文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

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なぜバイデン大統領は、岸田文雄を首相就任後1年3ヵ月以上もホワイトハウスに立ち入らせなかったのか?

2023年02月01日 16時07分27秒 | 全般

以下は1/26に発売された月刊誌Hanadaに、林芳正の研究、と題して掲載されている山口敬之氏の論文からである。
前述の様に、今回、我が家に届いたのは4日後の1/30だったのは遺憾の極みである事を出版社には知って頂きたい。
本論文を含め、本物の論文が満載されていながら980円(税込み)なのである。
有数の読書家の言に倣えば、「本ほど安いものはない」、正に、その通りなのだ。
小泉純一郎の郵政民営化について、彼が自民党総裁選で「咬ませ犬」として、橋本龍太郎の対抗馬として立候補した時の事である。
彼の異様な程の「郵政民営化」一本鎗の拘りに、私が極めて奇異に感じた事は既述の通り。
その後に、日本の政治は実は米国からの年次報告書通りに動いていた事を知って、彼の異様さを瞬時に理解した。
彼の態様を例えるのに、脳にチップを埋め込まれた政治家が大統領になる寸前まで行く、というハリウッド映画で、本欄で発信した。
首相を辞めて以降の小泉は、今度は原発反対、太陽光発電一本鎗の男に成っている。
彼は、言わば、元々が空っぽの脳の持ち主で、誰かにチップを埋め込まれると、それだけを馬鹿の一つ覚えの様に繰り返す人間なのだと言っても過言ではない。
昨今の日本経済新聞、テレビ東京が、SDGs一本鎗の報道を繰り返しているのも、以下同文なのである。
閑話休題
本論文を購読した人たちは様々に震撼したはずである。
林芳正の風貌が指し示していたものが全くの実態であること、彼が日本の外務大臣である事、その事に対して、日本のメディアが懸念一つ表明して来なかった事。
日本は既に中国に甚だしく侵略されている事。
中国による「静かなる侵略」はオーストラリア以上に、日本において侵攻中ではないか、と慄然としたはずである。
然し、旧態然とした地方の政治屋が、日本を蝕んでいる態様に対して、怒りを覚えなかったとすれば、それはただの無知性である。
日本のメディア等は、ただの無知性の集合体である事を知って愕然としたはずである。
本論文も日本国民のみならず世界中の人達が必読。
見出し以外の文中強調は私。

上海電力への内通者は誰だ!
アメリカの厳しい目 
私は昨年末から年明けにかけてアメリカを訪問し、旧知のアメリカ議会関係者、ホワイトハウス、民主・共和両党の関係者合わせて11人を取材した。 
全ての人に尋ねたのは、「なぜバイデン大統領は、岸田文雄を首相就任後1年3ヵ月以上もホワイトハウスに立ち入らせなかったのか?」というシンプルな質問だ。
すると、6人は「よくわからない」などと明確に回答しなかったのに対して、5人は「岸田首相の対中姿勢への不信感」と即答。
このうち日米関係に詳しい3人は「きっかけは林外相と北京五輪」と断言し、「営々と築かれてきた日米関係を揺るがしかねない事態」と口を揃えた。 
「営々と築かれてきた」という戦後の日米関係は、誰がどのように司(つかさど)ってきたものか。
日本政府としてアメリカ側と向き合う一義的な責任者は、もちろん外務省だ。
外務大臣、外務事務次官、審議官、北米局長、北米一課長、北米二課長といった担当者が、ワシントンDCに陣取る駐米大使と連携しながらホワイトハウスや国務省と向き合う。
この他にも、経済産業省や警察庁、防衛省など各中央省庁も、通商、諜報、国防などの分野でアメリカ側と交渉や調整を行っている。 
しかし、こうした政府間の公式な向き合いとは全く別に、あまり表には出てこないが、非常に重要な役割を果たしている「ルート」がある。 
敗戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の占領下の日本は外交権限を剥奪されていたが、1952年4月28日に「サンフランシスコ平和条約」が発効し、外交権を取り戻した。 
しかし、GHQは荷物をまとめて綺麗さっぱり日本を去ったわけではない。
かつてはアメリカに牙を剥いた日本を「同盟国」という美名の下で従順な属国として引き続きコントロール下に置くために、様々な仕組みを埋め込んでいった。

日米合同委=占領政策 

そもそも日米安保条約には、日本の行政権・司法権を縛る「行政協定」の締結が盛り込まれていた。
だから安保施行2ヵ月前の1952年2月28日、「日米行政協定」が調印され、これがのちの悪名高き「日米地位協定」となる。 
この協定が産み落とした日米間の歪みは、刑事裁判権や出入国管理などでアメリカ側に一方的な優越性を与えているという法令上の不平等だけではない。 
協定の運用について協議するという名目で、「日米合同委員会」という謎めいた会合が月2回開催されることになったのだ。
出席者は日本側が外務省北米局長を筆頭とする中央省庁の官僚たちで、アメリカ側は駐日公使や米軍の副司令官クラス。
下部組織として、26の分科委員会とその下に10の部会が置かれていて、非公式・非公開の会合にもかかわらず、その決定は日本政府を拘束する。
そして議事の内容や決定事項の詳細は、アメリカ側の許可がなければ公開できない。 
そして、この委員会の議論は在日米軍関連事項にとどまらず、日本の外交、行政、司法の基本方針にまで強い影響力を与えている。 
また法務省、警察庁、裁判所などには日米合同委員会の決定に従わせる極秘マニュアルまで整備され、アメリカ側の指示どおりに日本の官僚機構が動く休制が確立されている。 
このように、アメリカは霞が関の中央省庁を手足として日本をコントロールする体制を確立している。
だから作家の松本清張は日米合同委員会について、「別の形で継続されたアメリカの日本占領政策」と看破していた。

「NSS」という切り札 
アメリカが日米安保条約と日米地位協定を通じて埋め込んだ「日本を指導するシステム」が機能している限りにおいて、日本は真の独立国とは到底言えない。 
こうした状況を少しでも改善しようと、システムの抜本改革に力を注いだのが安倍晋三元首相である。
安倍はまず、アメリカの日本統治のエンジンである日米合同委員会について、日本側の代表が外務省の北米局長であり、これに次ぐ代表代理は法務省・財務省などの局次長クラスが務めていることに目をつけた。 
そこで官邸に作ったのが「国家安全保障会議」と「国家安全保障局」(NSS: National Security Secretariat)である。 
国家安全保障会議は、総理大臣と外務・防衛・財務大臣からなる外交安全保障に関する政府最高位の司令塔であり、それを補佐する事務局がNSSという立て付けになった。 
そして国家安全保障局長には大物の事務次官経験者を据え、スタッフにも外務・防衛・警察の局長級以上のエースを集めた。
日米合同委員会の日本側の最高位である外務省の北米局長にとっては、ついこの間まで外務省の事務方トップだった事務次官経験者が国家安全保障局長として睨みを利かせる格好になる。 
防衛省や財務省など他省庁の局次長や課長レベルの日米合同委員会出席者にとっても、数期上の上司である局長級が国家安全保障局員として官邸に常駐している形となった。 
これで、日米合同委員会で何が話し合われているのか担当官僚以外はよくわからないという状況は解消され、日米交渉の進捗情報が官邸に集約されるようになった。 
そして、そもそもNSSは安全保障担当大統領補佐官(日本の国家安全保障局長に相当)が国家安全保障会議を取り仕切るホワイトハウスのシステムに倣って作られたものだから、アメリカとの外交交渉の直接の窓口も外務省から官邸に移った。 
だから日米同盟のあり方など安全保障にかかかることばかりでなく、日米首脳会談の準備など日米関係にかかわる広範な交渉をNSSが主導するようになった。 
すると、国家安全保障局長は必然的にアメリカ側のカウンターパートであるホワイトハウスの安全保障担当大繞領補佐官や駐日大使と、直接頻繁にやり取りをするようになる。
この稿続く。


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