文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

立ち会った一人として、命を引き換えにした三島さんらの魂の叫び声を伝えたい

2023年07月18日 11時24分07秒 | 全般

三島由紀夫の遺言 決起から50年
(上)日本を信じた 決死の叫び
2020/11/24 産経新聞の特集記事からである。

「われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤つた」

戦後日本を代表する作家、三島由紀夫が東京・市谷の陸上自衛隊施設に立てこもり自刃した衝撃的な出来事から25日で50年になる。
「時代錯誤の愚挙」「常軌を逸した行動」と言われ続けてきたが、日本を憂えながら将来に望みを託した三島。
時代が追いついてきたのか、その緊張感は「決起」を知らない現代の若者たちにも伝わりつつある。
今なぜ三島なのか。

三島は日本国憲法を改正して自衛隊を国軍とする道を模索し、昭和45年11月25日、自ら結成した民間防衛組織「楯(たて)の會(かい)」の会員4人とともに、陸自市ケ谷駐屯地(東京都新宿区)の東部方面総監室に立てこもった。
総監、益田兼利(ました・かねとし)を人質にし、総監室前のバルコニーから自衛隊員に向かって「決起」を促した。

しかし三島の声は自衛隊員の罵声と報道ヘリコプターの爆音にかき消される。
演説を断念した三島は、総監室に戻ると自身の腹に刀を突き立てた。

検証されぬまま

三島はなぜそこまで自らを追い込んだのか。
当日、駐屯地で配布した檄文(げきぶん)に、こう記されている。

〈われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、國の大本を忘れ、國民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。(中略)日本人自ら日本の歴史と傳統(でんとう)を涜(けが)してゆくのを、歯噛(はが)みをしながら見てゐなければならなかつた。(中略)われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤つた〉

三島らの行動は当時から「単なる一事件と簡単に考えてはいけない」(作家の松本清張)とされた。
一事件として向き合うには、あまりにメッセージが多いからだった。
だが、「狂気」「時代錯誤」「自己顕示欲」といった言葉が飛び交った。
極端な右派思想者による事件として扱われ、三島の憂いを真正面から検証することは避けられた。

作家の林房雄は自著『悲しみの琴-三島由紀夫への鎮魂歌』で「狂気とかたづけてしまえば、その時点で政治家も作家も、一切の思考を停止し、責任を回避することができる。人を狂人あつかいすることほど簡易軽便な処理法はない」と語っている。

事件か義挙か

ただ三島は日本の将来を憂えただけでなく、日本と日本人を信じてもいた。

〈文化的混乱の果てに、いつか日本は、独特の繊細鋭敏な美的感覚を働かせて、様式的統一ある文化を造り出し、すべて美の視点から、道徳、教育、芸術、武技、競技、作法、その他をみがき上げるにちがひない〉
(寄稿『日本への信条』42年1月1日付愛媛新聞)

だからこそ、人質となった益田を助けようと総監室に突入し、三島に背中などを斬られて重傷を負った元陸将補、寺尾克美(91)は、三島らの行動を「義挙」と呼ぶ。
被害者でありながら、講演活動などでこう訴えている。

「日本人から大和魂が失われ、平和ボケ、経済大国ボケして、このままだと潰れてしまうと『予言』したが、まさに日本人の心の荒廃は進んでいる。立ち会った一人として、命を引き換えにした三島さんらの魂の叫び声を伝えたい」

空虚な時代 若者に響く緊張感

〈日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目(ぬけめ)がない、或(あ)る経済的大国が極東の一角に残るのであろう〉

三島由紀夫が自決する約4カ月前の昭和45年7月7日、サンケイ新聞(現・産経新聞)に寄稿した随想『果たし得ていない約束-私の中の二十五年』の有名なフレーズだ。
伝統文化の継承を忘れ豊かさを追い求める日本の姿を憂えているが、それは昭和から平成を経て、令和の時代になった今も色あせない。

「三島は予言者的であり先駆者だった。今の日本社会は『金閣寺』の主題でもある『虚無』といえる」。
そう語るのは日本大学教授(日本思想史)の先崎彰容(あきなか)。まさに今は無機的でからっぽな時代だという。

インターネット社会が進展し、誰もが自分の意見や主張を発信できるようになった。
先崎は「意見を言うのも熟練、蓄積、実績がないと主張は同じになり、凡庸になる。今は自己主張したいが、実は自己が希薄化しアイデンティティーをつくるのが難しい社会。そういう時代を『虚無』的だと予言したことは意味がある」と指摘する。

半世紀後を予見

三島の視線はさまざまな日本の姿をとらえていた。

「周(しゅう)の粟(ぞく)を食(くら)はず、という人間がぜんぜんいないということだよ」(『文芸』45年11月号)

三島は作家の武田泰淳との対談で、44年5月の東大全共闘との討論会を振り返りながら、「学生が東大で提起した問題というのは、いまだに生きていると思っているけれどもね。反権力的な言論をやった先生がね、政府からお金をもらって生きているのはなぜなんだ、ということだよ」と述べていた。

現在、首相の菅義偉(すが・よしひで)が日本学術会議から推薦された新会員候補6人の任命を見送ったことをめぐり、論争が起きている。

権力と学問の摩擦が顕在化することを半世紀前に見通していた。

また、三島は医学に関しても『不道徳教育講座』(34年3月刊行)で〈人間の肉体は人工的なものになるでせう。整形手術なんかは古い伝説になつて、皮膚も、臓器も、骨も、何もかも、廃品になつたらすぐに取り換へられるやうになるでせう〉とした。

再生医療の切り札とされる人工多能性幹細胞(iPS細胞)のことかもしれない。
ただ、三島は続けて、科学技術で全てどうにかなると考える文明の行き着く先を見据え、〈人間は持つて生まれたものを、そんなに尊重しなくなるでせう。それはどうにでも変へられるからです〉と戒めている。

元楯(たて)の會(かい)の会員は「先生(三島)の博識、多彩さは表現できない。われわれと話すときも、われわれの顔を射抜いて未来を見つめるような目で話した。未来が見えていたとしか思えない」と振り返った。

「異様な熱気」

それから50年がたった。
三島由紀夫文学館(山梨県山中湖村)は「没後50年の節目で関心は高まっている。出版物は例年になく豊富だ」といい、最近は「映画(三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実)を見て興味を持った」と来館する若者も目立つという。

未来の社会を言い当てただけなら、単なる著名な作家、思想家でしかない。それが、なぜ三島は半世紀後の若者に響くのか。

先崎は「緊張感の醸成」がキーワードだという。
三島が予言した無機的でからっぽな社会は、さらに希釈して広がりつつある。
もはや経済大国でもない。

「今の平板化した個性なき時代に耐えられない人もいる。そういう若者が、この異様な熱気を放つ人物にみなぎる危機感って何だろう-と惹(ひ)かれる。生きているという緊張感を取り戻したいのだろう」
(敬称略)



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