्रिय राष्ट्रे बनण्यासाठी आणि समृद्ध होण्यासाठी प्रोत्साहन आणि स्वागत करण्यात आले होते आणि सुदूर पूर्वेतील "छोटे जपान" शांतताप्रिय राष्ट्र बनले आहे, त्याचे फारसे स्वागत होत नाही.
याउलट, युरोपीय समाजाचे बीजारोपण करणाऱ्या युरोप आणि अमेरिका या दोन्ही देशांनी विविध मार्गांचा वापर करून पूर्व आशियाई देशांची वाढ दडपण्याचा प्रयत्न केला.
पाश्चात्य लोकशाही मॉडेल्स लादण्याबरोबरच, जपानने पूर्व आशियाई देशांची आर्थिक स्पर्धात्मकता कमी करण्याचाही उघडपणे प्रयत्न केला आहे.
ते दुर्दैवी आहे.
पूर्व आशियाच्या विकासाच्या दृष्टिकोनातून जगाने बरेच काही शिकले आहे.
सैन्यवाद हे प्रतिउत्पादक आहे हे समजून, जपानने आपले प्रगत तंत्रज्ञान आणि ऊर्जा अशा समाजाच्या उभारणीसाठी ओतली आहे जिथे गरीब आणि श्रीमंत दोघेही आरामात राहू शकतील.
गुणवत्तेशी तडजोड न करता खर्च कमी करण्यात जपानी यशस्वी झाले, जे एकेकाळी लक्झरी होते ते प्रत्येकासाठी उपलब्ध करून दिले.
कोणतीही जादू न वापरता, त्याने चमत्कारिक म्हणता येईल असे परिणाम दिले.
जपानशिवाय जगाची कल्पना करा.
जपानशिवाय युरोप आणि अमेरिका जगातील औद्योगिक राष्ट्रांवर वर्चस्व गाजवतील.
पाश्चिमात्य देशांनी मानके आणि किमती निश्चित केल्या असत्या आणि जगभरातील देशांना केवळ पाश्चिमात्य देशात बनवता येणारी उत्पादने खरेदी करण्यासाठी त्या किंमती देण्यास भाग पाडले गेले असते.
आपल्या नागरिकांचे राहणीमान उंचावण्यासाठी सतत प्रयत्न करणारे पाश्चात्य देश, त्यांच्यात स्पर्धा नसल्यामुळे किंमती वाढवून खर्च वाढ भरून काढण्याची शक्यता आहे.
समाजवादी आणि समतावादी विचारांवर आधारित युनियनला वाजवी वाटेल ते वेतन ते देतील.
युरोपियन युनियन्सच्या सर्व मागण्या मान्य करतात, म्हणून व्यवस्थापनाच्या वाजवी मागण्यांकडे दुर्लक्ष केले जाते.
खर्च वाढतील कारण कामाचे प्रमाण कमी होईल आणि मजुरी वाढेल.
गरीब दक्षिणेकडील देशांमधून निर्यात केलेल्या कच्च्या मालाच्या किंमती सर्वात कमी पातळीवर निश्चित केल्या जातात कारण केवळ उत्तर युरोपीय देशच खरेदीदार आहेत.
परिणामी, बाजारपेठेतील दक्षिणेकडील देशांची स्थिती कमकुवत होते.
निर्यात केलेल्या वस्तूंच्या किमती वाढवण्याच्या बदल्यात कर्ज आणि मदत दिली जाते.
व्यापाराच्या अटी दक्षिणेकडील देशांना प्रतिकूल राहिल्यामुळे गरीब देश अधिक गरीब आणि कमी स्वतंत्र होत जातात.
त्यांना कर्जाच्या कठोर अटी पूर्ण करण्यास भाग पाडले जाते आणि "कर्ज गुलामगिरी" च्या अवस्थेत पडते.

*जगभरातील आर्थिक तज्ज्ञांच्या लक्षात येईल की चीन सध्या राबवत असलेली वन बेल्ट, वन रोड रणनीती ही पाश्चिमात्य देशांच्या औपनिवेशिक धोरणांची पुनर्रचना आहे*

उत्तर युरोपमधील प्रत्येक उत्पादनाची किंमत आताच्या तुलनेत तिप्पट असेल, त्यामुळे गरीब दक्षिणेकडील देश टेलिव्हिजन, रेडिओ किंवा घरगुती उपकरणे खरेदी करू शकणार नाहीत जी आम्ही आता गृहीत धरत आहोत. लहान शेतकरी पिकअप ट्रक किंवा लहान कार खरेदी करू शकणार नाहीत. बरोबर.
सर्वसाधारणपणे, दक्षिणेकडील देशांना सध्याच्या तुलनेत खूपच कमी राहणीमानावर जगण्यास भाग पाडले जाईल.
दक्षिणेतील काही देशांचा आर्थिक विकास किंवा पूर्व आशियातील बलाढ्य औद्योगिक राष्ट्रांचा जन्म होऊ शकला नसता.
बहुराष्ट्रीय कंपन्यांनी स्वस्त कामगारांच्या शोधात दक्षिणेकडील देशांमध्ये गुंतवणूक केली कारण त्यांना जपानशी स्पर्धा करण्याशिवाय पर्याय नव्हता.
जपानशी स्पर्धेशिवाय विकसनशील देशांमध्ये गुंतवणूक होणार नाही.
जपानकडून कोणतीही गुंतवणूक नसल्यामुळे, परकीय गुंतवणुकीमुळे विकासाला चालना मिळण्याची अपेक्षा नाही.
शिवाय, जपान आणि त्याच्या यशोगाथेशिवाय, पूर्व आशियाई देशांचे अनुकरण करण्यासारखे काहीही नाही.
युरोपने विकसित केलेल्या आणि परिपूर्ण केलेल्या औद्योगिक क्षेत्रात ते स्पर्धा करू शकत नाहीत असा त्यांचा विश्वास राहील.
पूर्व आशियामध्ये प्रगत उद्योग अशक्य होते.
उत्तम प्रकारे, त्यांनी निकृष्ट दर्जाची अनुकरण उत्पादने तयार केली.
त्यामुळे, पश्चिमेला "वाघ" किंवा "ड्रॅगन" ची भीती वाटत नाही, म्हणजे हाँगकाँग, दक्षिण कोरिया, सिंगापूर आणि तैवान यांसारख्या आशियातील झपाट्याने वाढणाऱ्या नवीन औद्योगिक अर्थव्यवस्था (NIES) ची. 
जपानने हे सिद्ध केले आहे की ते पूर्व आशियाई देशांमध्ये चांगली कामगिरी करू शकतात.
इतर पूर्व आशियाई देशांनी प्रयत्न करण्याचे धाडस केले आणि त्यांचे एसuccesses ने त्यांना आणि उर्वरित जगाला आश्चर्यचकित केले.
पूर्व आशियाई लोक यापुढे न्यूनगंडाने ग्रस्त नाहीत.
आता आमचा जपान आणि आमच्या सामर्थ्यावर विश्वास आहे आणि आम्ही ते सिद्ध केले.
जर जपान अस्तित्वात नसता तर जग पूर्णपणे वेगळे दिसले असते.
श्रीमंत उत्तर अधिक समृद्ध होत चालले होते आणि दक्षिण गरीब होत चालले होते असे म्हटले तर अतिशयोक्ती नाही.
उत्तर युरोपने जगावर कायमचे राज्य केले असते.
मलेशिया सारख्या देशांनी रबर, माइन टिन पिकवणे चालू ठेवले असते आणि श्रीमंत औद्योगिक देशांतील ग्राहकांना विचारलेल्या किमतीत ते विकले असते.
ही परिस्थिती विवादित असू शकते.
तथापि, ते अगदी शक्य आहे.
जर जपानने युरोप आणि अमेरिकेत गुंतवणूक केली नाही आणि सर्व निधी देशांतर्गत ठेवला नाही तर काय होईल याची तुम्ही कल्पना केली तर त्याचा परिणाम अधिक चांगला होणार नाही का?
युरोपियन लोकांना स्वदेशी उत्पादनांसाठी जास्त किंमत मोजावी लागेल आणि उच्च श्रेणीची जीवनशैली त्यांना परवडणार नाही.  
(स्निप)
खरं तर, युरोप त्याच्या साधनांपेक्षा वरचढ राहतो.
युरोपियन लोक खूप कमी काम करतात आणि त्यांना खूप जास्त पगार दिला जातो.
उर्वरित जगाने या उधळपट्टीचे समर्थन करण्याची अपेक्षा युरोप करू शकत नाही.
युरोपीय देशांना त्यांच्या नागरिकांसाठी उच्च राहणीमान आणि आरोग्यदायी वातावरण हवे आहे, परंतु ते त्याग करण्यास तयार नाहीत.
युरोपने खालच्या दर्जाचे राहणीमान स्वीकारून पर्यावरणाचे रक्षण करावे, असे सुचविल्यावर युरोपीय देशांनी तीव्र नाराजी व्यक्त केली.
तथापि, युरोप गरीब देशांना उत्तरेकडील पर्यावरण टिकवून ठेवण्यासाठी आवश्यक असलेल्या नैसर्गिक संसाधनांचे शोषण करण्यापासून परावृत्त करण्यास सांगत आहे.
थोडक्यात, "गरीब देशांनी श्रीमंत देशांसाठी स्वतःचा त्याग केला पाहिजे."
मात्र, श्रीमंत देश त्याग करायला तयार नाहीत.
एक काळ असा होता जेव्हा आशियाई देश मार्गदर्शन आणि मॉडेल्ससाठी पश्चिमेकडे पाहत असत तेव्हा ते "पश्चिम पहा."
युरोपला "पूर्वेकडे पहा" आणि आशियामधून या गोष्टी शोधण्याची वेळ आली असेल.
तुम्ही मला पूर्व आशियाई की आग्नेय आशियाई मानता हे मला माहीत नाही.
कोणत्याही प्रकारे, मला हे मान्य करावे लागेल की मी केवळ आग्नेय आशियाईच नाही तर एका विकसनशील देशातूनही आहे या वस्तुस्थितीवर माझ्या विचारांचा प्रभाव आहे.
मलेशियाच्या विशिष्ट महत्त्वाकांक्षा आहेत.
आपल्याला एक दिवस विकसित राष्ट्र व्हायचे आहे आणि विनाकारण आडकाठी आल्याने निराश झालो आहोत.
तथापि, आम्ही मुक्त व्यापार आणि निष्पक्ष स्पर्धेवर विश्वास ठेवतो.
ASEAN (Association of Asian Southeast Nations) च्या अनुभवावरून असे दिसून आले आहे की मैत्रीपूर्ण स्पर्धा आणि एकमेकांकडून शिकण्याची इच्छा आर्थिक विकासाला चालना देऊ शकते.
स्पर्धा करताना शिकण्याची इच्छा असल्यास पूर्व आशियाई देश समान परिणाम साध्य करू शकतात.
युरोप आणि पूर्व आशिया यांच्यात निष्पक्ष स्पर्धा आणि सहकार्य विकसित केल्याने सर्व देशांना समृद्ध होण्यास मदत होईल.
युरोप आणि अमेरिकेने संरक्षणवाद स्वीकारला तरी पूर्व आशिया संरक्षणवादाचा अवलंब करणार नाही.
पूर्व आशियाला स्पर्धात्मक किनार आहे आणि ती सिद्ध करत आहे.
उदाहरणार्थ, 1960 मध्ये, संपूर्ण पूर्व आशियाचा GDP EC (सध्या युरोपियन युनियन), युनायटेड स्टेट्सचा 23% आणि NAFTA (उत्तर अमेरिका मुक्त व्यापार करार) च्या 42% होता.
1990 मध्ये, ते EC च्या 67%, पश्चिम युरोपच्या 47%, USA च्या 73% आणि NAFTA च्या 64% इतके होते.
पूर्व आशियातील आंतरप्रादेशिक व्यापार देखील परिपूर्ण अटींमध्ये आणि जागतिक व्यापाराचा हिस्सा म्हणून वाढत आहे.
पूर्व आशियाने संरक्षणवादाचा अवलंब न करता आणि अनेक अडथळ्यांना न जुमानता हे साध्य केले आहे.
वाटेत, पूर्व आशियाई देशांनी केवळ त्यांच्या नागरिकांसाठीच नव्हे तर जगभरातील गरिबांचे जीवनमान सुधारले आहे.
पूर्व आशियाई देशांचे यश हे जादूमुळे नाही.
जपानने जे साध्य केले आहे, ते पूर्व आशियातील इतर देश वेगवेगळ्या प्रमाणात साध्य करू शकले आहेत.
त्याचप्रमाणे युरोपीय देशही तसे करू शकतात.
जेव्हा लोक उच्च राहणीमान राखू शकत नाहीत तेव्हा कमी राहणीमान स्वीकारण्याची इच्छा हा या यशाचा एक महत्त्वाचा घटक आहे.
पूर्व आशियाई देश तसे करण्यास इच्छुक आहेत.
जर आपण उच्च राहणीमान राखण्यासाठी स्वतःला भाग पाडले तर आपण स्पर्धात्मकता गमावू.
त्याऐवजी, युरोपियन लोकांनी स्वतःला विचारले पाहिजे की त्यांचे मार्ग शहाणपणाचे आहेत आणि वास्तव स्वीकारले पाहिजे.
मग, युरोप आणि पूर्व आशिया परस्पर फायद्यासाठी सहकार्य करू शकतात.
तथापि, परिस्थिती काहीही असो, पूर्व आशियाची वाढ कायम राहिली पाहिजे.
पूर्व आशियाला विकासाचा अधिकार आहे.


2024/5/25 in Kyoto

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Tôi tìm thấy bản dịch tiếng Nhật sau đây của bài phát biểu "Nếu Nhật Bản không tồn tại"

2024年05月28日 16時48分33秒 | 全般

Nếu không có Nhật Bản và câu chuyện thành công của Nhật Bản, sẽ không có hình mẫu nào cho các quốc gia Đông Á. 
Ngày 30 tháng 11 năm 2023
Tôi tìm thấy bản dịch tiếng Nhật sau đây của bài phát biểu "Nếu Nhật Bản không tồn tại" của Mahathir trên mạng.
Le Clézio cũng nên hết sức chú ý đến điều này.

Đông Á là vùng Viễn Đông trong thế giới lấy châu Âu làm trung tâm trước đây.
Viễn Đông gợi lên những ấn tượng kỳ lạ và bí ẩn, bao gồm hình ảnh của Trung Quốc kỳ lạ và những con rồng, trà, thuốc phiện, lụa mịn và những con người khác thường với những phong tục kỳ quặc.  
Những nhà lãng mạn châu Âu giờ đây không còn hứng thú nữa khi Viễn Đông đã trở thành Đông Á.
Thay vào đó, nó đã trở thành tâm điểm của các chính trị gia và nhà kinh tế.
Những lo ngại của Châu Âu về Châu Á cho thấy khu vực này đã đặt ra mối đe dọa nghiêm trọng hơn chủ nghĩa quân phiệt Nhật Bản trong nửa đầu thế kỷ này.
Ẩn dưới quan điểm này là sự ngờ vực và sợ hãi.
Sở dĩ có điều này là vì người Đông Á khác với chúng ta; họ không phải là người châu Âu.
Vì lý do này, mặc dù Đức và Ý, các cường quốc thuộc phe Trục ở châu Âu sau Thế chiến thứ hai, được khuyến khích và hoan nghênh trở thành những quốc gia hòa bình và thịnh vượng, tương tự như sự phát triển kinh tế của Nhật Bản và “Nhật Bản thu nhỏ” ở Viễn Đông, nơi đã trở thành một quốc gia hòa bình, dường như không được đón nhận nồng nhiệt cho lắm.
Ngược lại, cả Châu Âu và Hoa Kỳ, những quốc gia đã cấy ghép xã hội Châu Âu, đã sử dụng nhiều biện pháp khác nhau để cố gắng ngăn chặn sự phát triển của các nước Đông Á.
Ngoài việc áp đặt các mô hình dân chủ phương Tây, Nhật Bản còn công khai tìm cách làm suy yếu khả năng cạnh tranh kinh tế của các nước Đông Á.
Thật là đáng tiếc.
Thế giới đã học được nhiều điều từ cách tiếp cận phát triển của Đông Á.
Hiểu rằng chủ nghĩa quân phiệt là phản tác dụng, Nhật Bản đã đổ công nghệ và năng lượng tiên tiến vào việc xây dựng một xã hội mà cả người nghèo và người giàu đều có thể sống thoải mái.
Người Nhật đã thành công trong việc giảm chi phí mà không ảnh hưởng đến chất lượng, khiến mọi người đều có thể tiếp cận được những thứ từng là xa xỉ.
Không cần sử dụng bất kỳ phép thuật nào, anh ấy đã tạo ra kết quả có thể gọi là kỳ diệu.
Hãy tưởng tượng một thế giới không có Nhật Bản.
Nếu không có Nhật Bản, châu Âu và Mỹ sẽ thống trị các quốc gia công nghiệp hóa trên thế giới.
Phương Tây sẽ đặt ra các tiêu chuẩn và giá cả, và các nước trên toàn thế giới sẽ buộc phải trả những mức giá đó để mua những sản phẩm chỉ có thể được sản xuất ở phương Tây.
Các nước phương Tây, vốn không ngừng nỗ lực nâng cao mức sống của người dân, có khả năng bù đắp sự gia tăng chi phí bằng cách tăng giá vì họ không có cạnh tranh.
Họ sẽ trả bất kỳ mức lương nào mà công đoàn cho là hợp lý dựa trên các ý tưởng xã hội chủ nghĩa và bình đẳng.
Người châu Âu chấp nhận mọi yêu cầu từ công đoàn nên những yêu cầu hợp lý từ ban quản lý đều bị bỏ qua.
Chi phí sẽ tăng vì khối lượng công việc sẽ giảm và tiền lương sẽ tăng.
Giá nguyên liệu thô xuất khẩu từ các nước nghèo phía Nam được cố định ở mức thấp nhất vì người mua duy nhất là các nước Bắc Âu.
Kết quả là vị thế của các nước phía Nam trên thị trường bị suy yếu.
Các khoản cho vay và viện trợ được đưa ra để đổi lấy việc tăng giá hàng xuất khẩu.
Khi các điều kiện thương mại tiếp tục không thuận lợi đối với các nước phía Nam, các nước nghèo trở nên nghèo hơn và kém độc lập hơn.
Họ buộc phải đáp ứng các điều kiện vay vốn thậm chí còn khắt khe hơn và rơi vào tình trạng “nô lệ nợ nần”.

*Các chuyên gia kinh tế trên thế giới sẽ nhận ra rằng chiến lược Một vành đai, Một con đường mà Trung Quốc hiện đang thực hiện là sự tái diễn chính sách thuộc địa của phương Tây*

Giá của mọi sản phẩm ở Bắc Âu sẽ gấp ba lần hiện tại, vì vậy các nước nghèo ở phía Nam sẽ không thể mua được tivi, radio hoặc các thiết bị gia dụng mà chúng ta hiện nay coi là đương nhiên. Nông dân nhỏ sẽ không thể mua xe bán tải hoặc ô tô nhỏ. Phải.
Nhìn chung, các nước phía Nam sẽ buộc phải sống với mức sống thấp hơn nhiều so với hiện tại.
Sự phát triển kinh tế của một số nước ở phía Nam cũng như sự ra đời của các quốc gia công nghiệp hùng mạnh ở Đông Á đều không thể thực hiện được.
Các công ty đa quốc gia đầu tư vào các nước phía Nam để tìm kiếm lao động giá rẻ chính vì họ không có lựa chọn nào khác ngoài việc cạnh tranh với Nhật Bản.
Nếu không có sự cạnh tranh từ Nhật Bản, sẽ không có đầu tư vào các nước đang phát triển.
Vì không có đầu tư từ Nhật Bản nên dự kiến đầu tư nước ngoài sẽ không kích thích tăng trưởng.
Hơn nữa, nếu không có Nhật Bản và câu chuyện thành công của nước này, các nước Đông Á sẽ không có gì để noi theo.
Họ sẽ tiếp tục tin rằng họ không thể cạnh tranh trong các lĩnh vực công nghiệp mà Châu Âu đã phát triển và hoàn thiện.
Nền công nghiệp tiên tiến là không thể có ở Đông Á.
Tốt nhất là họ sản xuất ra những sản phẩm nhái kém chất lượng.
Vì vậy, phương Tây không sợ “hổ” hay “rồng”, cụ thể là các nền kinh tế công nghiệp hóa mới (NIES) đang phát triển nhanh chóng của châu Á, như Hồng Kông, Hàn Quốc, Singapore và Đài Loan. 
Nhật Bản đã chứng minh rằng họ có thể làm tốt ở các nước Đông Á.
Các nước Đông Á khác đã dám thử vànhững thành công đã làm họ và phần còn lại của thế giới ngạc nhiên.
Người Đông Á không còn mặc cảm tự ti nữa.
Bây giờ chúng tôi tin vào Nhật Bản và sức mạnh của mình và chúng tôi đã chứng minh điều đó.
Nếu Nhật Bản không tồn tại, thế giới sẽ hoàn toàn khác.
Không ngoa khi nói rằng miền Bắc giàu có ngày càng thịnh vượng, còn miền Nam nghèo ngày càng nghèo đi.
Bắc Âu sẽ thống trị thế giới mãi mãi.
Các quốc gia như Malaysia sẽ tiếp tục trồng cao su, khai thác thiếc và bán với giá chào bán cho khách hàng ở các nước công nghiệp phát triển giàu có.
Kịch bản này có thể bị tranh chấp.
Tuy nhiên, nó hoàn toàn có thể.
Nếu bạn tưởng tượng điều gì sẽ xảy ra nếu Nhật Bản không đầu tư vào châu Âu và châu Mỹ và giữ tất cả tiền trong nước, chẳng phải kết quả sẽ công bằng hơn sao?
Người châu Âu sẽ phải trả giá cao hơn cho các sản phẩm cây nhà lá vườn và không thể có được lối sống cao cấp.  
(cắt)
Trên thực tế, châu Âu đang sống vượt quá khả năng của mình.
Người châu Âu làm việc quá ít và được trả quá nhiều.
Châu Âu không thể mong đợi phần còn lại của thế giới ủng hộ sự phung phí này.
Các nước châu Âu muốn có mức sống cao hơn và môi trường lành mạnh hơn cho người dân của họ, nhưng họ không sẵn lòng hy sinh.
Khi có ý kiến cho rằng châu Âu nên chấp nhận mức sống thấp hơn và bảo vệ môi trường, các nước châu Âu bày tỏ sự bất bình sâu sắc.
Tuy nhiên, Châu Âu đang yêu cầu các nước nghèo hơn hạn chế khai thác tài nguyên thiên nhiên cần thiết để duy trì môi trường ở phía Bắc.
Nói tóm lại, “các nước nghèo nên hy sinh bản thân vì các nước giàu”.
Tuy nhiên, các nước giàu không sẵn sàng hy sinh.
Đã có lúc các nước châu Á nhìn sang phương Tây để được hướng dẫn và làm gương khi nói đến “Hướng Tây”.
Có lẽ đã đến lúc châu Âu phải “Hướng Đông” và tìm kiếm những điều này từ châu Á.
Tôi không biết bạn coi tôi là người Đông Á hay Đông Nam Á.
Dù sao đi nữa, tôi phải thừa nhận rằng quan điểm của tôi bị ảnh hưởng bởi thực tế là tôi không chỉ đến từ Đông Nam Á mà còn đến từ một quốc gia đang phát triển.
Malaysia có tham vọng cụ thể.
Chúng tôi muốn một ngày nào đó trở thành một quốc gia phát triển và thất vọng vì bị cản trở một cách không cần thiết.
Tuy nhiên, chúng tôi tin vào thương mại tự do và cạnh tranh công bằng.
Kinh nghiệm của ASEAN (Hiệp hội các quốc gia Đông Nam Á) đã chỉ ra rằng cạnh tranh thân thiện và sẵn sàng học hỏi lẫn nhau có thể thúc đẩy tăng trưởng kinh tế.
Các nước Đông Á có thể đạt được kết quả tương tự nếu sẵn sàng vừa học vừa cạnh tranh.
Phát triển cạnh tranh và hợp tác công bằng giữa châu Âu và Đông Á sẽ giúp tất cả các nước phát triển thịnh vượng.
Ngay cả khi châu Âu và Mỹ áp dụng chủ nghĩa bảo hộ, Đông Á sẽ không sử dụng chủ nghĩa bảo hộ.
Đông Á có lợi thế cạnh tranh và đang chứng minh điều đó.
Ví dụ, năm 1960, GDP của Đông Á nói chung là 42% của EC (hiện là Liên minh châu Âu), 23% của Hoa Kỳ và 21% của NAFTA (Hiệp định thương mại tự do Bắc Mỹ).
Năm 1990, nó chiếm tới 67% EC, 47% Tây Âu, 73% Hoa Kỳ và 64% NAFTA.
Thương mại nội vùng của Đông Á cũng đang tăng trưởng về mặt tuyệt đối và tỷ trọng trong thương mại thế giới.
Đông Á đã đạt được điều này mà không cần dùng đến chủ nghĩa bảo hộ và bất chấp nhiều trở ngại.
Trên đường đi, các nước Đông Á đã cải thiện chất lượng cuộc sống không chỉ cho người dân của mình mà còn cho người nghèo trên toàn thế giới.
Sự thành công của các nước Đông Á không phải nhờ phép màu.
Những gì Nhật Bản đã đạt được thì các quốc gia khác ở Đông Á cũng có thể đạt được ở những mức độ khác nhau.
Tương tự, các nước châu Âu cũng có thể làm được như vậy.
Yếu tố quan trọng dẫn đến thành công này là sự sẵn lòng chấp nhận mức sống thấp hơn khi người dân không đủ khả năng để duy trì mức sống cao hơn.
Các nước Đông Á sẵn sàng làm như vậy.
Nếu chúng ta buộc mình phải duy trì mức sống cao, chúng ta sẽ mất khả năng cạnh tranh.
Thay vào đó, người châu Âu phải tự hỏi liệu cách làm của họ có khôn ngoan và chấp nhận thực tế hay không.
Khi đó, châu Âu và Đông Á có thể hợp tác cùng có lợi.
Tuy nhiên, bất kể hoàn cảnh nào, sự tăng trưởng của Đông Á vẫn phải tiếp tục.
Đông Á có quyền phát triển.


2024/5/25 in Kyoto

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Natagpuan ko ang sumusunod na Japanese translation ng "If Japan Didn't Exist" speech ni

2024年05月28日 16時47分47秒 | 全般

Kung wala ang Japan at ang kuwento ng tagumpay ng Hapon, walang magiging huwaran para sa mga bansa sa Silangang Asya. 
Nobyembre 30, 2023
Natagpuan ko ang sumusunod na Japanese translation ng "If Japan Didn't Exist" speech ni Mahathir online.
Dapat ding bigyang-pansin ito ng Le Clézio.

Ang Silangang Asya ay ang Malayong Silangan sa daigdig na nakasentro sa Europa noon.
Ang Malayong Silangan ay gumawa ng kakaiba at mahiwagang mga impresyon, kabilang ang mga larawan ng kakaibang Tsina at mga dragon, tsaa, opyo, pinong sutla, at hindi pangkaraniwang mga tao na may kakaibang kaugalian.  
Ang mga romantikong Europeo ay hindi na interesado ngayong ang Malayong Silangan ay naging Silangang Asya.
Sa halip, ito ang naging pokus ng mga pulitiko at ekonomista.
Iminumungkahi ng mga alalahanin ng Europa tungkol sa Asya na ang rehiyong ito ay nagdudulot na ng mas matinding banta kaysa militarismong Hapones sa unang kalahati ng siglong ito.
Ang pinagbabatayan ng pananaw na ito ay kawalan ng tiwala at takot.
Ang dahilan nito ay ang mga taga-Silangang Asya ay iba sa atin; hindi sila Europeo.
Dahil dito, kahit na ang Germany at Italy, ang Axis powers sa Europe pagkatapos ng Ikalawang Digmaang Pandaigdig, ay hinimok at tinanggap na maging mapayapang bansa at umunlad, katulad ng pag-unlad ng ekonomiya ng Japan at ng "Little Japan" " sa Malayong Silangan, na ay naging isang mapayapang bansa, tila hindi masyadong tinatanggap.
Sa kabaligtaran, kapwa ang Europa at Estados Unidos, na naglipat ng lipunang Europeo, ay gumamit ng iba't ibang paraan upang subukang sugpuin ang paglago ng mga bansa sa Silangang Asya.
Bilang karagdagan sa pagpapataw ng mga modelong demokratikong Kanluranin, hayagang hinangad din ng Japan na pahinain ang pagiging mapagkumpitensya ng ekonomiya ng mga bansa sa Silangang Asya.
Hindi mapalad.
Maraming natutunan ang mundo mula sa diskarte sa pag-unlad ng Silangang Asya.
Sa pag-unawa na kontraproduktibo ang militarismo, ibinuhos ng Japan ang advanced na teknolohiya at enerhiya nito sa pagbuo ng isang lipunan kung saan ang mahihirap at mayayaman ay maaaring mamuhay nang kumportable.
Nagtagumpay ang mga Hapones sa pagbawas ng mga gastos nang hindi nakompromiso ang kalidad, na ginagawang magagamit ng lahat ang dating luho.
Nang hindi gumagamit ng anumang mahika, gumawa siya ng mga resulta na matatawag na mapaghimala.
Isipin ang isang mundo na walang Japan.
Kung wala ang Japan, ang Europe at America ang mangingibabaw sa mga industriyalisadong bansa sa mundo.
Ang Kanluran ay magtatakda sana ng mga pamantayan at presyo, at ang mga bansa sa buong mundo ay mapipilitang bayaran ang mga presyong iyon upang makabili ng mga produkto na maaari lamang gawin sa Kanluran.
Ang mga bansa sa Kanluran, na patuloy na nagsusumikap na itaas ang antas ng pamumuhay ng kanilang mga mamamayan, ay malamang na makabawi sa pagtaas ng gastos sa pamamagitan ng pagtataas ng mga presyo dahil wala silang kompetisyon.
Babayaran nila ang anumang sahod na itinuturing ng unyon na makatwiran batay sa sosyalista at egalitarian na mga ideya.
Tinatanggap ng mga Europeo ang lahat ng mga kahilingan mula sa mga unyon, kaya ang mga makatwirang kahilingan mula sa pamamahala ay hindi pinapansin.
Tataas ang mga gastos dahil bababa ang dami ng trabaho, at tataas ang sahod.
Ang mga presyo para sa mga hilaw na materyales na iniluluwas mula sa mahihirap na bansa sa timog ay nakatakda sa pinakamababang antas dahil ang tanging bumibili ay mga bansa sa hilagang Europa.
Dahil dito, humihina ang posisyon ng mga bansa sa timog sa merkado.
Ang mga pautang at tulong ay ibinibigay kapalit ng pagtataas ng presyo ng mga iniluluwas na produkto.
Habang ang mga tuntunin ng kalakalan ay patuloy na hindi pabor sa mga bansa sa Timog, ang mahihirap na bansa ay nagiging mahirap at hindi gaanong nagsasarili.
Pinipilit silang matugunan ang mas mahigpit na mga kondisyon ng pautang at mahulog sa isang estado ng "pagkaalipin sa utang."

*Matatanto ng mga eksperto sa ekonomiya sa buong mundo na ang diskarteng One Belt, One Road na kasalukuyang ipinapatupad ng China ay isang rehash ng kolonyal na mga patakaran ng Kanluran*

Ang presyo ng bawat produkto sa hilagang Europa ay magiging tatlong beses kaysa sa ngayon, kaya ang mga mahihirap na bansa sa timog ay hindi makakabili ng mga telebisyon, radyo, o mga gamit sa sambahayan na inaakala natin ngayon. Ang maliliit na magsasaka ay hindi makakabili ng mga pickup truck o maliliit na sasakyan. Tama.
Sa pangkalahatan, ang mga bansa sa Timog ay mapipilitang mamuhay sa mas mababang antas ng pamumuhay kaysa sa kasalukuyan.
Hindi naging posible ang pag-unlad ng ekonomiya ng ilang bansa sa Timog o ang pagsilang ng makapangyarihang mga bansang industriyal sa Silangang Asya.
Ang mga kumpanyang multinasyunal ay namuhunan sa mga bansa sa timog sa paghahanap ng murang paggawa dahil wala silang pagpipilian kundi makipagkumpitensya sa Japan.
Kung walang kompetisyon mula sa Japan, walang puhunan sa mga umuunlad na bansa.
Dahil walang pamumuhunan mula sa Japan, ang dayuhang pamumuhunan ay hindi inaasahang magpapasigla sa paglago.
Higit pa rito, kung wala ang Japan at ang kuwento ng tagumpay nito, ang mga bansa sa Silangang Asya ay walang dapat tularan.
Patuloy silang maniniwala na hindi sila maaaring makipagkumpitensya sa mga larangang pang-industriya na binuo at ginawang perpekto ng Europa.
Imposible ang advanced na industriya sa Silangang Asya.
Sa pinakamahusay, gumawa sila ng mga imitasyong produkto na may mababang kalidad.
Samakatuwid, ang Kanluran ay walang takot sa mga "tigre'' o "dragons'', katulad ng Asia's fastly growing Newly Industrializing Economies (NIES), tulad ng Hong Kong, South Korea, Singapore, at Taiwan. 
Napatunayan ng Japan na magaling ito sa mga bansa sa Silangang Asya.
Ang ibang mga bansa sa Silangang Asya ay nangahas na subukan, at ang kanilang mga sAng mga tagumpay ay nagulat sa kanila at sa iba pang bahagi ng mundo.
Hindi na dumaranas ng inferiority complex ang mga East Asian.
Naniniwala na kami ngayon sa Japan at sa aming lakas, at napatunayan namin ito.
Kung wala ang Japan, ang mundo ay magiging ganap na naiiba.
Hindi kalabisan na sabihin na ang mayamang Hilaga ay nagiging mas maunlad, at ang mahirap na Timog ay lalong naghihirap.
Ang Hilagang Europa ay mamamahala sa mundo magpakailanman.
Ang mga bansang tulad ng Malaysia ay nagpatuloy sana sa pagtatanim ng goma, pagmimina ng lata, at pagbebenta nito sa pagtatanong ng mga presyo sa mga customer sa mayayamang industriyalisadong bansa.
Maaaring mapagtatalunan ang sitwasyong ito.
Gayunpaman, ito ay lubos na posible.
Kung naisip mo kung ano ang mangyayari kung ang Japan ay hindi mamuhunan sa Europa at Amerika at pinanatili ang lahat ng mga pondo nito sa loob ng bansa, hindi ba magiging patas ang resulta?
Ang mga Europeo ay kailangang magbayad ng mas mataas na presyo para sa mga produktong homegrown at hindi kayang bayaran ang mga high-class na pamumuhay.  
(snip)
Sa katunayan, ang Europa ay nabubuhay nang higit sa kayamanan nito.
Masyadong maliit ang trabaho ng mga Europeo at napakalaki ng suweldo.
Hindi maaaring asahan ng Europa na susuportahan ng iba pang bahagi ng mundo ang karangyaan na ito.
Gusto ng mga bansang Europeo ng mas mataas na antas ng pamumuhay at mas malusog na kapaligiran para sa kanilang mga mamamayan, ngunit ayaw nilang magsakripisyo.
Nang iminungkahi na dapat tanggapin ng Europa ang mas mababang antas ng pamumuhay at pangalagaan ang kapaligiran, ang mga bansang Europeo ay nagpahayag ng matinding sama ng loob.
Gayunpaman, hinihiling ng Europa ang mga mahihirap na bansa na pigilin ang pagsasamantala sa kanilang likas na yaman, na kinakailangan upang mapanatili ang kapaligiran sa Hilaga.
Sa madaling salita, "dapat isakripisyo ng mahihirap na bansa ang kanilang sarili para sa mayayamang bansa.''
Gayunpaman, ang mga mayayamang bansa ay hindi handang magsakripisyo.
May panahon na ang mga bansang Asyano ay tumingin sa Kanluran para sa patnubay at modelo pagdating sa "Tumingin sa Kanluran."
Maaaring dumating na ang oras para sa Europa na "Tumingin sa Silangan" at hanapin ang mga bagay na ito mula sa Asya.
Hindi ko alam kung tinuturing mo akong East Asian o Southeast Asian.
Alinmang paraan, kailangan kong aminin na ang aking mga pananaw ay naiimpluwensyahan ng katotohanan na ako ay hindi lamang Timog-Silangang Asya kundi mula rin sa isang umuunlad na bansa.
May mga tiyak na ambisyon ang Malaysia.
Nais nating maging isang maunlad na bansa balang araw at nabigo sa hindi kinakailangang paghadlang.
Gayunpaman, naniniwala kami sa malayang kalakalan at patas na kompetisyon.
Ang karanasan ng ASEAN (Association of Asian Southeast Nations) ay nagpakita na ang mapagkaibigang kompetisyon at ang kahandaang matuto sa isa't isa ay makapagpapaunlad ng ekonomiya.
Ang mga bansa sa Silangang Asya ay maaaring makamit ang parehong mga resulta kung handang matuto habang nakikipagkumpitensya.
Ang pagbuo ng patas na kompetisyon at pagtutulungan sa pagitan ng Europa at Silangang Asya ay makakatulong sa lahat ng mga bansa na umunlad.
Kahit na ang Europa at Estados Unidos ay nagpatibay ng proteksyonismo, ang Silangang Asya ay hindi gagawa ng proteksyonismo.
Ang Silangang Asya ay may kalamangan sa kompetisyon at pinatutunayan ito.
Halimbawa, noong 1960, ang GDP ng East Asia sa kabuuan ay 42% ng EC (kasalukuyang European Union), 23% ng United States, at 21% ng NAFTA (North America Free Trade Agreement).
Noong 1990, umabot ito sa 67% ng EC, 47% ng Kanlurang Europa, 73% ng USA, at 64% ng NAFTA.
Ang intraregional na kalakalan ng Silangang Asya ay lumalaki din sa ganap na mga tuntunin at bilang bahagi ng kalakalang pandaigdig.
Nakamit ito ng Silangang Asya nang hindi gumagamit ng proteksyonismo at sa kabila ng maraming mga hadlang.
Kasabay nito, napabuti ng mga bansa sa Silangang Asya ang kalidad ng buhay hindi lamang para sa kanilang mga mamamayan kundi pati na rin sa mahihirap sa buong mundo.
Ang tagumpay ng mga bansa sa Silangang Asya ay hindi dahil sa mahika.
Kung ano ang naabot ng Japan, ang iba pang mga bansa sa Silangang Asya ay nakamit sa iba't ibang antas.
Katulad nito, magagawa rin ito ng mga bansang Europeo.
Ang isang kritikal na kadahilanan sa tagumpay na ito ay ang pagpayag na tanggapin ang isang mas mababang antas ng pamumuhay kapag ang mga tao ay hindi kayang mapanatili ang isang mas mataas na antas ng pamumuhay.
Ang mga bansa sa Silangang Asya ay handang gawin ito.
Kung pipilitin natin ang ating sarili na mapanatili ang mataas na antas ng pamumuhay, mawawalan tayo ng kompetisyon.
Sa halip, dapat tanungin ng mga Europeo ang kanilang sarili kung ang kanilang mga paraan ay matalino at tanggapin ang katotohanan.
Pagkatapos, ang Europa at Silangang Asya ay maaaring magtulungan para sa kapwa benepisyo.
Gayunpaman, anuman ang mga pangyayari, dapat magpatuloy ang paglago ng Silangang Asya.
Ang Silangang Asya ay may karapatang umunlad.


2024/5/25 in Kyoto

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

मुझे महाथिर के "इफ जापान डिडनॉट एक्ज़िस्ट" भाषण का निम्नलिखित जापानी अनुवाद ऑनलाइन मिला।

2024年05月28日 16時42分14秒 | 全般

जापान और जापानी सफलता की कहानी के बिना, पूर्वी एशियाई देशों के लिए कोई आदर्श नहीं होगा। 
30 नवंबर 2023
मुझे महाथिर के "इफ जापान डिडनॉट एक्ज़िस्ट" भाषण का निम्नलिखित जापानी अनुवाद ऑनलाइन मिला।
ले क्लेज़ियो को भी इस पर पूरा ध्यान देना चाहिए.

पूर्वी एशिया अतीत की यूरोपीय-केंद्रित दुनिया में सुदूर पूर्व था।
सुदूर पूर्व ने अजीब और रहस्यमय छापें पैदा कीं, जिनमें विदेशी चीन और ड्रेगन, चाय, अफ़ीम, बढ़िया रेशम और अजीब रीति-रिवाजों वाले असामान्य लोगों की छवियां शामिल थीं।  
अब जब सुदूर पूर्व पूर्वी एशिया बन गया है तो यूरोपीय रोमांटिक लोगों की इसमें कोई दिलचस्पी नहीं रह गई है।
इसके बजाय, यह राजनेताओं और अर्थशास्त्रियों का फोकस बन गया है।
एशिया के बारे में यूरोप की चिंताओं से पता चलता है कि यह क्षेत्र पहले से ही इस सदी के पहले भाग में जापानी सैन्यवाद से भी अधिक गंभीर खतरा पैदा कर चुका है।
इस दृष्टिकोण के पीछे अविश्वास और भय है।
इसका कारण यह है कि पूर्वी एशियाई लोग हमसे भिन्न हैं; वे यूरोपीय नहीं हैं.
इस कारण से, हालांकि जर्मनी और इटली, द्वितीय विश्व युद्ध के बाद यूरोप में धुरी शक्तियों को शांतिपूर्ण राष्ट्र बनने और समृद्ध होने के लिए प्रोत्साहित और स्वागत किया गया, जापान के आर्थिक विकास और सुदूर पूर्व में "छोटे जापान" के समान, जो एक शांतिपूर्ण राष्ट्र बन गया है, ऐसा लगता है कि इसका बहुत अच्छे से स्वागत नहीं किया जा रहा है।
इसके विपरीत, यूरोप और संयुक्त राज्य अमेरिका, जिन्होंने यूरोपीय समाज को प्रत्यारोपित किया था, दोनों ने पूर्वी एशियाई देशों के विकास को दबाने की कोशिश करने के लिए विभिन्न तरीकों का इस्तेमाल किया है।
पश्चिमी लोकतांत्रिक मॉडल थोपने के अलावा, जापान ने खुले तौर पर पूर्वी एशियाई देशों की आर्थिक प्रतिस्पर्धात्मकता को कमजोर करने की भी कोशिश की है।
अफ़सोस की बात है।
दुनिया ने पूर्वी एशिया के विकास दृष्टिकोण से बहुत कुछ सीखा है।
यह समझते हुए कि सैन्यवाद प्रतिकूल है, जापान ने अपनी उन्नत तकनीक और ऊर्जा एक ऐसे समाज के निर्माण में लगा दी है जहाँ गरीब और अमीर दोनों आराम से रह सकें।
जापानी गुणवत्ता से समझौता किए बिना लागत कम करने में सफल रहे, जिससे एक समय जो विलासिता थी उसे सभी के लिए उपलब्ध कराया गया।
बिना किसी जादू का प्रयोग किये उन्होंने ऐसे परिणाम दिये जिन्हें चमत्कारी कहा जा सकता है।
जापान के बिना एक दुनिया की कल्पना करें।
जापान के बिना, यूरोप और अमेरिका दुनिया के औद्योगिक देशों पर हावी हो जायेंगे।
पश्चिम ने मानक और कीमतें निर्धारित की होंगी, और दुनिया भर के देशों को उन उत्पादों को खरीदने के लिए उन कीमतों का भुगतान करने के लिए मजबूर किया गया होगा जो केवल पश्चिम में बनाए जा सकते हैं।
पश्चिमी देश, जो लगातार अपने नागरिकों के जीवन स्तर को ऊपर उठाने का प्रयास करते हैं, कीमतें बढ़ाकर लागत वृद्धि की भरपाई करने की संभावना रखते हैं क्योंकि उनके पास कोई प्रतिस्पर्धा नहीं है।
समाजवादी और समतावादी विचारों के आधार पर संघ जो भी उचित समझेगा वे वेतन का भुगतान करेंगे।
यूरोपीय लोग यूनियनों की सभी माँगों को स्वीकार कर लेते हैं, इसलिए प्रबंधन की उचित माँगों को नज़रअंदाज कर दिया जाता है।
लागत बढ़ेगी क्योंकि काम की मात्रा कम हो जाएगी और मजदूरी बढ़ जाएगी।
गरीब दक्षिणी देशों से निर्यात किए जाने वाले कच्चे माल की कीमतें निम्नतम स्तर पर तय की जाती हैं क्योंकि एकमात्र खरीदार उत्तरी यूरोपीय देश हैं।
परिणामस्वरूप, बाज़ार में दक्षिणी देशों की स्थिति कमज़ोर हो जाती है।
निर्यातित वस्तुओं की कीमतें बढ़ाने के बदले में ऋण और सहायता दी जाती है।
जैसे-जैसे व्यापार की शर्तें दक्षिण के देशों के लिए प्रतिकूल होती जा रही हैं, गरीब देश और अधिक गरीब और कम स्वतंत्र होते जा रहे हैं।
उन्हें और भी कड़ी ऋण शर्तों को पूरा करने और "ऋण दासता" की स्थिति में आने के लिए मजबूर किया जाता है।

*दुनिया भर के आर्थिक विशेषज्ञों को एहसास होगा कि चीन वर्तमान में जिस वन बेल्ट, वन रोड रणनीति को लागू कर रहा है वह पश्चिम की औपनिवेशिक नीतियों का दोहराव है*

उत्तरी यूरोप में हर उत्पाद की कीमत अब की तुलना में तीन गुना होगी, इसलिए गरीब दक्षिणी देश टेलीविजन, रेडियो या घरेलू उपकरण नहीं खरीद पाएंगे जिन्हें हम अब हल्के में लेते हैं। छोटे किसान पिकअप ट्रक या छोटी कारें नहीं खरीद पाएंगे. सही।
सामान्य तौर पर, दक्षिण के देशों को वर्तमान की तुलना में बहुत कम जीवन स्तर पर रहने के लिए मजबूर होना पड़ेगा।
न तो दक्षिण के कुछ देशों का आर्थिक विकास संभव हो पाता और न ही पूर्वी एशिया के शक्तिशाली औद्योगिक राष्ट्रों का जन्म हो पाता।
बहुराष्ट्रीय कंपनियों ने सस्ते श्रम की तलाश में दक्षिणी देशों में निवेश किया क्योंकि उनके पास जापान से प्रतिस्पर्धा करने के अलावा कोई विकल्प नहीं था।
जापान से प्रतिस्पर्धा के बिना विकासशील देशों में कोई निवेश नहीं होगा।
चूँकि जापान से कोई निवेश नहीं है, इसलिए विदेशी निवेश से विकास को गति मिलने की उम्मीद नहीं है।
इसके अलावा, जापान और उसकी सफलता की कहानी के बिना, पूर्वी एशियाई देशों के पास अनुकरण करने के लिए कुछ भी नहीं होगा।
वे यह मानते रहेंगे कि वे उन औद्योगिक क्षेत्रों में प्रतिस्पर्धा नहीं कर सकते जिन्हें यूरोप ने विकसित और परिपूर्ण किया है।
पूर्वी एशिया में उन्नत उद्योग असंभव था।
अधिक से अधिक, उन्होंने घटिया गुणवत्ता के नकली उत्पाद बनाए।
इसलिए, पश्चिम को किसी "बाघ'' या "ड्रेगन'' का डर नहीं था, बल्कि एशिया की तेजी से बढ़ती नव औद्योगीकरण अर्थव्यवस्थाओं (एनआईईएस) जैसे कि हांगकांग, दक्षिण कोरिया, सिंगापुर और ताइवान से डर था। 
जापान ने साबित कर दिया है कि वह पूर्वी एशियाई देशों में अच्छा प्रदर्शन कर सकता है।
अन्य पूर्वी एशियाई देशों ने प्रयास करने का साहस किया, और उनके एससफलताओं ने उन्हें और बाकी दुनिया को आश्चर्यचकित कर दिया।
पूर्वी एशियाई लोग अब हीन भावना से ग्रस्त नहीं हैं।
अब हम जापान और अपनी ताकत पर विश्वास करते हैं और हमने इसे साबित भी किया है।
अगर जापान न होता तो दुनिया बिल्कुल अलग दिखती।
यह कहना कोई अतिश्योक्ति नहीं होगी कि समृद्ध उत्तर अधिक समृद्ध होता जा रहा था, और गरीब दक्षिण और अधिक गरीब होता जा रहा था।
उत्तरी यूरोप ने हमेशा के लिए दुनिया पर राज किया होगा।
मलेशिया जैसे देशों ने रबर उगाना, टिन खनन करना और अमीर औद्योगिक देशों में ग्राहकों को मुंहमांगी कीमत पर बेचना जारी रखा होगा।
यह परिदृश्य विवादित हो सकता है.
हालाँकि, यह काफी संभव है.
यदि आप कल्पना करें कि क्या होगा यदि जापान यूरोप और अमेरिका में निवेश न करे और अपना सारा धन घरेलू स्तर पर रखे, तो क्या परिणाम उचित नहीं होगा?
यूरोपीय लोगों को घरेलू उत्पादों के लिए अधिक कीमत चुकानी होगी और वे उच्च श्रेणी की जीवनशैली नहीं अपना सकते।  
(स्निप)
वास्तव में, यूरोप अपने साधनों से ऊपर रहता है।
यूरोपीय बहुत कम काम करते हैं और उन्हें बहुत अधिक वेतन मिलता है।
यूरोप शेष विश्व से इस फिजूलखर्ची का समर्थन करने की उम्मीद नहीं कर सकता।
यूरोपीय देश अपने नागरिकों के लिए उच्च जीवन स्तर और स्वस्थ वातावरण चाहते हैं, लेकिन वे बलिदान देने को तैयार नहीं हैं।
जब यह सुझाव दिया गया कि यूरोप को निम्न जीवन स्तर को स्वीकार करना चाहिए और पर्यावरण को संरक्षित करना चाहिए, तो यूरोपीय देशों ने तीव्र नाराजगी व्यक्त की।
हालाँकि, यूरोप गरीब देशों से अपने प्राकृतिक संसाधनों का दोहन करने से परहेज करने के लिए कह रहा है, जो उत्तर में पर्यावरण को बनाए रखने के लिए आवश्यक हैं।
संक्षेप में, "गरीब देशों को अमीर देशों के लिए खुद का बलिदान देना चाहिए।"
हालाँकि, अमीर देश बलिदान देने को तैयार नहीं हैं।
एक समय था जब "लुक वेस्ट" की बात आती थी तो एशियाई देश मार्गदर्शन और मॉडल के लिए पश्चिम की ओर देखते थे।
शायद अब समय आ गया है कि यूरोप "पूर्व की ओर देखें" और एशिया से इन चीजों की तलाश करे।
मुझे नहीं पता कि आप मुझे पूर्वी एशियाई या दक्षिणपूर्व एशियाई मानते हैं।
किसी भी तरह, मुझे यह स्वीकार करना होगा कि मेरे विचार इस तथ्य से प्रभावित हैं कि मैं न केवल दक्षिण पूर्व एशियाई हूं बल्कि एक विकासशील देश से भी हूं।
मलेशिया की विशिष्ट महत्वाकांक्षाएँ हैं।
हम एक दिन विकसित राष्ट्र बनना चाहते हैं और अनावश्यक रूप से विफल किये जाने से निराश हैं।
हालाँकि, हम मुक्त व्यापार और निष्पक्ष प्रतिस्पर्धा में विश्वास करते हैं।
आसियान (एसोसिएशन ऑफ एशियन साउथईस्ट नेशंस) के अनुभव से पता चला है कि मैत्रीपूर्ण प्रतिस्पर्धा और एक-दूसरे से सीखने की इच्छा आर्थिक विकास को बढ़ावा दे सकती है।
यदि प्रतिस्पर्धा करते हुए सीखने की इच्छा हो तो पूर्वी एशियाई देश भी समान परिणाम प्राप्त कर सकते हैं।
यूरोप और पूर्वी एशिया के बीच निष्पक्ष प्रतिस्पर्धा और सहयोग विकसित करने से सभी देशों को समृद्ध होने में मदद मिलेगी।
भले ही यूरोप और संयुक्त राज्य अमेरिका संरक्षणवाद अपनाएं, पूर्वी एशिया संरक्षणवाद का सहारा नहीं लेगा।
पूर्वी एशिया में प्रतिस्पर्धात्मक बढ़त है और वह इसे साबित भी कर रहा है।
उदाहरण के लिए, 1960 में, पूरे पूर्वी एशिया का सकल घरेलू उत्पाद EC (वर्तमान में यूरोपीय संघ) का 42%, संयुक्त राज्य अमेरिका का 23% और NAFTA (उत्तरी अमेरिका मुक्त व्यापार समझौता) का 21% था।
1990 में, यह EC का 67%, पश्चिमी यूरोप का 47%, संयुक्त राज्य अमेरिका का 73% और NAFTA का 64% था।
पूर्वी एशिया का अंतर्क्षेत्रीय व्यापार भी पूर्ण रूप से और विश्व व्यापार में हिस्सेदारी के रूप में बढ़ रहा है।
पूर्वी एशिया ने संरक्षणवाद का सहारा लिए बिना और कई बाधाओं के बावजूद इसे हासिल किया है।
साथ ही, पूर्वी एशियाई देशों ने न केवल अपने नागरिकों के लिए बल्कि दुनिया भर के गरीबों के लिए भी जीवन की गुणवत्ता में सुधार किया है।
पूर्वी एशियाई देशों की सफलता जादू के कारण नहीं है।
जापान ने जो हासिल किया है, पूर्वी एशिया के अन्य देश अलग-अलग स्तर तक उसे हासिल करने में सक्षम हैं।
इसी तरह यूरोपीय देश भी ऐसा कर सकते हैं.
इस सफलता में एक महत्वपूर्ण कारक निम्न जीवन स्तर को स्वीकार करने की इच्छा है जब लोग उच्च जीवन स्तर को बनाए रखने में असमर्थ होते हैं।
पूर्वी एशियाई देश ऐसा करने के इच्छुक हैं।
यदि हम खुद को उच्च जीवन स्तर बनाए रखने के लिए मजबूर करते हैं, तो हम प्रतिस्पर्धात्मकता खो देंगे।
इसके बजाय, यूरोपीय लोगों को खुद से पूछना चाहिए कि क्या उनके तरीके बुद्धिमान हैं और वास्तविकता को स्वीकार करना चाहिए।
फिर, यूरोप और पूर्वी एशिया आपसी लाभ के लिए सहयोग कर सकते हैं।
हालाँकि, परिस्थितियाँ चाहे जो भी हों, पूर्वी एशिया का विकास जारी रहना चाहिए।
पूर्वी एशिया को विकास का अधिकार है।


2024/5/25 in Kyoto

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ฉันพบคำแปลภาษาญี่ปุ่นของสุนทรพจน์ "If Japan Didn't Exist" ของมหาธีร์ต่อไปนี้ทางออนไลน์

2024年05月28日 16時39分27秒 | 全般

หากไม่มีญี่ปุ่นและเรื่องราวความสำเร็จของญี่ปุ่น คงไม่มีแบบอย่างที่ดีสำหรับประเทศในเอเชียตะวันออก 
30 พฤศจิกายน 2023
ฉันพบคำแปลภาษาญี่ปุ่นของสุนทรพจน์ "If Japan Didn't Exist" ของมหาธีร์ต่อไปนี้ทางออนไลน์
เลอ เคลซิโอ ก็ควรใส่ใจเรื่องนี้เช่นกัน

เอเชียตะวันออกเป็นตะวันออกไกลในโลกที่มียุโรปเป็นศูนย์กลางในอดีต
ตะวันออกไกลเสกสรรความประทับใจที่แปลกประหลาดและลึกลับ รวมถึงรูปภาพของจีนและมังกรที่แปลกใหม่ ชา ฝิ่น ผ้าไหมเนื้อดี และผู้คนที่ไม่ธรรมดาที่มีขนบธรรมเนียมแปลก ๆ  
คู่รักชาวยุโรปไม่สนใจอีกต่อไปแล้วเมื่อตะวันออกไกลกลายเป็นเอเชียตะวันออก
กลับกลายเป็นจุดสนใจของนักการเมืองและนักเศรษฐศาสตร์แทน
ข้อกังวลของยุโรปเกี่ยวกับเอเชียชี้ให้เห็นว่าภูมิภาคนี้เผชิญกับภัยคุกคามที่รุนแรงกว่าลัทธิทหารของญี่ปุ่นในช่วงครึ่งแรกของศตวรรษนี้
มุมมองนี้คือความไม่ไว้วางใจและความกลัว
เหตุผลก็คือคนเอเชียตะวันออกแตกต่างจากเรา พวกเขาไม่ใช่ชาวยุโรป
ด้วยเหตุนี้แม้ว่าเยอรมนีและอิตาลีซึ่งเป็นชาติอักษะในยุโรปหลังสงครามโลกครั้งที่สองจะได้รับการสนับสนุนและยินดีให้กลายเป็นประเทศที่สงบสุขและเจริญรุ่งเรืองคล้ายกับการพัฒนาเศรษฐกิจของญี่ปุ่นและ "ญี่ปุ่นน้อย" ในตะวันออกไกลซึ่ง กลายเป็นชาติที่สงบสุขดูไม่ค่อยได้รับการต้อนรับนัก
ในทางตรงกันข้าม ทั้งยุโรปและสหรัฐอเมริกาซึ่งได้ย้ายสังคมยุโรปไปแล้ว กลับใช้วิธีการต่างๆ เพื่อพยายามปราบปรามการเติบโตของประเทศในเอเชียตะวันออก
นอกเหนือจากการกำหนดรูปแบบประชาธิปไตยแบบตะวันตกแล้ว ญี่ปุ่นยังพยายามบ่อนทำลายความสามารถในการแข่งขันทางเศรษฐกิจของประเทศในเอเชียตะวันออกอย่างเปิดเผยอีกด้วย
มันเป็นเรื่องน่าเสียดาย
โลกได้เรียนรู้มากมายจากแนวทางการพัฒนาของเอเชียตะวันออก
ด้วยความเข้าใจว่าลัทธิทหารเป็นการต่อต้าน ญี่ปุ่นจึงได้ทุ่มเทเทคโนโลยีและพลังงานขั้นสูงเพื่อสร้างสังคมที่ทั้งคนจนและคนรวยสามารถอยู่ได้อย่างสุขสบาย
ชาวญี่ปุ่นประสบความสำเร็จในการลดต้นทุนโดยไม่กระทบต่อคุณภาพ ทำให้สิ่งที่ครั้งหนึ่งเคยเป็นสินค้าฟุ่มเฟือยมีสำหรับทุกคน
โดยไม่ต้องใช้เวทมนตร์ใดๆ พระองค์ทรงสร้างผลลัพธ์ที่เรียกได้ว่าอัศจรรย์
ลองจินตนาการถึงโลกที่ไม่มีญี่ปุ่น
หากไม่มีญี่ปุ่น ยุโรปและอเมริกาก็จะครองประเทศอุตสาหกรรมของโลก
ชาติตะวันตกจะเป็นผู้กำหนดมาตรฐานและราคา และประเทศต่างๆ ทั่วโลกจะถูกบังคับให้จ่ายราคาเหล่านั้นเพื่อซื้อผลิตภัณฑ์ที่ผลิตได้เฉพาะในชาติตะวันตกเท่านั้น
ประเทศตะวันตกซึ่งพยายามยกระดับมาตรฐานการครองชีพของพลเมืองอย่างต่อเนื่อง มีแนวโน้มที่จะชดเชยต้นทุนที่เพิ่มขึ้นด้วยการเพิ่มราคาเนื่องจากไม่มีการแข่งขัน
พวกเขาจะจ่ายค่าจ้างเท่าที่สหภาพเห็นว่าสมเหตุสมผลตามแนวคิดสังคมนิยมและความเท่าเทียม
ชาวยุโรปยอมรับข้อเรียกร้องทั้งหมดจากสหภาพแรงงาน ดังนั้นข้อเรียกร้องที่สมเหตุสมผลจากฝ่ายบริหารจึงถูกละเลย
ต้นทุนจะเพิ่มขึ้นเพราะปริมาณงานจะลดลง และค่าจ้างจะเพิ่มขึ้น
ราคาวัตถุดิบที่ส่งออกจากประเทศยากจนทางตอนใต้จะกำหนดไว้ที่ระดับต่ำสุดเนื่องจากผู้ซื้อเพียงรายเดียวคือประเทศในยุโรปเหนือ
ส่งผลให้สถานะของประเทศทางใต้ในตลาดอ่อนตัวลง
ให้กู้ยืมและช่วยเหลือเพื่อแลกกับการขึ้นราคาสินค้าส่งออก
เนื่องจากเงื่อนไขทางการค้ายังคงไม่เอื้ออำนวยต่อประเทศทางตอนใต้ ประเทศยากจนจึงยากจนลงและมีความเป็นอิสระน้อยลง
พวกเขาถูกบังคับให้ปฏิบัติตามเงื่อนไขเงินกู้ที่เข้มงวดยิ่งขึ้น และตกอยู่ในสภาวะ "การเป็นทาสหนี้"

*ผู้เชี่ยวชาญด้านเศรษฐกิจทั่วโลกจะตระหนักว่ากลยุทธ์ One Belt, One Road ที่จีนกำลังดำเนินการอยู่ในปัจจุบันนั้นเป็นการปรับปรุงนโยบายอาณานิคมของตะวันตก*

ราคาของผลิตภัณฑ์ทุกอย่างในยุโรปเหนือจะสูงขึ้นสามเท่าของตอนนี้ ดังนั้นประเทศทางตอนใต้ที่ยากจนจะไม่สามารถซื้อโทรทัศน์ วิทยุ หรือเครื่องใช้ในครัวเรือนที่เรามองข้ามไปในตอนนี้ เกษตรกรรายย่อยจะไม่สามารถซื้อรถกระบะหรือรถยนต์ขนาดเล็กได้ ขวา.
โดยทั่วไป ประเทศต่างๆ ในภาคใต้จะถูกบังคับให้ใช้ชีวิตด้วยมาตรฐานการครองชีพที่ต่ำกว่าที่เป็นอยู่ในปัจจุบันมาก
การพัฒนาเศรษฐกิจของบางประเทศในภาคใต้และการกำเนิดของประเทศอุตสาหกรรมที่ทรงอำนาจในเอเชียตะวันออกคงเป็นไปไม่ได้
บริษัทข้ามชาติลงทุนในประเทศทางใต้เพื่อค้นหาแรงงานราคาถูกเพราะพวกเขาไม่มีทางเลือกอื่นนอกจากต้องแข่งขันกับญี่ปุ่น
หากไม่มีการแข่งขันจากญี่ปุ่น ก็จะไม่มีการลงทุนในประเทศกำลังพัฒนา
เนื่องจากไม่มีการลงทุนจากญี่ปุ่น การลงทุนจากต่างประเทศจึงไม่คาดว่าจะกระตุ้นการเติบโต
นอกจากนี้ หากไม่มีญี่ปุ่นและเรื่องราวความสำเร็จ ประเทศในเอเชียตะวันออกก็คงไม่มีอะไรจะเลียนแบบได้
พวกเขายังคงเชื่อต่อไปว่าพวกเขาไม่สามารถแข่งขันในสาขาอุตสาหกรรมที่ยุโรปได้พัฒนาและปรับปรุงให้สมบูรณ์แบบ
อุตสาหกรรมที่ก้าวหน้าเป็นไปไม่ได้ในเอเชียตะวันออก
อย่างดีที่สุดพวกเขาผลิตสินค้าลอกเลียนแบบคุณภาพต่ำ
ดังนั้น ชาติตะวันตกจึงไม่กลัว "เสือ" หรือ "มังกร" กล่าวคือ ประเทศเศรษฐกิจอุตสาหกรรมใหม่ที่กำลังเติบโตอย่างรวดเร็วของเอเชีย (NIES) เช่น ฮ่องกง เกาหลีใต้ สิงคโปร์ และไต้หวัน 
ญี่ปุ่นได้พิสูจน์แล้วว่าสามารถทำได้ดีในประเทศแถบเอเชียตะวันออก
ประเทศในเอเชียตะวันออกอื่นๆ กล้าที่จะลอง และประเทศเหล่านั้นความสำเร็จทำให้พวกเขาและคนทั้งโลกประหลาดใจ
ชาวเอเชียตะวันออกไม่ต้องทนทุกข์ทรมานจากปมด้อยอีกต่อไป
ตอนนี้เราเชื่อในญี่ปุ่นและความแข็งแกร่งของเรา และเราได้พิสูจน์แล้ว
หากไม่มีญี่ปุ่น โลกคงจะแตกต่างไปจากเดิมอย่างสิ้นเชิง
ไม่ใช่เรื่องเกินจริงที่จะกล่าวว่าคนรวยทางตอนเหนือมีความเจริญรุ่งเรืองมากขึ้น และคนทางใต้ที่ยากจนกำลังจนลง
ยุโรปเหนือจะครองโลกตลอดไป
ประเทศเช่นมาเลเซียจะยังคงปลูกยางพารา เหมืองดีบุก และขายในราคาที่สอบถามกับลูกค้าในประเทศอุตสาหกรรมที่มั่งคั่ง
สถานการณ์นี้อาจถูกโต้แย้ง
อย่างไรก็ตาม มันค่อนข้างเป็นไปได้
หากคุณจินตนาการว่าจะเกิดอะไรขึ้นหากญี่ปุ่นไม่ลงทุนในยุโรปและอเมริกาและเก็บเงินทุนทั้งหมดไว้ภายในประเทศ ผลลัพธ์จะไม่ยุติธรรมกว่านี้หรือ
ชาวยุโรปจะต้องจ่ายราคาที่สูงขึ้นสำหรับผลิตภัณฑ์พื้นบ้านและไม่สามารถมีวิถีชีวิตที่หรูหราได้  
(ตัด)
ในความเป็นจริง ยุโรปมีชีวิตอยู่เหนือรายได้
ชาวยุโรปทำงานน้อยเกินไปและได้รับค่าจ้างมากเกินไป
ยุโรปไม่สามารถคาดหวังให้ประเทศอื่นๆ ในโลกสนับสนุนความฟุ่มเฟือยนี้ได้
ประเทศในยุโรปต้องการมาตรฐานการครองชีพที่สูงขึ้นและสภาพแวดล้อมที่ดีต่อสุขภาพสำหรับพลเมืองของตน แต่พวกเขาไม่เต็มใจที่จะเสียสละ
เมื่อมีการเสนอแนะว่ายุโรปควรยอมรับมาตรฐานการครองชีพที่ต่ำกว่าและรักษาสิ่งแวดล้อม ประเทศต่างๆ ในยุโรปก็แสดงความไม่พอใจอย่างยิ่ง
อย่างไรก็ตาม ยุโรปกำลังขอให้ประเทศที่ยากจนกว่าละเว้นจากการใช้ประโยชน์จากทรัพยากรธรรมชาติของตน ซึ่งจำเป็นต่อการรักษาสิ่งแวดล้อมในภาคเหนือ
กล่าวโดยย่อคือ "ประเทศยากจนควรเสียสละตนเองเพื่อประเทศร่ำรวย''
อย่างไรก็ตาม ประเทศร่ำรวยไม่เต็มใจที่จะเสียสละ
มีช่วงเวลาที่ประเทศในเอเชียมองไปทางตะวันตกเพื่อเป็นแนวทางและแบบจำลองเมื่อพูดถึง "ลุคตะวันตก"
อาจถึงเวลาแล้วที่ยุโรปจะ "มองตะวันออก" และแสวงหาสิ่งเหล่านี้จากเอเชีย
ฉันไม่รู้ว่าคุณคิดว่าฉันเป็นคนเอเชียตะวันออกหรือเอเชียตะวันออกเฉียงใต้
ไม่ว่าจะด้วยวิธีใด ฉันต้องยอมรับว่าความคิดเห็นของฉันได้รับอิทธิพลจากการที่ฉันไม่เพียงแต่เป็นคนเอเชียตะวันออกเฉียงใต้เท่านั้น แต่ยังมาจากประเทศกำลังพัฒนาด้วย
มาเลเซียมีความทะเยอทะยานที่เฉพาะเจาะจง
วันหนึ่งเราอยากเป็นประเทศที่พัฒนาแล้ว และรู้สึกหงุดหงิดกับการถูกขัดขวางโดยไม่จำเป็น
อย่างไรก็ตาม เราเชื่อในการค้าเสรีและการแข่งขันที่ยุติธรรม
ประสบการณ์ของอาเซียน (สมาคมประชาชาติแห่งเอเชียตะวันออกเฉียงใต้) แสดงให้เห็นว่าการแข่งขันที่เป็นมิตรและความเต็มใจที่จะเรียนรู้จากกันและกันสามารถส่งเสริมการเติบโตทางเศรษฐกิจได้
ประเทศในเอเชียตะวันออกสามารถบรรลุผลเช่นเดียวกันได้หากเต็มใจที่จะเรียนรู้ในขณะแข่งขัน
การพัฒนาการแข่งขันที่ยุติธรรมและความร่วมมือระหว่างยุโรปและเอเชียตะวันออกจะช่วยให้ทุกประเทศเจริญรุ่งเรือง
แม้ว่ายุโรปและสหรัฐอเมริกาจะยอมรับลัทธิกีดกันทางการค้า แต่เอเชียตะวันออกก็จะไม่หันไปใช้ลัทธิกีดกันทางการค้า
เอเชียตะวันออกมีความได้เปรียบทางการแข่งขันและกำลังพิสูจน์ให้เห็นแล้ว
ตัวอย่างเช่น ในปี 1960 GDP ของเอเชียตะวันออกโดยรวมคือ 42% ของ EC (ปัจจุบันคือสหภาพยุโรป), 23% ของสหรัฐอเมริกา และ 21% ของ NAFTA (ข้อตกลงการค้าเสรีอเมริกาเหนือ)
ในปี 1990 คิดเป็นสัดส่วน 67% ของ EC, 47% ของยุโรปตะวันตก, 73% ของสหรัฐอเมริกา และ 64% ของ NAFTA
การค้าภายในภูมิภาคของเอเชียตะวันออกก็เติบโตในแง่ที่แน่นอนและเป็นส่วนหนึ่งของการค้าโลก
เอเชียตะวันออกประสบความสำเร็จโดยไม่ต้องพึ่งลัทธิกีดกันทางการค้าและแม้จะมีอุปสรรคมากมายก็ตาม
ตลอดเส้นทางนี้ ประเทศต่างๆ ในเอเชียตะวันออกได้ปรับปรุงคุณภาพชีวิต ไม่เพียงแต่สำหรับพลเมืองของตนเท่านั้น แต่ยังรวมถึงคนยากจนทั่วโลกด้วย
ความสำเร็จของประเทศในเอเชียตะวันออกไม่ได้เกิดจากความมหัศจรรย์
สิ่งที่ญี่ปุ่นประสบความสำเร็จ ประเทศอื่นๆ ในเอเชียตะวันออกก็สามารถบรรลุผลสำเร็จได้ในระดับที่แตกต่างกัน
ในทำนองเดียวกันประเทศในยุโรปก็สามารถทำเช่นนั้นได้เช่นกัน
ปัจจัยสำคัญในความสำเร็จนี้คือความเต็มใจที่จะยอมรับมาตรฐานการครองชีพที่ต่ำกว่า เมื่อผู้คนไม่สามารถรักษามาตรฐานการครองชีพที่สูงขึ้นได้
ประเทศในเอเชียตะวันออกยินดีที่จะทำเช่นนั้น
ถ้าเราบังคับตัวเองให้รักษามาตรฐานการครองชีพที่สูง เราจะสูญเสียความสามารถในการแข่งขัน
ชาวยุโรปต้องถามตัวเองว่าแนวทางของพวกเขาฉลาดและยอมรับความเป็นจริงหรือไม่
จากนั้นยุโรปและเอเชียตะวันออกก็สามารถร่วมมือกันเพื่อผลประโยชน์ร่วมกันได้
อย่างไรก็ตาม ไม่ว่าสถานการณ์จะเป็นอย่างไร การเติบโตของเอเชียตะวันออกจะต้องดำเนินต่อไป
เอเชียตะวันออกมีสิทธิในการพัฒนา


2024/5/25 in Kyoto

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする