文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

私は、登場して直ぐに、「全ては一人から始まる」事を、世界に初めて知らしめた。

2023年01月27日 10時29分20秒 | 全般

以下はラフの原稿である。

読者は御存知の経緯で、2010年7月に、本欄は登場した。
私が、戦後の日本に、天才と称せられるレベルの頭脳を授かって生まれた人間の一人である事も既述の通り。
神は真に祝福を与えた人間には大きな試練を与える。
その通りの人生を私は歩んだ。
日本を代表する大学に残って、両肩に背負って立て、と、恩師から厳命された人生とは正反対の人生を歩んだ。
普通の人は、それを苦難の人生と呼ぶ。
実業家人生の只中にあった自分に出会ったある大企業の社員さんは、「綱渡りのような人生ですね」と評した。
当たらずと言えども遠からず、である。
実際は苦難の人生だったのだろうが、当人は笑って暮らしている。
さて、
本欄として登場して直ぐに、私は「世界は全く日本を知らない」事に気が着いた。
同時に、欧米諸国は、中国の本質についても全くの無知蒙昧だったと言っても過言ではない事にも気が着いた。

私と同等の頭脳を授かって京都に生まれ、京都大学で学んで、世界有数の人類学者、民俗学者となった人物に梅棹忠夫氏がいる。
私は、彼の真髄に、彼の死後に遭遇した。
万博公園内に在る国立民族科学博物館で開催されていた、彼の回顧展で遭遇した。
これは実に見事な回顧展だったが、私は、知っていて訪問したのではない。
正に、遭遇したのである。
当時、私は万博公園を頻繁に訪れて、春夏秋冬、撮影していた。
そんな時に遭遇したのである。

中国と韓国、或いは中華圏としての世界の本質は、「底知れぬ悪」と「まことしやかな嘘」である。
その事を、彼は、数年間に渡り、ほぼ中国全省に住んで行ったフィールドワークで、知った。

私は、連日のように、その事を本欄で書き続けなければならなかった。
何故なら、それが、今日の世界の実態であり、世界が解決しなければならない真の問題だったからである。

私は、登場して直ぐに、「全ては一人から始まる」事を、世界に初めて知らしめた。
朝日新聞という固有名詞、朝日新聞社という名前のビルが、話したり書いたりするわけではない。
そこで生計を立てている一人の人間が、語り、書くのである。

私は、日本国民1.2億人分の働きを、2010年7月から今日まで行い続けて来た自負がある。
しかも、無償で、である。
インターネットは人類史上最大の図書館である。
真実の言葉は、瞬時に、世界の果てまで届く。

今、欧米諸国のみならず、世界が、中国の本質、邪悪そのものの本質に気づき出している事は、歴然たる事実である。
内容を冒頭に戻すが、
幾ら、私が真実を発信したところで、世界の言語の中でも特異な言語の一つである日本語で発信しているだけでは、世界には全く届かない。
幸い、私は英語には少々の心得があった。
英語と、欧州及び南米諸国の言語である、所謂、主要5言語は、ラテン語が語源である。
google翻訳の存在に気が着いた。
google社は、スタンフォード大学の出身者達に依って作られた会社である。
この大学は、日本を代表する優秀な大学と同等の、米国の優秀な大学である。
この会社の翻訳ソフトなら、英語が正しければ、他の5言語も正しく翻訳されるはずだ。
その通りだった。

だが、当時の日英の翻訳は酷かった。
当時、主要5言語以外で、英語との翻訳が、驚く程完璧な言語が一つだけあった。
アラビア語である。
私は瞬時に、戦後、米国が、何を最も重要視していたのかを知った。
同時に、戦後の米国が、いかに日本を軽視していたのかも痛感したのである。

何しろ、ついこの間まで、言わば、世界を支配していたと言っても過言ではないキッシンジャーは、「中国人はインターナショナルな思考が出来るが、日本人は部族的な思考しかできない」と信じ込んでいた程の無知蒙昧な輩だったのだから。

このキッシンジャーの一番弟子であり、彼に最も影響を受けたと語っているクラウス・シュワブが、ダボス会議の主催者だったという事実ほど呆れかえるものはない。
先年、彼が「中国こそ偉大な達成者である」などと称賛していたのも当然なのである。
何しろ、戦後、最も無知蒙昧な輩だったと言っても過言ではない男の一番弟子なのだから。

ダボス会議は、中国が、共産主義者崩れのカナダ人国際詐欺師、モーリス・ストロングと組んで仕掛けた気候温暖化、SDGs、脱炭素運動と並んで、クラウス・シュワブと仕組んだものであるとの、私の推論が正鵠を射ている事は、事実が証明し出している。

私は登場以来、ほぼ連日、gooとアメーバで、世界に発信して来た。
多い時には100か国語で。
だが2011年6月から、或る犯罪者に検索妨害の犯罪を受け続けている事は読者は御存知の通り。
数年前まで、gooでは、毎日、平均約3万件の検索数、約3,000人超の訪問者数だった。
上記の犯罪者が詐欺罪で服役していた刑務所から出所してきた頃だろうが、ある日、突然、検索結果が3分の1に激減、しまいには10分の1になっていた。
中略。
日本中では無名だったが、中小企業の不動産会社としては日本有数の実績をあげていた私の実業家としての人生だったが。
「日本の失われた30年」の開始の前後、則ち、当時の大蔵省が金融機関に対して行った総量規制の発令の前後では、立ち現れる人間が、月とスッポン程違ったと言っても過言ではない。
以降に立ち現れた人間達の中に、国のお金を利用しようとする人間達がいた。

国のお金を利用しようとする人間達、或いは国の補助金等を利用して生計を立てている人間達には、ろくなものがいない。
それが私たちの感想だったが、その事が正鵠を射ていた事を、正に、たった一人の男が、見事に証明し出していた事を、つい先日、知った。

戦後の日本が内在していた問題…朝日新聞を始めとした二流、三流の人間達が、似非モラリズムで日本を支配し出していた現実。
それが、日本に取って危機的な状況に成っている事を、暇空茜さんが、たった一人で国民に知らしめ、糺す戦いを開始していた。

本欄は世界を糺した。
次は国内だ。
様々な、真実を明らかにしているツイートを、「いいね」等を、するだけではなく、難儀な作業だが、本欄で紹介し続ける事にした。
途端に、検索数が、1月23日(月)12846、1月24日(火)46979、1月25日(水)26816、1月26日(木)13679、と跳ね上がった。
上記の通り、検索数46979、否、遥かにそれ以上が、本欄の本来の姿だろう。
この作業は手間暇がかかるものだから、その結果が励みになった事は言うまでもない。
この稿続く。

2023/1/26, at Kyoto


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Top 50 searches for the pas... | トップ | As soon as I appeared, I wa... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

全般」カテゴリの最新記事